AIを業務で使う「事例」を次々に生み出す
現場起点で進むダイハツ工業のDX人材育成
ダイハツ工業株式会社 DX推進室 デジタル変革グループ長 (兼)東京LABO・シニアデータサイエンティスト
太古 無限さん

生成AIが劇的な進化を続ける今、現場にAIを導入し、大規模な業務改革へつなげたいと考えている企業も多いでしょう。とはいえ、AIに精通した人材を確保・育成するのは簡単ではありません。全社一律の育成プログラムを導入したものの、なかなか人材が育たないという悩みの声を聞くこともあります。そうした企業に注目してもらいたいのが、ボトムアップの勉強会に端を発し、全社規模でAI人材の育成に成果を上げているダイハツ工業の取り組みです。同社の研修プログラムの特徴は「ただ学ぶのではなく、事例化につなげる」こと。参加者は本業から一定期間離れ、学んだ内容をもとにして実際のソリューションやツールを生み出しています。「ゴールは全従業員にデジタル推進を自分ごと化してもらうこと」と話すキーパーソンの太古無限さんに、取り組みのねらいと展望を聞きました。

- 太古 無限さん
- ダイハツ工業株式会社 DX推進室 デジタル変革グループ長
(兼)東京LABO・シニアデータサイエンティスト
たいこ・むげん/2007年 ダイハツ工業入社。開発部にて小型車用エンジンの制御開発を担当。2020年から東京LABOデータサイエンスグループ長、2021年からDX推進室データサイエンスグループ長(兼務)を得て、DX推進室デジタル変革グループ長(兼)東京LABOシニアデータサイエンティストとして、全社のDX推進する業務に従事。その他に、滋賀大学データサイエンス部インダストリーアドバイザーとして、社外におけるAI活用の普及活動にも努める。経営学修士。2025年1月、Forbes JAPAN・レノボ社による「Forbes JAPAN CIO Award 2024-25」にてDXによって数年後を変える、次世代のテクノロジーリーダーとしてチェンジレガシー賞を受賞。
「時代に乗り遅れる」危機感からスタートした有志での活動
太古さんがAIに関わり始めたきっかけをお聞かせください。
私は2007年に新卒入社し、エンジニアとして小排気量の車のエンジン開発に従事していました。その後、2017年にMBAを取得したのですが、その勉強をしている中で、多くの企業がAIに注目していることを知ったのです。
2016年頃から、自動車業界ではAIの進化を背景に、「CASE」(※1)への対応の要請が叫ばれるようになりました。しかし当時、ダイハツではAIの活用がほとんど進んでいませんでした。自発的にこっそりと勉強している人はいたのかもしれませんが、表だった取り組みはなかったのです。
※1 自動車の技術革新によって進む「Connected」「Autonomous/Automated」「Shared」「Electric」の頭文字
そこで私は、独学でAIを勉強し始めました。当初はエンジンの制御開発にAIを活用できるのではないかと考えていたのです。同じようにAIに興味を持つ二人の仲間とともに、業務外の有志活動として機械学習やディープラーニングについて研究し、後にこの取り組みをワーキンググループへと発展させていきました。
ダイハツには従来、有志が集まって学ぶ風土があるのですか。
はい。さまざまな技術領域での学びを深めるため、昔から業務外に有志が集まってともに学習する風土があります。大人数が参加する会社職制外の団体「技術研究会」という取り組みは、昭和24年から続けられていて、私たちはそうした風土の中でAIに関心を寄せたのです。
この技術研究会で私たちは、2019年に機械学習などを勉強するコミュニティを作りました。すると初回から約100名の参加者が集まりました。AIに興味を持ち、機会があれば学びたいと潜在的に思っていた人が社内にたくさんいたのです。
有志で始めた活動は、どのようにして全社規模の取り組みへと拡大していったのでしょうか。社内の理解を得るために工夫したことがあれば教えてください。
最初の頃は「一体何をやっているんだろう?」と懐疑的な目で見ている人も多かったと思います。
潮目が変わったのは2019年。全社的に初の東京地区の開発拠点として、電動化や自動運転などの最新技術開発の一翼を担う組織である「東京LABO」を設立する計画が動き出してからです。このチャンスに私も手を挙げ、AI活用の推進を担う組織作りを提案して、東京で人材採用を強化することになりました。
研究を進めれば進めるほど、さまざまな業務にAIを活用できることが分かっていました。しかし、実践する人材が圧倒的に不足していたのです。東京LABOは、AI活用を一気に進めるための良いきっかけになりました。
それまでの有志活動でAIに関する知見を蓄積していましたし、技術研究会に集まった人たちを中心に、現場でAIを実装する動きも進みつつありました。社内で成果が出始めている事例を共有したところ、経営陣も興味を持ってくれるようになりました。
経営から現場まで、多くの人を巻き込むことができた秘訣は何でしょうか。
仲間作りに力を入れたことだと思います。AI活用に興味を持つ人の中からは、エバンジェリストとして各現場でAIの可能性を伝えてくれる人も現れました。
ダイハツでは、工場勤務の人など、専用のパソコン端末を持っていない従業員が少なくありません。そういった人たちも巻き込んで人数を増やすためには、「AIって面白そう」と感じてもらえるような多彩なテーマを用意することが大切です。
ほんの2年前まで、ダイハツにはAI関連部署が存在しませんでした。しかし今ではさまざまな部門のトップが必要性を認識し、各部門で独自に約20のAIやデジタルに関連する組織が生まれています。これはとても良い変化だと感じています。

「めちゃくちゃできる」人材を育成
ただ学ぶだけではなく、事例化をゴールに置く
AI活用に向けた人材育成の取り組みについてお聞かせください。
DX推進の鍵を握るのは、担い手となるAI人材の育成です。
ダイハツでは、2020年からスタートしたAI人材育成の取り組みに加えて、BIツール(※2)活用やアプリ開発ができるDX人材を2025年度までに1000人にすることを目指し、最終的には全従業員がデジタル技術を活用できる状態にしたいと考えています。
※2 「Business Intelligence Tool」の略。データを分析・可視化して、経営や現場の意思決定を支援するために用いられるツール
そのため、「AI人材育成」「BIツール活用」「企画・推進・主導」「アプリ開発」の各領域で、難易度が低いところから「共通コンテンツ」「基礎コンテンツ」「専門コンテンツ」に分け、多様な研修プログラムを設けています。
AI人材育成についての特徴的な取り組みとしては、2ヵ月間でAIを高度に活用できる人材を育てる「AIブートキャンププログラム」を2020年から実施しています。
参加者は通常業務のラインから外れ、2ヵ月間みっちりと研修を受けてもらいます。修了時にはアウトプットとして、自部署の業務に役立つソリューションやツールを開発しなければなりません。ただ学ぶだけではなく「事例化」がマストになっているので、参加者にとってはプレッシャーもあるでしょう。
たとえばある工場で勤務する従業員は、AIブートキャンププログラムで学んだことを生かし、工場での作業時に微細な異物の混入を防ぐ業務を改革しました。人がチェックできない場所を、カメラと画像認識で判別できるようにしたのです。
こうした事例化を2ヵ月で成し遂げるのがAIブートキャンププログラムです。これまでに通算で40名以上が修了しているため、40件を超える事例が次々と生まれています。
通常業務の片手間で学ぶのではなく、AI人材になるための覚悟を決めて臨んでもらうわけですね。
はい。「そこそこできる人」ではなく、「めちゃくちゃできる人」を一気に育てることを目的としています。
AIだけでなく、アプリ開発を学ぶ「DDI」(Daihatsu Digital Innovators)というプログラムでは、DX推進部門への異動を前提として5ヵ月間の研修を行い、スマホアプリの開発・実装ができるレベルまで育成します。
一方で、「研修を受けたいけれど上司の許可が出ない」という従業員がいるのも事実です。そのため、上司の許可なく業務時間外に自由に受けられる研修も用意しています。
90日間コミットして学ぶ「DATA Saber認定チャレンジ」もその一つ。BIツールを学んで業務に活用し、人に教えられるレベルまで育成します。このプログラムでも、現場で聞いた課題をもとに解決策を示し、事例化することに注力しています。
従業員の学びの意欲を高めるために、どのようなアプローチを行っていますか。
従業員のデジタルへの取り組みや学習を促進するツールとして「オープンバッジ」を配布しています。DX人材育成の専門コンテンツを修了した従業員にオープンバッジを贈呈しているほか、DX推進において先進的な案件に取り組み、優れた活動を行った従業員を表彰する社内アワードも実施しています。
こうした認定制度や表彰制度がデジタルリテラシーを高める動機となり、バッジホルダー同士の情報共有にもつながっています。社内ではさまざまなコミュニティが生まれ、興味や関心に応じて自由に参加できるようになっています。
AI活用を学ぶことは変化に対応するための「筋トレ」
ナレッジを横展開し、全従業員にデジタルを自分ごと化してもらう
部門を超えた連携を生み出すために取り組んでいることはありますか。
横の連携を促進することは大きな課題でした。そのため、ダイハツAIキャンプやDXサロンなど、それぞれ月1回のペースで活用事例を共有するサロンを開いています。他部署の取り組みを知り、自部署に取り入れられるものを生かしてもらうのが狙いです。
そうした試みの一つが「ダイハツAIキャンプ」。DXやAIに関する最新情報とアイデアを共有し、ナレッジの横展開やAI導入の推進を目指す社内コミュニティです。2022年3月から毎月オンラインイベントを開催し、2025年2月時点で36回目となりました。社内だけでなく社外からも、製造業の枠を超えて幅広くゲストを招き、AI活用だけでなく、デジタル推進に関わる新たな可能性についてプレゼンテーションをしてもらっています。社外からの刺激を受け、社内に小さな火種が増えていけばうれしいです。
あらゆる活動において起点となるのは、やはり仲間作りです。仲間を集めてワークショップや勉強会を行い、取り組むテーマを決めて実行に移すことで次々と成功事例が生まれていきます。
私が目指すゴールは、全従業員にデジタル推進を自分ごと化してもらうこと。新しい技術を自分たちで取り入れ、課題解決に生かせる組織として成長していきたいのです。
なぜ太古さんは、ここまでデジタル推進に情熱を燃やせるのですか。
デジタルに関わる取り組みが好きだからです。そして、会社をより良くしたいと考えているからです。
近年、世界中の自動車メーカーは、自動車を単なる移動手段としてだけではなく、高度なデジタル機能を搭載した「デジタルカー」として進化させています。その流れに取り残されないためには、デジタルに明るい人たちを社内に増やし、変化に迅速に対応できるようにしていかなければなりません。AI活用を学ぶことは、変化に強い企業体質を築くための「筋トレ」のようなものだと考えています。
他社の人から「太古さんのやっていることは自動車教習所のようだ」と言われたことがあります。社内にさまざまな学びの機会を作り、デジタルという公道に出るための最初のステップを用意しているという意味では、確かに教習所のような活動なのかもしれません。
会社を変えるのは、新しいことを学んで、それを積極的に活用していくことができる人たちです。でも、そういった人材を育成するのは簡単なことではありません。伝統あるダイハツにおいて、どうすればそんな人を増やせるのか。そのためには、まず基礎力のある人たちを増やし、変化の過程を楽しんでもらうことが何よりも大切だと思っています。
社内だけでなく社外からの採用も強化
文系・理系の垣根を超え、AIに関心を持つ人材が集まる
「仲間作り」について、太古さんのグループではどのように人材を集めているのでしょうか。
社内の人材については、希望して異動する制度のほかに、社内複業の制度もあります。デジタルやAIに興味を持つ人には、こうした制度を使って参加してもらっています。
外部からの採用も積極的に進めており、私のグループだけでも2025年は約20人の採用を計画しているところです。優秀な人が増えれば、できることの幅も広がるはずです。
採用活動には私自身もコミットしており、1週間で一気に1,000通ほどスカウトメールを送ったこともありました。前のめりになりすぎて、人事からは注意を受けましたが(笑)。
とはいえ、このアプローチはしっかりと成果につながりました。たくさんのレジュメを見て、「この人と働けたら面白いことができそう」と感じた候補者へ直接スカウトメールを送っています。返信率は3割を超えていて、すでに選考が進み内定も出し始めています。

太古さんがターゲットとする人材は、やはり理系が多いのでしょうか。
いえ、文理の垣根にこだわる必要はないと思っています。実際、私のグループでは文系出身の人も活躍しています。
ただ、文系では傾向的にデジタルを敬遠する人が多いのも事実です。「今の仕事ではAIを必ずしも使わなくていい」と考えている人もいるでしょう。だからこそ身近な事例を増やし、「自分たちも活用したい」と思ってもらえるようにしたいのです。
他社の事例をいくら紹介しても、なかなか響きません。「あれは○○社だからできること」「ウチとは違う」となってしまうことも考えられます。しかし、隣の部署の事例なら「意外とできるんだ」と感じてもらえる。自分の担当業務に活用できる可能性が見えると、AIへの関心は一気に高まりますし、自らが推進の当事者になりたいという思いも芽生えてくると思います。
私自身、エンジン開発に携わっていた頃にさまざまなデータをグラフ化する仕事をしていてAIに興味を持ちました。コーポレート部門に移ってからは「AIの前にBIを勉強しなければならない」と気づき、TableauなどのBIツールを学び、事例づくりや人材育成の展開をしています。
それぞれの部署や仕事に必要なものは違いますし、求められるリテラシーもさまざまです。全社一律に発信するだけではなく、現場ごとのニーズをとらえて事例を共有し、本気でAIに取り組む仲間を増やしていきたいと考えています。
ボトムアップとトップダウンは「きっかけの違い」に過ぎない
小さな成功事例を積み重ねれば、企業として大号令をかけられるようになる
経営トップが「これからはAIだ」と大号令をかけ、人事部が育成計画を立てて研修を進めているものの、なかなか人材が育たないという悩みは多いようです。
トップダウンであっても、変化に強い人材を育てられるならそれでいいのではないでしょうか。トップのAIリテラシーが高ければ成功するでしょう。しかし、トップにリテラシーがないとうまくいかない可能性は高い。
それに対して、ダイハツのようにボトムアップでムーブメントを起こして、協力者を増やしていくやり方もあります。これは「どこからきっかけを作るか」の違いだけではないでしょうか。ボトムアップで社内全体に浸透させるには限界があるので、やらなければいけないことは結局一緒なのだと思っています。
私の場合はボトムアップからのスタートでしたが、経営陣にも徐々に理解を広げていきました。2023年には、トップメッセージとして「DXビジョンハウス」というダイハツのデジタル推進の考え方を発信しています。
「人にやさしいみんなのデジタル」というDXスローガンが印象的です。
私たちが目指すのは、デジタル技術の活用によって社会課題を解決し、お客さまの豊かな生活と従業員の幸せを追求していくことです。その際に必要となる「やさしさ」は人によって違うはず。デジタルに興味を持ってどんどん学んでいく人もいれば、自分はデジタルが本当に苦手だという人もいるでしょう。そうした違いを乗り越えて、誰もが当たり前にデジタルを活用できるようにしたいと考えています。
そして、その先にはダイハツのお客さまがいます。慣れ親しんできた従来の車と同じような操作系統、同じような内装でも、その裏側では最新のデジタルカーとしての機能を備えている。そんな「人にやさしい車」の開発にもつながっていくでしょう。
AI活用については、失敗を恐れてトップが大号令をかけられない企業も多いのではないでしょうか。
そうかもしれません。私自身は、経営陣がコミットしやすくするために事例作りを進めてきたつもりです。
詰まるところ「やってみなければ分からない」のもAI活用の実状だと思います。自分で小さくやってみると、意外と手応えを感じられるもの。「やってみたらできた!」「周りに教えてあげよう」という思いからムーブメントが広がって、やがてトップに届きました。その時点では社内にたくさんの事例が生まれていたので、トップも躊躇なく大号令をかけられたのだと思います。
尖ったAI人材を「こっそり褒めたたえる」仕組みも必要
人事はAI人材が思うままに力を発揮できるようにする環境整備を
太古さんのように、意志を持ってAI活用を推進しようとする人のために、人事はどのような支援を提供すべきでしょうか。
従来の常識にとらわれず、新たな挑戦をする人に対して、しっかりと評価する仕組みを作ってほしいです。
評価の仕方も工夫する必要があると思います。AI活用などの領域で尖っている人たちは、尖っているとはいえ、必ずしも「目立ちたい」と思っているわけではないはず。
それに、新しい領域で尖っている人を誰の目にも分かる形で優遇すると、大組織の中では嫉妬の対象となり、活動の足かせになってしまうかもしれません。AI活用などの特定分野では、表向きではなく、裏側でしっかりと手当を付けるなどして、「こっそり褒めたたえる」仕組みも必要なのだと思います。
また、大前提として、尖ったAI人材の特性を理解しておくことも大切です。中にはチームワークよりも「わが道を行く」ことを重視する人材がいるかもしれません。放っておくとチームが散り散りになってしまうかもしれないので、そうしたメンバーが最大限に力を発揮できる環境を作ることも人事に求められる役割です。
その意味では、私は非常に恵まれています。現在のDX部門のトップが人事部長経験者なので、DX部門と人事が緊密に連携し、さまざまな局面で意思疎通を図れているのです。この体制がなければ、私はここまで積極的に動けていなかったでしょう。
人事がAI人材を深く理解し、AI人材が思うままに力を発揮できるようにする。これは、変化への適応力を持つ「強い企業」の条件になっていくのではないでしょうか。

(取材日:2025年3月3日)