PayPayが挑戦する「人とAIによる共創組織づくり」
人事主導のデータドリブンなHR戦略とは
PayPay株式会社 コーポレート統括本部 HR本部 HRBP部 部長代理 浅野 龍一郎 さん
PayPay株式会社 コーポレート統括本部 HR本部 People Analytics & AI Tech Office 室長 稲垣 仁美 さん

テクノロジーの進化に伴い、人事部門に課せられた役割や業務の進め方が大きく変わりつつあります。スマホアプリ「PayPay」を主軸に、銀行・証券・保険・クレジットカードなど総合金融サービスを展開するPayPayグループは、「人とAIによる共創組織づくり」をミッションに掲げ、データの分析とAI活用を推進し、事業戦略とHR戦略の立案と施策の実行につなげています。専任部署としてHR本部内に設置されたPeople Analytics & AI Tech Office 室長の稲垣仁美さんと、事業部のパートナーとして事業推進を支えるHRBP部 部長代理の浅野龍一郎さんに、取り組みの内容とその成果、AI時代の人事パーソンに求められるスキルなどについてうかがいました。

- 浅野 龍一郎 さん
- PayPay株式会社 コーポレート統括本部 HR本部 HRBP部 部長代理
あさの・りゅういちろう/メーカー・HRTech・越境EC企業で、事業部門と人事部門の両面で新規プロジェクトの企画・推進、組織体制構築の経験を経て、2024年にPayPay入社。HRBPとして事業成長に向けた組織コンサルティング、HRBP体制の構築、全社人事機能の改善などに取り組む。

- 稲垣 仁美 さん
- PayPay株式会社 コーポレート統括本部 HR本部 People Analytics & AI Tech Office 室長
いながき・ひとみ/マーケティングリサーチ、コンサルティング企業でのリサーチ経験や米国スタートアップ企業でのHRデータ分析経験を経て、2022年にPayPay入社。People Analytics組織の立ち上げ、分析環境構築、HRデータの分析や可視化、AIプロダクト開発・利活用促進などに取り組む。
2020年、MBA取得。2024年、組織内ネットワークとコミュニケーションに関する研究で博士号取得。
7年でユーザー数7,100万人。テクノロジーで事業成長をさらに加速させる
貴社の「人とAIによる共創組織づくり」という取り組みは、いつ、どのようにスタートしたのでしょうか。
稲垣:2023年1月に、HR本部・HRBP内にHRデータを分析するピープルアナリティクスの専門組織をゼロから立ち上げました。生成AIが世の中に広まり始めたばかりの頃です。当時のHRBP部長(現・HR本部長)に「事業成長に向けて人事をデータドリブンに進化させる」という強い思いがあり、人事主導でHRデータを事業の意思決定やアクションに生かす方針を掲げたのです。2025年1月からはPeople Analytics & AI Tech Office(以下、PA&AI室)としてHR本部内の独立部署となり、HRデータを可視化・分析してHRや経営戦略につなげたり、AIプロダクトを開発・活用を推進しています。
浅野: PayPayのHRは、三つのDNAと人事戦略に基づいてAI活用を推進しています。三つのDNAとは、「Execution:誰が・いつまでに・何を実行するかを明確にし、徹底してやりきる」「Speed:24時間以内に課題を解決し、ユーザーの期待に即応する」「User-First:常にユーザー視点でサービスをつくる」です。これらを軸に、PayPayは創業から7年でユーザー数7,100万人を超えるサービスへと成長を遂げてきました。
人事戦略において大切にしているのが、「事業成長のスピードを削がないシンプルな仕組みづくり」です。たとえば、成果を上げた人に厚く報いる「Pay for Performance」や、事業ステージに応じて最適な人材を柔軟に配置する「役職はキャスティング」といった考え方です。
事業の成長スピードを重視したDNA や人事戦略と、事業成長にAIテクノロジーを掛け合わせることで、成長速度がさらに加速すると考えています。テクノロジーを活用して事業成長を促進するためには、HR組織もデータとAIを最大限に活用することが不可欠です。
PA&AI室ではどのような役割を担っているのでしょうか。
稲垣:現在のPA&AI室の役割は主に三つあります。一つ目はHRデータ分析基盤の整備・深化です。鮮度と品質の高いデータをリアルタイムかつ安全に活用できる形で構築するデータエンジニアリングにより、データという組織の共通言語をつくっています。
二つ目はデータインサイトの提供です。多様なデータによって人と組織の動きを可視化・シミュレーションし、得られたインサイトをHR本部内や事業部に還元したり、逆に現場の気づきをデータで形にしています。定量的な分析にとどまらず、たとえば一人の営業部員の行動を観察して分析するなど、定量・定性の両面から意思決定に資するインサイト創出に取り組んでいます。
三つ目の役割は、AI活用の推進・プロダクト開発です。採用支援ツールや組織コンディションの可視化・予測、スキルの可視化など、社内のHR施策や全社で活用するAIプロダクトを内製で開発しています。新しい技術やツールがどんどん出てくるので、色々と試して未来の価値を探っています。AIプロダクトを内製することで、スピード感と柔軟性を持って開発・実装を進めています。
自社開発のAIプロダクトで、日常業務の効率化と質向上を実現
「データインサイトの提供」は、どのように行なっているのでしょうか。
稲垣:人と組織のパフォーマンスと生産性を向上させるために、人材の基本属性や経験・スキルといった静的データから、各種サーベイやアンケートの回答、評価歴、勤怠、行動ログなどの動的データまで、さまざまなデータを取得・分析しています。
PayPayは事業環境の変化も激しいこともあり、特に動的なデータを取得・分析することを重視しています。行動ログに関して一例をお伝えすると、たとえば会議のログデータを用いて、ハイパフォーマーの行動特性を明らかにする取り組みを行っています。
会議の参加者や人数、オンライン・オフラインの開催形態、時間帯などを機械学習で分析したところ、ハイパフォーマー特有の傾向が見られました。現場に報告したところ、「感覚的にそうだろうと思っていたことが、データで裏づけられた」とコメントいただきました。
最近では会議の文字起こしデータから、ソフトスキルの把握や会議中の議論の深さ等を分析できないか、試行錯誤を重ね開発中です(特許申請中)。これにより、会議の「量」と「質」の両面からデータを掛け合わせ、より深いインサイトを得られる可能性があると考えています。
「AIプロダクトの開発」の事例をお聞かせください。
稲垣:いわゆる人材マネジメントサイクル、つまり採用から退職までのあらゆる人事プロセスにおいてAIを活用することを目指して開発を進めています。
その一例が、採用面接を支援するAIツールです。AIが候補者の経歴などのデータをもとに、面接で確認すべきポイントや、候補者の魅力を引き出す質問などを面接官にアドバイスします。最終的な合否は必ず人が判断しますが、属人的になりがちな面接を構造化し、より質の高い面接が可能になりました。当社にフィットする人材の入社が増え、ミスマッチによる短期離職を防ぐ効果につながっています。
また、社内からのHRやITに関する問い合わせに自動対応する、AI問い合わせエージェントも構築しました。従来の問い合わせフォームを廃止し、全社員が参加するSlackのグループチャンネルを新設。社員はチャンネル内でまず、AIに質問します。AIによる回答では解決しない場合のみ、IT担当者が個別に対応する形をとりました。
簡単な問い合わせにはAIが自動で回答できるようになったことで、担当者がより複雑な問い合わせに集中できるようになりました。当初はAIに対して懐疑的だった社員もいましたが、徐々に「問い合わせれば、すぐ答えが返ってくる」という利便性を実感し、現在ではAIが月に数千件の問い合わせに対応しています。担当者がAIの回答をフォローしつつ、その内容を学習データとして蓄積した結果、AIによる回答の精度とスピードも向上。問い合わせ担当者の工数を数万時間削減することができました。

データ基盤の構築や分析、プロダクト開発まで、専門的な業務を担っていますが、PA&AI室にはどのようなバックグラウンドの方がいらっしゃるのでしょうか。
稲垣:現在、兼務メンバーを含めて十数人が所属しているのですが、バックグラウンドは多様です。エンジニア経験があるメンバーもいますし、採用やヘルスケア領域の中でデータを活用していたメンバーも在籍しています。
私は、経営学分野で「社会ネットワーク分析」を用いた研究を行っていました。社会ネットワーク分析とは、人と人とのコミュニケーションやつながりを定量化・可視化し、組織内の情報共有の効率性やリーダーシップ構造、イノベーション創出に与える影響などを研究するアプローチです。その中で、企業内のコミュニケーション構造が組織のパフォーマンスや生産性に与える影響について研究していました。前職ではさまざまな企業に対してネットワーク分析を活用したインサイトを提供しており、当時の経験が今の仕事に生きています。
今後、新たに取り組んでいきたいAI活用策はありますか。
稲垣:今後は、AI活用・シミュレーション・予測分析をあらゆる場面で用いることで、経営や事業のスピードを高める意思決定支援を強化していきたいと考えています。たとえば個人や組織ごとに業務のAI代替性を分析し、より戦略的な人員配置・組織運営を実現する仕組みづくりに着手しています。
AIの浸透により、従来の業務に変化が起きることは確実です。そうした変化を見据え、一定の考え方に基づいて人員増減の意思決定ができるよう、AI代替性スコアを算出しています。具体的には、各部門の業務で必要なスキルを抽出。AIがスキルごとに定型業務の割合を推定し、技術進化や業務変化、AIの導入コストといったさまざまな前提条件を踏まえ、「数ヵ月後・数年後にどの程度AIに代替されるか」をシミュレーションします。
将来的にAIが代替できる業務を完璧に予測することは不可能です。さまざまな研究機関が予測レポートを出していますが、絶対的な正解は存在しません。しかし、シミュレーションを通じて、経営とHRが共通の判断材料をもって議論できる環境を整えたいと考えています。
AIの利用やデータの収集に対して不安を抱く社員の方もいらっしゃるかと思いますが、運用にあたってはどのような点に留意されていますか。
稲垣:当社は高い信頼性が求められる金融サービスを展開しており、AI開発やデータの利活用を進める過程においても、セキュリティやガバナンスへの十分な配慮が不可欠です。社内のセキュリティ、法務、データ戦略などの各部門と密接に連携しながら、信頼性と安全性を担保しています。
HR本部内でも、HRデータを安全に活用できるポリシーや運用ルールの策定に取り組んでいます。また、従業員の皆さんにも安心してAIやデータ活用に参加していただけるよう、すでにプライバシーポリシーを取得していますが、生成AIの活用を前提にした新たな内容へとアップデートを進めております。堅牢な基盤があるからこそ、安心感をもってAIやデータを活用でき新たな取り組みに挑戦できると思います。
現場で得られる定性情報に定量データを掛け合わせ、よりリアルに実態を把握
AIやデータの利活用に関して、HRBP部はどのような役割を担っているのでしょうか。
浅野:HRBP部の役割は、各事業部やグループ会社の事業成長を人事の側面からパートナーとなってサポートすることです。各社の人事部門と連携しながら、経営層・部門責任者とコミュニケーションをとり、経営方針を社員に浸透させていくための戦略を立案しています。
事業部やグループ会社のAI・データ活用の推進も担っており、 PA&AI室から提供されるデータや示唆を活用して実際に事業課題にアプローチしています。一方で、HRBPだからこそ得られる定性的な情報もあります。たとえば、ある人のマネジメントに課題があるとか、組織の業務の配置に課題があるといった、生の声です。こうした情報をもとに、「他の事業部で似た事例がないか」「データ上にヒントがあるか」など、PA&AI室に相談することもあります。定量的なデータと定性的な現場情報を行き来しながら、課題解決にあたるイメージです。
社員の生の声を集める施策として代表的なものにはエンゲージメントサーベイがありますが、どのように活用していますか。
浅野:エンゲージメントサーベイやバイタルチェックといったデータは、事業トップが意思決定の参考にする重要な指標になっています。たとえば「この人のマネジメントは機能している」「マネージャーになったばかりで課題を抱えてそう」といった感覚的な印象を確認できる点が評価されています。
稲垣:サーベイの結果だけでなく、行動ログなどのデータも併せて分析することを推奨しています。行動ログのデータを組み合わせることで、本人の感じ方と実際の行動、両面から実態を把握できると考えています。
浅野:たとえば残業時間の数値が全社平均より低くても、社員は「業務量が多い」と感じているケースがあります。PA&AI室から提供される客観的データと、サーベイで得られる主観的データを組み合わせることで、ギャップが見えてくるのです。本人の負担感に配慮しつつも徐々に負荷がかかる業務を任せていくなど、柔軟なマネジメントの判断につなげることができています。
貴社のグループはかなり大規模ですが、グループ間の連携はどのように進めているのでしょうか。
浅野:銀行、証券、カードなど、近年PayPayグループにジョインする会社が増えています。成り立ちや歴史が異なるため、人事制度やコーポレート機能の運用も多様です。とはいえ、グループとして共通する業務領域も多く存在します。そうした共通業務をグループ間で整理し、共通化・集約できるものは統合していきたいと考えています。
稲垣:現在、グループ会社全体の人員・人件費データを一元的に可視化する取り組みを進めています。各社の経営層が、財務指標や人員数、人件費の増減についてダッシュボードからリアルタイムで確認できるようになりました。経営層がスピーディーにデータを確認し、アクションを考えられる環境を整えることにより、事業成長を支える戦略的な意思決定を後押ししていきたいと考えています。
根拠を持った意思決定をサポートする、経営パートナーとしてのHR
今後は、どのように「人とAIによる共創組織づくり」を推進していく予定ですか。
浅野:AIを活用した「人員の最適配置」と「人を最大限生かす仕組みづくり」にさらに注力し、「人」がイノベーションを起こし続けられる環境をつくっていきたいと考えています。
AIの進化に伴い、「どの領域の業務で人が価値を発揮するのか」を再定義する必要が出てきました。現在、多くの会社で推進している業務は、次の三つに分類されます。一つ目は、人ではなくAIが代替できるもの。二つ目は、人とAIが共創していくもの。そして三つ目は、人にしかできない業務の最大化を目指すものです。これらを実現することこそ、HRの腕の見せどころだと考えています。
ただし、「人とAIによる共創組織づくり」の構想は容易にできても、人の意識や行動の変革には時間がかかります。たとえば定型業務を担ってきた人には、意識変革を促す戦略的な働きかけが必要でしょう。

稲垣:データとAIを通じて事業成長や成果創出に貢献し続けたいと考えています。データとテクノロジーを武器に、HRが経営の意思決定を促進するパートナーとして進化していくよう働きかけることは、PA&AI室の大きな使命の1つです。
たとえば自律的にアクションを行う生成AIエージェントを業務フローに組み込むなど、業務の中でAIを活用できる仕組みを構築し、HRがより高付加価値の活動に集中できる環境を整えたいです。
また、データ整備から可視化、インサイト創出、アクション実行、成果と検証のサイクルを高速で回し、組織の推進力を最大化することで、根拠を持って未来を描き、より迅速で的確な意思決定を支援していきます。
今後AI活用がより進む中で、人事パーソンにはどのようなことが求められるとお考えですか。
浅野:大事なのは、「経営目標の達成に直結する人事戦略に目を向けること」です。日々のオペレーション業務に追われ、戦略的な施策の立案や実行に取り組めていない人も多いと思います。しかし、今後はAIの活用が進むことで定常業務が削減され、人事が本来担うべき戦略的な領域に時間を割きやすくなります。オペレーション業務に注力してきた方はチャンスと捉え、より高い次元で戦略を考えられるスキルを磨くべきです。
「社内外のステークホルダーと信頼関係を築き、協業すること」も重要になっていくでしょう。人間関係の構築はAIに代替できません。異なるステークホルダー同士がそれぞれAIを活用した際に、導かれる解の方向性が異なる可能性もあります。関係者間で相互理解を促し、共に目指すべきゴールを設定して最適解を協議するスキルが、これからの人事パーソンには求められます。
稲垣:「問いを立て、仮説を構築する力」が求められます。AIは、膨大なデータをもとに高速に答えを導き出しますが、どのような問いを立て、どの方向に思考を深めるかをデザインするのは人間です。人事領域では、正解が一つに定まらない状況も多く発生します。複数の具体的な事実から法則や結論を導く帰納的な思考法や、一般的な法則から事実に当てはまる結論を導く演繹(えんえき)的な思考法だけではなく、ある種のひらめきや、結果から仮説を大胆に推論する力を磨き、検証サイクルを回していく力が不可欠です。
もう一つは、事業成果に向けて「人と人、人とAIの間に入り、共創や協働を生み出す力」です。ある研究では、対人リーダーシップ能力が高い人ほど、AIをチームメンバーとして扱う際も高いリーダーシップを発揮できるという結果が示唆されています。AIが同僚や部下として共に働く時代において、人と人の連携や信頼関係を強化することに加えて、社員がAIとどのように信頼関係を築き成果を創出していくかをデザインしていくことは、HRの重要な役割です。これまでの人事パーソンという枠組み自体が変わる未来も近いと思います。

(取材:2025年10月14日)

