IT人材不足とどう向き合う?
IT人材の組織定着と継続的な成長のために、人事が取り組むべきこと
IT人材、エンジニア不足、人手不足、定着、組織コミットメント、人材育成、リスキリング
IT業務の範囲拡大やDX推進などを背景に、企業のIT人材ニーズがかつてなく高まっています。IT人材の採用難易度の高さに注目が集まっていますが、すでに雇用しているIT人材に定着してもらうこと、組織に貢献してもらうこともまた重要なテーマです。IT人材の定着を促し、組織に貢献してもらうにはどうすればいいのでしょうか。また、どのように支援すれば、IT人材のリスキリングや継続的なスキルアップにつながるのでしょうか。技術者のキャリアや成長、組織適応などについて研究し、企業でのIT・人事分野の業務経験もある立命館大学大学院の古田克利さんにお話をうかがいました。
- 古田 克利さん
- 立命館大学大学院 テクノロジー・マネジメント研究科 准教授
ふるた・かつとし/博士(技術・革新的経営)。1997年和歌山大学卒業後、富士通株式会社に入社。その後、株式会社松下情報システムテクノロジー(現 パナソニックシステムデザイン株式会社)にてシステムエンジニア、経営企画課長、人事課長。2011年より関西外国語大学特任講師、2016年 同専任講師、2018年 同准教授。2020年より立命館大学大学院テクノロジー・マネジメント研究科准教授。日本キャリア・カウンセリング学会副会長・編集委員長、経営行動科学学会理事、日本キャリア教育学会理事・編集委員、日本インターンシップ学会副会長・編集委員長、同志社大学STEM人材研究センター研究員を兼任。
8割以上の企業が「IT人材の不足」を感じている
IT業務の範囲拡大やDXへの注目などから、企業のIT人材ニーズが高まっています。古田先生は、昨今のIT人材の不足感をどう捉えていらっしゃいますか。
独立行政法人情報処理推進機構(IPA)が発表している「デジタル時代のスキル変革等に関する調査(2020年度)」によると、「事業戦略上必要なIT人材の『量』を現在十分に確保できていますか」という質問に対して、事業会社では40.8%が「大幅に不足している」、47.4%が「やや不足している」と回答しています。IT企業においても16.8%が「大幅に不足している」、64.2%が「やや不足している」と答えており、いずれにおいても8割以上の企業が「IT人材が足りない」と感じていることがわかります。
人材の「質」に関しても、同様の結果が出ています。同調査によると、全体の30.9%の企業が「大幅に不足している」、56%が「やや不足している」と答えていて、量・質ともにIT人材の不足を感じていることが見て取れます。
この調査では「IT人材の職種別の人材数と人材レベルを把握していますか」とも聞いているのですが、職種別の人材数・人材のレベル両方を把握している」と回答した事業会社は38%にとどまっています。また、36.7%が「どちらも把握していない」と回答しています。DXの成果が出ていないと回答した企業にいたっては、その割合がより顕著になり、「どちらも把握していない」との回答が41.8%にのぼっています。
これらのデータから読み取れるのは、IT人材が不足している企業の半数近くは、DXやデジタル活用のため具体的にどのような人材が何人必要で、どのくらい足りていないのかを明確にできていない、ということ。とくにIT技術を活用してイノベーションや新たな事業を生み出していく人材については、その中身を具体化できていません。IT人材が不足しているという以前に、必要なIT人材を明確化できていないのが課題だと捉えています。
必要なIT人材の明確化や、現在在籍しているIT人材のレベルなどを企業が把握できていないのはなぜでしょうか。
企業ごとにさまざまな事情があるでしょうが、ITやデジタルのリテラシーが高い経営層が依然として少ないのが大きな理由の一つだと考えています。
IPAの調査においても、「AIに理解がある経営・マネジメント人材がいますか」という質問に対して、「十分にいる」と回答した事業会社は、わずか3.4%でした(回答の内訳は「十分にいる」3.4%、「ある程度いる」22.9%、「不足している」54.4%、「自社には必要ない」19.3%)。
この質問はAIに限定したものですが、経営やマネジメント層のITリテラシーが高まれば、必要なIT人材の明確化や、IT人材のレベル把握がより進むはずです。
IT人材の流動性の背景にある産業的構造
IT人材は流動性が高いとよく言われます。IT系企業での勤務経験があり、IT人材の組織適応感・組織貢献などを研究されている古田先生は、IT人材の流動性や転職リスクについてどのように見ていますか。
まず日本の労働市場全体の話をすると、以前よりも転職しやすくなり、流動性が高まっていると感じる方は多いでしょう。ただ、近年のデータを見ると、短期勤続者層(短期間の勤務で退職する層)が増加傾向にあり、それと並行して労働市場全体が拡大しています。長期勤続層が短期勤続志向になっているというよりも、労働市場に短期勤続者層が多く流入するようになったと考えられます。以前と変わらず長く勤務している人たちは、一定数いるわけです。
また、別の研究では、大企業では長期雇用が継続され、中小企業や高卒労働者を中心に流動性が高まっている、つまり二極化が進んでいるとの見方もあります。
そのような日本全体の労働市場の現状をふまえて、IT人材の流動性について考えてみます。人材の能力は、大きく「企業特殊能力」と「一般的能力」に分かれます。企業特殊能力とは、その企業だけで通用する能力のこと。たとえば複雑な社内システムに精通していたり、企業文化や独特の決裁基準に基づく意思決定のあり方を熟知していたりすることです。
反対に、一般的能力は汎用性の高いポータブルな能力です。どこの企業に行っても通用するもので、IT人材の場合はプログラミングスキルやデータベース、ネットワークの能力などが該当します。
IT人材には企業特殊能力も大切ですが、求められるスキル体系がある程度言語化されていて、一般的能力が必要とされる割合が高い。
また、IT産業の特徴として、業界がピラミッド構造になっていることが挙げられます。一次請けから二次請け、さらには三次請けへと発注する階層構造になっていて、下の階層に行けば行くほど人口が多く、また一般的能力がより求められます。一般的能力は他の会社に行ってもすぐに通用するため、下の階層ほど流動性が高い現象が生まれています。
また、別の研究では「IT人材に限れば、小さな組織であればあるほど企業特殊性が低くなり、流動性が高くなる」という見方があり、実際にそれを裏付ける結果も出ています。流動性が高い層と、あまり動いていない層に分かれているのが実状ではないでしょうか。
他職種と比較すると、IT人材は組織への帰属意識や愛着が低く、条件によって転職する層が多いのでしょうか。
一概にそうとは言えないでしょう。IT人材の転職動機はさまざまですが、シンプルに分けると、次の三つの不満足要因が挙げられます。一つは「賃金」。二つ目は「職務適応(与えられた仕事と自分のやりたいことがマッチしているか)」。三つ目は「心理的権力感(自分の権力や裁量をどのくらい感じられるか。学術的には「社会的勢力感」とも呼ばれる)」。
IT関連の仕事をしている人から、自身でコントロールできる範囲が狭いことへの不満をよく耳にします。上からおりてきた設計書通りにプログラミングすることが求められるためです。ピラミッド構造の下層に行けば行くほど、賃金も心理的権力感も低くなります。
IT人材は、会社や組織に対する帰属意識や愛着が低いから転職するというよりも、彼らが置かれている社会構造的な状況によって不満足要因が高まり、転職したい気持ちにさせられているのだと思います。
IT人材の組織コミットメントを高める三つの要素
IT人材の定着率や組織貢献度は、どうすれば高めることができるのでしょうか。また、それをサポートするために、人事はどんな視点で、どのような施策を取るべきなのでしょうか。
定着率向上の先行指標・予測指標は、「組織コミットメント」だといわれています。いわゆる組織への愛着感や一体感です。ですからIT人材の定着率や組織貢献度を高めるには、組織コミットメントをどう高めていくかを考える必要があります。
組織コミットメントの先行指標にはさまざまなものがありますが、大きく分けると「仕事に対する意義をどれだけ感じているか」「経営者への信頼」「教育・研修体制」の三つを挙げることができます。
一つ目の「仕事に対する意義をどれだけ感じているか」は、「今やっている仕事そのものに意義があるか」「今やっている仕事が自身の人生においてどんな意味を持つのか」という二つの視点があると思います。
単調で、全体の一部分だけを任せられている仕事は、一般的に意義を感じにくいといわれていますが、仮にそのような仕事に就いていたとしても、今その仕事をやることが自分の人生にとってどんな意味を持つのかを考えられるはず。社員一人ひとりが、自分なりの仕事の意義を見つけ、言語化していくことが大切です。
そのためには、上司や人事がサポートすることが大切ですね。
そうですね。ただ、サポートを行うのは上司や人事に限らないと思います。社外にその役割を求める手もあります。外部のキャリア支援を利用したり、単純に他社との交流を増やしたりするだけでも意味があるはずです。
また、二つ目の「経営者への信頼」を醸成するためには、経営者がトップとしてどのような理念やミッションを掲げ、どんな事業戦略を描いているのかを、折にふれて発信していくことが大切でしょう。
三つ目の「教育・研修体制」については、人的資本に対してどれだけ投資を行うかということに尽きると思います。予算をつけて、教育・研修に力を注ぐ。そして人的資本への考え方や、教育・研修の実績を社員に伝わるようにオープンにしていくことが大切です。
IT人材におけるジョブ型雇用の光と影
古田先生は、過去にIT人材の能力限界について研究されています。IT人材の能力発揮や成長を阻む要因にはどのようなものがあるのでしょうか。
IT人材の能力限界の研究は、私の博士論文研究で、2017年に『IT技術者の能力限界の研究 ケイパビリティ・ビリーフの観点から』という書籍を出版しました。研究の主張を端的にお伝えすると、「IT人材の能力開発は中高年になっても衰えることはない。むしろIT人材を活用する企業側の制度や慣習によって、中高年のIT人材の活躍が制限されている」というものでした。
たとえば、日本の労働慣習である年功序列的な賃金制度や仕組み・風土、あるいは先ほどお話ししたIT産業のピラミッド構造などが相まって、中高年のIT人材の能力限界化が高まっているのではないか。そんな仮説に基づいた研究で、それがある程度実証された研究でした。
近年はジョブ型の雇用制度を取り入れる企業が増えていますが、ジョブ型雇用は、IT人材の能力限界を解消する一つの策であるとは思います。
ただ、すべての人材が喜べる仕組みかというと、そうではありません。実は、年功序列的な賃金制度によって、市場価値と賃金が乖離しているIT人材がたくさんいます。それがジョブ型に切り替わると、「この賃金であれば、もっと上層の仕事をしてもらわないと困ります」「この仕事内容であれば、給与を下げます」と宣告されてしまう人も出てくるでしょう。
ただ、フラットな見方をすると、何歳になっても能力開発はできることを前提に、「あなたの現在の能力は市場価値としてこれぐらいですよ」と伝えているに過ぎないともいえます。IT人材一人ひとりが葛藤やコンフリクトを正しく把握し、受けとめ、次につなげていくことが大切です。それを自分だけで行うのは難しいので、他者のサポートが必要だと感じます。
リスキリングも、現実や葛藤と向き合い、自らの市場価値を高めていく手段の一つになるのでしょうか。
そう感じています。リスキリングに踏み出すためには、まず、ギャップや違和感に気づくことが大切ですね。自分の市場価値を正しく知ることで生まれる「これでよいのだろうか」といった葛藤が、自身の能力を高めたり、自らの能力がもっと生かせる場所にフィールドを変えたりする原動力になるはずです。
企業側も、どのような背景で、どんなスキルや能力を持ったIT人材を求めているのかを明確にし、伝えていく必要があります。ジョブ型雇用が進めば、賃金体系が従来と比較してどう変わるのかという問題が生じるでしょう。自社の方針や考え、なぜそのような賃金体系になっているのかといった背景をしっかりと社員に伝えることが大事です。葛藤する社員が出てくると思われますが、最終的には納得してもらえるように力を尽くす必要があると思います。
IT人材のリスキリング支援で、人事が取り組むべき施策は?
社内のIT人材がリスキリングなどにより継続的に成長するために、人事はどのように支援すべきでしょうか。
まずは量と質の両面から、社内にどのようなITスキルを持った人材がいるのかを把握する必要があります。その上で、事業計画を実現するためにはどんなスキルを持ったIT人材が必要なのかを明確にし、現状の社員とのギャップを埋めるための育成方針や評価制度を策定することがリスキリングのスタート地点です。
第二のステップとして、掲げられた(抽象的な)育成方針や評価基準が、一人ひとりのIT人材にマッチした形で具体化・言語化できる場をつくることが有効です。企業で行われている評価面談やスキルアップ面談、1on1などが該当します。
第三のステップは、IT以外の部分でのスキルアップ支援です。先ほど挙げた評価面談やスキルアップ面談、1on1などを有意義な場にするためには、参加するIT人材側にもスキルが求められます。具体的には、自己内省や自己開示のスキル、あるいは受容するスキルや共感するスキルなど。これらの開発を支援することも大切です。
これらの3ステップを、事業方針と同じくらいの位置づけで重視し、取り組んでいくことが大事です。ITは人材産業です。事業戦略を推し進めていくIT人材をどう育成し、開発していくのか。人事の役割は、経営層にその重要性を伝え、優先して取り組むことだと思います
最後に、人事の方々へのメッセージをお願いします。
人事の仕事をシンプルに表現すると、課題を見つけ、解決していく仕事だと私は捉えています。課題を見つけ、解決していく際に大切なのが「仮説を立てる力」です。さらに仮説を立てるために必要なのが「十分な情報」です。
社会的な動きや他社の事例などの必要なインプットをしたうえで、現場の具体的な情報を抽象的な枠組みに置き換えながら、仮説を導き出す。これが、今人事に求められている能力だと感じます。
「情報を得る」過程では、横に知識を広げていく作業が必要です。「仮説を立てる」過程では、抽象と具体を行き来しながら、思考を整理し、深めていく縦方向の作業が必要になります。
横方向に知識を広げていく力と、縦方向に思考を深めていく力の二つが合わさると、仮説を立てる力になり、自社の課題抽出の精度が高まっていくはずです。IT人材の組織定着や活躍支援においても、この二方向を意識しながら現場に立ち向かっていくことが大事だと思います。
(取材:2023年1月27日)