役立つデータ分析で新たなビジネス価値を創出する
「ビジネスデータサイエンティスト」の育て方
滋賀大学 データサイエンス学部 教授 兼 データサイエンス教育研究センター 副センター長
河本 薫さん
企業を取り巻く環境が変化し続ける中、経営の意思決定や業務改革を通じて新たなビジネス価値を創出するためには何が必要なのでしょうか。大阪ガス株式会社で長年データ分析チームを率い、2018年4月から滋賀大学データサイエンス学部の教授として人材育成に携わる河本薫さんは、ビジネス課題の解決に貢献する「ビジネスデータサイエンティスト」の重要性を説いています。多くの企業がデータを分析・活用して意思決定につなげることに取り組んでいますが、一方ではビジネス分野でデータ分析を行える人材の確保に課題を持つ企業も少なくありません。ビジネスデータサイエンティストが企業活動にもたらすメリットや、人材の確保・育成について河本さんにうかがいました。
- 河本 薫さん
- 滋賀大学 データサイエンス学部 教授 兼 データサイエンス教育研究センター 副センター長
かわもと・かおる/1989年、京都大学工学部数理工学科卒業。1991年、京都大学大学院工学研究科応用システム科学専攻修了。同年に大阪ガスへ入社し、1998年からは米ローレンスバークレー国立研究所でデータ分析に従事。2011年、大阪ガスのビジネスアナリシスセンター所長就任。2013年には日経情報ストラテジーが選出する「データサイエンティスト・オブ・ザ・イヤー」の初代受賞者となる。大阪大学招聘教授を兼任。2018年4月1日より現職。著書に「最強のデータ分析組織」(日経BP社)、「会社を変える分析の力」(講談社現代新書)、監修書に「真実を見抜く分析力」(日経BP社)。
事業の成長や利益につながる「役立つデータ分析」とは
河本さんは企業の現場から大学へ活躍の場を移し、人材育成に取り組まれています。
2018年3月まで27年間、大阪ガスで会社員をしていました。ビジネスパーソンとして培ったビジネスマインドを持って大学で学生に教えたら、新たな教育ができるのではないか。そのような使命感から滋賀大学へ移り、「ビジネスマインドを持った教員」として大学教育に貢献したいという思いで活動しています。大阪ガス時代にも若手従業員の教育に長く携わっており、人を育てたいという思いは一貫して持っています。
大学の教壇に立つようになってから、企業における人材育成との違いを感じる場面はありましたか。
データ分析について、大学では「わかる」と「役立つ」の違いがあまり認識されていないように感じます。「わかる」とは、データから新たな仮説を発見したり、予測モデルの精度を追求していくスタンス。それに対して「役立つ」データ分析とは、事業の成長や利益につなげようとするスタンスを指します。
私は後者の「役立つ」データ分析ができる人材を「ビジネスデータサイエンティスト」と定義しています。どんなに素晴らしいデータを分析したとしても、ビジネスの現場では「わかる」だけでは意味がなく、役立ってはじめて価値が生まれます。
学生を指導する際にも、研究職に進みたい人には「わかる」を追究してもらえばいいのですが、ビジネスに貢献できる人材になるには、データ分析でビジネスを発展させていくための「役立つ」能力も伸ばしていかなければなりません。これは従来の大学教育ではあまり注目されてきませんでした。
「『わかる』を大学で学び、『役立つ』は企業で学ぶべきではないか」と意見をいただくこともあります。しかし、「わかる」と「役立つ」では必要な思考回路が違うのです。「わかる」だけを追究していくと「とにかく予測精度が高いモデルを作ればいい」と考えがちですが、企業の現場では、どれだけ予測精度が高くてもビジネスに役立たなければ意味がありません。何を予測すればビジネスに役立つのか、予測モデルをどのように説明すれば企業の現場で活用してもらえるのかも考える必要があります。数学やプログラミングだけにとどまらない、より上位概念の思考力が問われるのです。
「役立つデータ分析ができる人材」には、どのような力が求められるのでしょうか。
まずは「課題発見力」です。今この瞬間も、日本中の企業で、数多くのデータ分析人材がデータから新たな発見をしているでしょう。しかしその発見を上司に報告しても、「それが何の役に立つのか」と返されて終わってしまっているかもしれません。
なぜそうなるかというと、課題を捉えられていないからです。ビジネスの現場にどんな課題があるのか。それを解決するために、データをどのように活用すればいいのか。それらを適切に捉えなければなりません。そのためには現場の人たちに質問をして、課題は何か、どのようなデータが使えそうかを明らかにしていく必要があります。
もう一つ、私がとても大切だと考えているのが「責任意識」。というのも、データサイエンティストとして働く人の中には、データ分析を高精度に行うところまでが自分の仕事だと考えている人が多いように思うからです。
分析結果が現場で活用されていないときに、「それは事業部側の責任ではないか」とデータサイエンティストが考えているようでは、役立つデータ分析の担い手にはなれません。大企業がデータ活用のコンペティションで優勝したような人材を採用してもうまくいかないケースがあるのは、こうした責任意識が欠如していることに原因があるのかもしれませんね。
ビジネスデータサイエンティストに求められる力
- 事業の成長や利益につながる、「役立つ」データ分析力
- ビジネスの現場の課題を見つる「課題発見力」
- データ分析を現場に活かす「責任意識」
「受け身の姿勢」でいるデータ分析チームは成果を出せない
河本さんは前職の大阪ガス時代、データ分析の専門組織「ビジネスアナリシスセンター」で所長を務められました。この組織は、大阪ガスの業務をどのように変えていったのでしょうか。
二つの事例を紹介したいと思います。一つ目は、家庭用のガス給湯器に関する業務です。大阪ガスは自社ブランドで給湯器を販売しており、故障やトラブルの際には自社のメンテナンス人員が出動して対応します。ただ、ガス給湯器は部品の点数がとても多く、すべてをそろえて現場へ急行することはできません。
そこで、勘と経験を基に「この部品が壊れているんじゃないか」と予測して、その部品を持って現場へ向かっていました。この予測が外れてしまうとその場で直すことができず、「また出直します」という対応になってしまう。そこでビジネスアナリシスセンターでは、過去のデータから部品ごとの故障確率を予測し、メンテナンス人員が部品を持ち忘れて再訪問することを減らす改革を行いました。
二つ目は、24時間・365日体制で稼働する緊急車両に関するものです。緊急車両は1台あたりの値段が高く、人員も必要となるため、なかなか増車できません。従来は限られた車両を勘と経験で配置してきたのですが、データ分析によって最適な場所に配置し直しました。
こうした事例以外にも、ビジネスアナリシスセンターは大阪ガス本体やグループ会社にさまざまなデータ分析ソリューションを提供しています。振り返ると、本当に多種多様な分野にデータ活用のチャンスがあったと感じます。
大阪ガスの事例のように、企業のデータ分析チームが成果を出すためにはどんなことが重要なのでしょうか。
データ分析チームが受け身の姿勢でいては、なかなか成果を出せないでしょう。
予算を持っている事業部が「こんなデータ分析をしてほしい」と依頼してくる内容は、ほぼ100%、注意すべきだと思います。なぜかというと、事業部側は往々にして「どんなデータ分析をすれば自分たちのビジネスに役立つか」が具体的に見えていないからです。無理もありません。データ分析をしたことがなければ、データ分析で何ができるかの青写真を描けないのは当然です。ふわっとした状態で「何かできるんじゃないか」と依頼され、課題を特定できていないままデータ分析業務を始めても、良い結果は得られません。
実は大阪ガスでも、チーム発足当初は同じような状態に陥っていました。そこで、事業部側からの依頼をどんどん打ち返し、本当の課題認識を突き詰めていくことで、「データ分析を請け負ってくれるチーム」ではなく、「そもそもの課題の時点から相談できるチーム」だと認識されるようになったのです。私たちのチームはデータ分析でビジネスを改革してきた経験知があり、現場の人はビジネスの課題を理解している。それをつなげることで、課題解決に向かう真の青写真が描けるようになりました。
人材育成に向け、優秀な社員を大学院へ派遣する動きも
ビジネスデータサイエンティストが欲しいと考えつつも、思うように採用できていない企業は少なくないと思います。人材確保の観点で、企業はどのような取り組みを行うべきでしょうか。
企業内には、数学やプログラムの素養を持った人材が少なからず存在するはずです。これまではそうした素養をポテンシャルとして秘めたまま、ビジネス現場の課題と向き合ってきたかもしれません。
そうした人にデータサイエンティストとしての教育を施せば、飛躍的に成長する可能性があります。教育は本当に大切です。たとえばJR西日本では、数学やプログラムの素養を持つ人材を新幹線運転士からデータ分析人材へとコンバートしています。同社ではデータ分析のコンペティションを開催するなかで、「素養を持つ運転士」の存在を発見しました。こうした可能性は、他社にも眠っているはずです。
素養を持つ人材を見つけた後に、ビジネスデータサイエンティストを育成していくために企業や人事が取り組むべきことは何でしょうか。
期待を裏切ってしまう回答かもしれませんが、大前提として、「ビジネスデータサイエンティストとして活躍した経験がなければ、ビジネスデータサイエンティストを育成できない」と考えています。私自身、若いころにビジネスデータサイエンティストとして活躍した経験があるからこそ、若手を育成することができたのです。
その上で、前職時代の手痛い失敗をお話ししたいと思います。理系の大学院出身の新入社員が私のチームに配属されたときに、いきなりデータ分析の仕事をさせました。しかし、このやり方では、ビジネスデータサイエンティストとして成長しませんでした。
冒頭で「わかる」と「役立つ」の違いを述べましたが、この育成シーンでは「わかる」データ分析のテーマを新入社員に与えてしまっていたのです。そのため、本人は、学生時代もやってきた「わかる」データ分析と、企業で必要な「役立つ」データ分析の違いが曖昧なままになり、「会社に利益をもたらす」というゴールを意識も醸成できなかったのです。
この失敗を経験してから、私はまず「新入社員が会社に役立つ人材に育つ仕事」を必死に探すようになりました。それはまさにビジネスデータサイエンティストとしての仕事です。現場担当者なかなか協力してくれないかもしれない。それでも、データ分析をして現場業務を改革しなければならないし、その期限は明確に決まっている。
こうした「逃げることができない仕事」をあらかじめ用意したのです。新入社員はとても苦労したと思いますが、これを乗り越えることで、ほぼ確実にビジネスデータサイエンティストとして成長していきました。
ビジネスデータサイエンティストとしての仕事を理解し、求められるスタンスを含めて教えてあげられる人材がまずは必要なのですね。
だからこそ私は大学で、そうしたミッションを担えるビジネスデータサイエンティスト人材を育成しているのです。数学とプログラミングだけができる人材ではなく、小さくてもビジネスで成果を出し続けていける人材を輩出していきたいと考えています。
また、滋賀大学 大学院のデータサイエンス研究科には、企業派遣の社会人も多数在籍しています。さまざまな企業がビジネスデータサイエンティストの育成を目指して社員を派遣しているのです。
ビジネスの現場を経験した30〜40代の優秀な人材が、ビジネスパーソンとしての覚悟を持って学びに来ているわけですから、大きな成長を期待できるでしょう。ビジネスデータサイエンティストを育成したい企業は、ぜひ滋賀大学を頼っていただければと思います。
50代以降のキャリアイメージをビジネスデータサイエンティストが描ける状態になっているか
ビジネスデータサイエンティストを育成し、成果を出してもらうために、企業が人事制度面で考えておくべきことはありますか。
人事制度を見つめ直すことは非常に重要です。というのも、「ビジネスデータサイエンティストを自社に根づかせる」ことは、ビジネスデータサイエンティストを育成すること以上に難しいからです。
日本企業では、同期がたくさん入社し、同じスタートラインに立つものの、次第に役職や給料で差が出てきます。こうした状況下で、ビジネスデータサイエンティストであることが会社員として不利になるようでは活躍してくれるはずがありません。ビジネスデータサイエンティストを根づかせるために、彼らが「会社員として幸せになれる」ことも大切です。
具体的な制度設計のポイントを教えていただけますか。
キャリアアップも含めたやりがいを提供することです。「前年と同じ仕事をやらされ続けている」「やれどもやれども、なかなか評価されない」という状態では、やりがいを感じることはできません。自分自身が成長し、評価されていると感じられるような評価制度を設けることが大切です。
また、昨今では会社員のキャリアの終点がどんどん遠くなっています。国は「70歳までのキャリア設計」を提唱しているほど。こうした長期ビジョンでのキャリアをビジネスデータサイエンティストが描けるようにしていくことも重要でしょう。
研究者であれば企業でも「シニアリサーチャー」としての道が確立されていますが、ビジネスデータサイエンティストが50代以降のキャリアイメージを描ける企業はほとんどないのではないでしょうか。「CDO(Chief Data Officer)」のような役職を設けたとしても、それになれるのは一人だけですから。
人事制度面で考えておくべきこと
- 所属する組織の一員として幸せになれるか
- 成長し、評価されていると感じられる評価制度であるか
- (50代以降など)長期ビジョンでのキャリアイメージを描くことができるか
近年ではジョブ型雇用の流れに対応し、マネジメントだけでなく、スペシャリストとして出世していく道を用意する企業も増えています。
こうした対応も重要だと思います。ただし、本当にビジネスデータサイエンティストが社内で存在感を発揮できるようにするには、データ分析という業務そのものの認知度を高めていく必要があるでしょう。取ってつけたような制度だけでなく、会社の文化として「データ人材は重要なのだ」という認識を育てていけるかどうかが問われているのです。
経営者の意識も問われています。「データ分析が重要だ」と腹落ちして発信している経営者と、「なんとなく」で発信している経営者とでは、社内の認識は大きく異なるでしょう。その意味では、人事部長の意識も同様です。データサイエンティストが必要だと考えている人は多いと思いますが、「なぜ自社にビジネスデータサイエンティストが必要なのか」を腹落ちさせ、自分の言葉で語れているでしょうか。採用シーンにおける人材の見極めにも関わる大切なポイントなので、ぜひ意識して取り組んで欲しいと思います。
(取材:2021年5月12日)