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トレンド企業の取り組み2019/03/20

老舗旅館「陣屋」の危機を救った女将とテクノロジー
――社内SNSを通じたディスカッションと情報の見える化

実践活用事例戦略立案業務効率化リモートワーク・働き方社内コミュニケーション

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週休3日制を導入するなど、従来の旅館業の常識を覆す新たな働き方を実現して注目を集める、鶴巻温泉の老舗旅館「陣屋」。しかし2009年には、バブル崩壊後の客足減少から回復できず10億円もの負債を抱え倒産の危機に追い込まれていたといいます。この苦境から脱出するために進められたのが、独自開発したシステム「陣屋コネクト」を軸とした従業員の意識改革でした。瀕死の老舗旅館は、どのようにして復活を果たしたのか。その現場を主導してきた代表取締役女将の宮﨑知子さんに、テクノロジーの観点からお話をうかがいました。

プロフィール
宮﨑 知子さん
宮﨑 知子さん
元湯 陣屋 代表取締役 女将

みやざき・ともこ/大学卒業後メーカー系リース会社にて営業職に7年間従事し、結婚を機に退職。サービス業未経験のまま2人目の出産2ヵ月後の2009年10月に、倒産の危機にあった鶴巻温泉元湯陣屋の女将に就任。夫・宮﨑富夫氏とともに業務改善のため、クラウド型ホテルシステム「陣屋コネクト」を独自開発し、ICTを活用したデータ分析とおもてなし向上を実現。2015年攻めのIT経営中小企業百選選定(経済産業省)、宿泊業では唯一、2018年はばたく中小企業・小規模事業者300社選定(中小企業庁)、2018年第2回日本サービス大賞総務大臣賞受賞(日本生産性本部)、2018年第4回ジャパン・ツーリズム・アワード優秀賞(公益社団法人 日本観光振興協会)を受賞。

「なぜだろう?」と思うような無駄がたくさんあった

かつては「負債10億円、倒産まであと半年」という切迫した状況にあったとうかがいました。ここから、まずどのように改革を進めようと考えたのでしょうか。

夫は跡取り息子ではありましたが、それまではホンダに勤める技術職。私は大学を出て大手電機メーカー系のリース会社に就職し、事務機器を扱うBtoBの仕事をしていました。サービス業の経験といえば、学生時代のパン屋さんのアルバイトくらい。夫も私も旅館業のことは何も知らないし、陣屋のこともほとんどわかっていませんでした。だから最初の1ヵ月は従業員に仕事を教わり、宿泊プランや料理など簡単な商品説明に対応しながら、状況を分析することに徹していました。

その当時、大きな負債を抱えていることは従業員には知らされていませんでした。「いざとなればオーナー一家が頑張るだろう」といった雰囲気で、90年の伝統のままに旅館業を続けていたんです。

状況分析を経て、まずはこの危機的な状況をみんなに知ってもらうことが必要だと考えました。売り上げが下がっていること、利益が出ていないこと、このまま放置するわけにはいかないこと――。そうした現実を夫が従業員にわかりやすく説明し、理解してもらいました。

課題が明確でも、実際に改革に着手するのは難しいのではないかと思います。従業員の方々からはすぐに理解を得られたのでしょうか。

従業員はそれぞれの持ち場を愛しているので、納得してもらえるように説明しました。当時はレストランが本館と別館に一つずつ、計2ヵ所ありました。それに伴い厨房も2ヵ所。2チームに分かれて協力しにくい状況だし、収益的にもプラスにはならないので、別館のレストランを閉めようと考えたんです。時期は12月の繁忙期前。そのタイミングで一方を閉めるという話に疑問の声も上がりましたが、収益情報などを数字でわかりやすく示して理解を得ました。すでに予約のあったお客さまには1件ずつ電話で説明し、本館のレストランに変更していただきました。

そうしてサービスを集約し、全館で部屋出しをしていた食事も変えました。敷地面積1万坪、客室20室という中では、厨房から離れた部屋へ器がたくさんある料理を運ぶこと自体が大変な業務です。重いし、料理が冷めてしまうというデメリットもある。当時は「廊下を歩いて料理を運ぶだけ」の男性アルバイトもいたくらいなんです。でも、彼らは料理を運ぶことだけが仕事で、部屋の前にただ置いていくだけなので、部屋の中にいるサービス係には料理が届いたことが伝わりません。こうしたことがクレームにもつながっていました。

この状況を変えるため、部屋食を希望するお客さまは厨房に近い部屋をアサインし、それ以外のお客さまはレストランにご案内するようにしました。これによってレストランの稼働率も上がりました。食事の提供一つとっても、「なぜだろう?」と思うような無駄がたくさんあったんです。従業員にはそれを一つずつ説明し、変えていきました。試行錯誤の連続でしたね。

2009年10月当時の経営状況分析(老舗旅館「陣屋」の危機的状況を変えた女将とテクノロジー ――社内SNSを通じたディスカッションと情報の見える化)

2009年10月当時の経営状況分析

改革への道筋を決定づけた偶然の出会い

改革では自社開発した「陣屋コネクト」を活用されています。テクノロジーを導入しようと考えたのはなぜでしょうか。

お客さまからのクレームの理由を見ていくと、「情報伝達ができていないこと」によるものが多数でした。先ほどの「料理を運ぶアルバイトとサービス係の連携不足」がまさにそれにあたります。

お客さまから何らかのご要望を受け、フロントからサービス係への内線PHSを鳴らし続けても、接客中なので出られない。逆にサービス係からフロントへかけても接客中で出られない。そんなことばかりが起きていて、互いに不満が高まっていく状況でもありました。これを解決するためには、瞬時に情報を共有する仕組みが必要だと考えました。

従業員同士でやり取りをして解決したことは、本来であればナレッジとして全体に共有すべきなのに、できていませんでした。また、当時は予約台帳でも何でも情報管理が紙ベースで、一つひとつの作業にも膨大な手間が発生していたんです。アナログのままでは変わらない。何か「道具」を使わなければ改善できないと思いました。

そのためのシステムである陣屋コネクトを自社で開発したのはなぜですか。

イニシャルで大きなコストをかけられる状況ではなかったからです。私はリース会社にいたので、システム入れ替えに高額な費用がかかることを知っていました。しかもITのトレンドはどんどん変わっていきます。会社員時代にはOSが新しくなるたびに高額な予算がかかる状況も見ていたので、「予算がある企業ならまだしも、自分たちには無理だ」と思っていました。メンテナンスのできる人材がいないので、内部でサーバーを抱えるわけにもいかない。悩んだ末に、夫が当時広がりつつあった「クラウド」に目をつけたんです。

自分たちの選定要件を満たしつつ、予算を抑えて導入できるシステムは世の中にはない。「だったら自分たちで作ればいいじゃないか」という発想になっていきました。

そんなときに、たまたまエンジニア経験のある人がフロント係を希望して応募してきてくれました。本人は「これまでとは違う仕事をしてみたい」と思っていたそうですが、持っているスキルがあまりにもピッタリで、驚きました。エンジニアの求人を出していたわけでもないのに、自社開発を担える人材が来てくれたんです。これは本当に不思議な偶然ですね。

彼は夫から「うちのコアになるシステムを一緒に作らないか」と持ちかけられ、一気にエンジニアとしてのモチベーションが高まったようでした。最初の面接の場で「選ぶべきプラットフォームはSalesforceだ」という提案までしてくれました。当時登場し始めていたさまざまなクラウドサービスの中でも、Salesforceはピュアな技術を有している、と。それで、さっそく次の日から出社してもらい、開発の段取りを進めてもらいました。

偶然の出会いがあり、その方が自社開発に意欲を燃やしてくださったことで今の陣屋コネクトがあるのですね。

陣屋を改革したい、何とか前に進みたい、という情熱に共感してもらえたのではないかと思います。当初は「何をやっているんだろう?」という目で彼の姿を見ていたほかの従業員も、少しずつ協力してくれるようになっていきました。限られた時間で開発に勤しむ彼のために調理長がまかないを作ってくれたり、「システムの利用に協力してやれよ」と周りの従業員に声をかけてくれたり。彼は現在CTO(最高技術責任者)として、オフショアで20名近いプログラマーを束ねています。

「社内インフルエンサー」を称賛して利用を促進

陣屋コネクトでは、具体的にどのような機能を提供しているのでしょうか。

労務管理においては、タイムカードと同じ機能を持っています。社内で勤怠管理をしながら外部の会計事務所へデータをエクスポートし、社会保険などの計算をお任せしています。

タイムカードとしての機能を持たせたことで、従業員もどんどんシステムを使うようになっていきました。今では70代の従業員も使っています。館内にはあちらこちらに共有のPC端末があり、接客のメンバーなどは全員がPCとモバイル端末を持っています。

また、従業員同士のコミュニケーション機能も陣屋コネクトの重要な要素です。清掃の合間やお客さまを迎える時間の前に、従業員同士が社内SNSを使って会話し、情報共有を行っています。

従業員間のコミュニケーションでは、どのようなことが話されているのですか。

例えば「今月のイベントとして“りんご湯”をやりたい」と提案する人がいれば、コメントを書いて意見を出し合ったり、実際に準備を進める際には進捗を共有しあったりという形で使われています。お客さまからの伝言を共有することも多いですね。陣屋に来てくださるお客さまのことを、従業員全員がわかるようにしているんです。「差し入れをいただいたので、みんなでお礼を言いましょう!」といった具合です。陣屋コネクトのインサイドセールス部門には在宅勤務のメンバーもいますが、社内SNSでのコミュニケーションが盛んなので情報共有で不利になることはありません。

こうした社内コミュニケーションや会社としての戦略、財務状況など、さまざまな情報をシステム内で共有しています。従業員は、毎月の売り上げも会社の預金残高も、役員報酬もすべて見られるようになっています。

社内SNSの画面と経営レポート開示(老舗旅館「陣屋」の危機的状況を変えた女将とテクノロジー ――社内SNSを通じたディスカッションと情報の見える化)

社内SNSの画面と経営レポート開示

アナログな体制からデジタルへ移行する際には、ITリテラシーの高低によって従業員の間で活用レベルの差が生じてしまうことも少なくありません。陣屋コネクトではこの課題をどのように解決したのでしょうか。

社内SNSには「どんなことでも書いてほしい」と伝えています。「連泊のお客さまが近隣の観光スポットを回りたいとおっしゃっています。私は地元出身ではないので、良いスポットを教えてもらえませんか?」といった質問を投稿するのもOK。こうしていろいろなアドバイスを得ることができます。

また、システムの活用を促進するために、利用頻度の高い従業員を「社内インフルエンサー」として称賛する取り組みも行っています。「発信しているか」「人の投稿に“いいね”をつけているか」「自分の投稿に“いいね”がついているか」を数値化して、優秀者を表彰するという社内キャンペーンです。

こうして促進していった結果、社内で議論すべきことはほとんどすべて、システム上で行われるようになりました。例えば先日、社長から内部の改装工事のアイデアを共有して意見を募ったときには、400件以上のコメントが集まりました。「あそこに棚があると邪魔になる」とか「ここがデッドスペースになる」とか……。こうした意見に返信しながら合意形成をして議論を進めていくのも陣屋の特徴です。

数字を発表するだけの会議は不要。テクノロジーで会社が変わる

システムの活用によって社風そのものも変化した、ということですね。

宮﨑 知子さん(元湯 陣屋 代表取締役 女将)

そうですね。情報がすべてオープンなので、階層や派閥は生まれません。言いたいことや疑問点はどんどん書き込めるので、従業員のストレスもたまりにくいのではないでしょうか。各部門からどんどん建設的な意見が出され、議論を進めて、経営側で最終的に決めるべきところを決めるというスタイルが定着しました。みんな自分の意見をはっきりと出しているので、希望が叶わなくても不満にはなりにくいんです。

また、現在当社ではほとんど会議を行っていません。社長の年頭あいさつも社内SNSで発信しているくらいです。システム上でダッシュボードを見れば分かるようなこと、例えば数字を発表するだけの会議は不要なんです。

会議といえば木曜の午前中に1時間、「報告会」をリアルで開催する程度。現状の課題は何か、どう改善していくかを共有し、PDCAを回していくための場ですね。リアルな場で宣言し、実行していくことに意味を持たせるとともに、人前でプレゼンテーションをする訓練の場としても続けています。

もちろん、ここで話した内容もシステム上で共有しています。プロジェクトとして動き始めたものは「タスク終了」を押して完結しない限り、いつまで経っても進捗を確認されます。こうして一つひとつのプロジェクトを着実に進めています。

今後、テクノロジーの活用において課題に感じていることはありますか。

「人事評価制度の見える化」は、これからの課題の一つだと考えています。今はシステム内で社内コミュニケーションやプロジェクト進捗などの情報がすぐにわかるようになっていますが、人事評価については年1回の面談を設けて進めており、まだまだ改善の余地があるのではないかと思っています。

団塊の世代が抜けて世代交代が進む中、マネジメントを担う人材をどう育成するかは多くの企業に共通する課題だと思います。従来は属人性の高かった人事業務においては、担当者のナレッジが社内に蓄積されず、引き継がれないままになってしまう恐れもある。それは当社も同様です。テクノロジーの活用で、人事評価の質を高めていきたいですね。

ありがとうございます。最後に、まだテクノロジーを活用しきれていない企業、あるいはテクノロジーの導入に懸念を持つ企業に向けて、アドバイスをいただけますでしょうか。

従来の積み重ねを否定したり、変革ありきで話を進めてしまったりすると、テクノロジーの活用や浸透は難しくなるかもしれません。私たちは、陣屋の経営を引き継ぐときに「何かを変えよう」という意識ではなく、「この問題を解決したい」というスタンスで従業員と話をしてきました。その入口としてスピーディーな情報共有が必要であり、テクノロジーという道具が必要だったということです。

アナログからデジタルへどんどん切り替わっていくときにも、昔から陣屋に貢献してくれている従業員の頑張りを否定することはありませんでした。「みんなの頑張りを、より良い結果につなげていきたいんです」「あなたが今担当している仕事がなくなったとしても、あなたに辞めてもらっては困るんです」。そんな話をしてきました。そうしたコミュニケーションを経て、「今までとは違うけど便利だね」と従業員に感じてもらうことが、テクノロジー導入には欠かせなかったからです。

もちろん人がやるべき仕事は残りますが、人がやらなくてもいいことはデジタル化すべきでしょう。旅館業で言うなら、お客さまはデジタルやテクノロジーにもてなしてほしいと思っているわけではないので、表に出る接客係は従来以上に「人の力」を発揮しなければなりません。その代わりに、バックヤードはどんどんデジタルに置き換えていけばいいと思います。私たちも、人が本来やるべき業務に集中できる環境を作るため、さらにテクノロジーの活用を進めていきたいと考えています。

宮﨑 知子さん(元湯 陣屋 代表取締役 女将)

取材は2019年2月14日、神奈川・秦野市の鶴巻温泉 元湯 陣屋 旅館にて

企画・編集:『日本の人事部』編集部

Webサイト『日本の人事部』の「インタビューコラム」「人事辞典「HRペディア」」「調査レポート」などの記事の企画・編集を手がけるほか、「HRカンファレンス」「HRアカデミー」「HRコンソーシアム」などの講演の企画を担当し、HRのオピニオンリーダーとのネットワークを構築している。


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