人的資本経営とミドルマネジメント(中間管理職)

人的資本経営の推進には、経営の理想を現場に落とし込む「ミドルマネジメント(中間管理職)」が重要な役割を果たします。一方で、現場や人事部門が描く理想の人的資本経営が、ミドルマネジメントにとって大きな負担となっている場合があります。トップの発信から始まることの多い人的資本経営が現場での実行力を持つため、ミドルマネジメントには何が求められるのでしょうか。その役割をあらためて確認した上で、必要な取り組みについて考えます。
ミドルマネジメントの役割
マネジメントは、その役割や役職により、三つの階層に分類されます。経営層である「トップマネジメント」、中間管理職である「ミドルマネジメント」、現場の監督者層である「ロワーマネジメント」です。それぞれ重要な役割ですが、ミドルマネジメントは組織運営を円滑に進めるために重要な存在といえます。
人的資本経営の文脈で見たとき、トップマネジメントは人的資本経営のビジョン策定および発信、ミドルマネジメントはビジョンの現場への翻訳や推進、ロワーマネジメントは実践の最前線の役割を担います。どれだけ立派なビジョンを掲げても、ミドルマネジメントが機能不全に陥れば、人的資本経営は絵に描いた餅となりかねません。
ミドルマネジメントが適切に機能することで初めて人的資本経営が現場に浸透し、従業員一人ひとりの力を最大限に引き出すための仕組みが構築されていきます。一方でミドルマネジメントには現在、多様な役割が求められています。
組織の目標達成
ミドルマネジメントの最終的な役割は、戦略目標を自部門の業績目標やKPIに落とし込み、チームを率いて結果を出すことです。目標達成のためには業務計画を策定し、メンバーにタスクを割り振り、進捗を管理する必要があります。人的資本経営の観点からも、メンバーのエンゲージメントスコアや離職率、キャリア自律の達成度など、多様な目標が掲げられることになります。
経営層と現場の橋渡し
トップマネジメントが示す経営ビジョンを現場に伝え、その戦略をチームが達成すべき具体的な目標に落とし込み、達成に向け推進していきます。同時に、現場で起きている事実や課題、メンバーの声を吸い上げて経営層に伝達し、トップと現場のコミュニケーションギャップを埋めることも重要な役割です。ときには、ミドルマネジメントが「いま何が必要か」を考え、ステークホルダーを巻き込んで行動に移すことも期待されます。
横の調整
ビジネス環境が複雑化する中で、組織内の異なる部署・チーム間で情報共有や協働を促し、全社的な目標達成に向けて部門間の足並みをそろえることも、ミドルマネジメントの役割です。ミドルマネジメントには、部門横断的な調整役としての役割を果たすことが期待されているのです。円滑な調整は新たなシナジーを創出し、結果として組織目標の達成、会社の成長につながっていきます。
部下の育成・評価
ミドルマネジメントには、メンバーの育成と評価という難易度の高い責務もあります。日本の人事部『人事白書2025』の調査結果によると、「管理職に求める能力」として最も回答が多かったのは「部下の育成スキル」(34.6%)でした。次点の「戦略策定能力」(17.4%)の2倍近い割合となっています。
部下一人ひとりの持つ多様な可能性を信じて能力を最大限に発揮させ、継続的な成長を支援していくことは、人的資本経営の観点からも極めて重要です。そのため業務指導やミーティング、1on1を通じて、部下の課題や悩みを把握し、適切に助言することが求められます。評価の場においても、メンバーがその評価に納得し、モチベーションが高まるようなフィードバックを心掛ける必要があります。
リスクマネジメント
起こりうるトラブルを事前に予測し、予防策を講じるリスクマネジメントが重要です。トラブルを予測するためには、メンバーやプロジェクトの性質、また進捗状況をリアルタイムで把握しておくことが求められます。トラブルが発生した際は、すみやかに対応しなければなりません。そのためには、論理的思考力や想像力、メンバーとのコミュニケーションなどが必要です。
エンパワーメント
かつてミドルマネジメントは、どちらかといえば「業務管理」に比重を置いていました。しかし昨今のように変化の激しい環境では、単なる業務管理だけでは不十分です。メンバー一人ひとりと対話して強みや弱みをしっかりと理解し、本人に言語化して伝える。次にメンバーが自律的・能動的に動ける環境を整える。そのうえで動機付けを行い、目標と方向性を示した上で信頼して任せていく、といった対応が求められます。メンバーに信頼してもらうためには、ミドルマネジメントが自己開示していくことも効果的です。
- 【参考】
- ミドルマネジメント|日本の人事部
人的資本経営の実装における“ミドルマネジメントの壁”
ミドルマネジメントの役割は多岐にわたります。さらに、ビジネス環境の変化や人的資本経営を始めとする本業以外の目標の達成が求められるようになったことで、業務の難易度は格段に上がっています。そんなミドルマネジメントに今、多くの“壁”が立ちふさがっています。
「管理職になりたくない」という意識
業務量の増加、業務量に見合わない給与体系などを理由に、「管理職になりたくない」と考える従業員が増えています。パーソル総合研究所によると、2025年に「現在の会社で管理職になりたい」と回答した人は16.7%で、過去8年で最低の数字となりました。そもそも「なり手がいない」ことが、ミドルマネジメントの最初の壁と言えます。
プレイングマネジャーの増加による業務過多
ミドルマネジメントがプレイヤーとしての役割を兼ねるケースは少なくありません。リクルートワークス研究所の調査によると、「プレイング業務をまったく行っていない」と答えたマネジャーは全体の12.7%にとどまりました。つまり約9割のマネジャーが、ただでさえ多岐にわたるマネジメント業務に加え、自分自身の担当業務の遂行に時間を取られてしまっているのです。その結果、「管理職が疲弊している」「戦略立案や人材育成に時間を割けない」といった声が聞かれるようになりました。
抽象的な指示への対応
提示される経営方針が抽象的で、現場に落とし込みにくいケースは少なくありません。人的資本経営もその一つです。経営層から「人的資本経営を推進せよ」と指示を受けても、ミドルマネジメント層は“自社にとっての人的資本経営”が意味するところがわからず、具体的に何をすれば良いのかをつかみづらい場合があります。ミドルマネジメントが人的資本経営について腹落ちしていない状態であれば、必然的に現場へ実効性を持たせることが難しくなります。
経営部門と現場のギャップ
経営層は中長期的な視点から、必要な投資や制度改革を企画立案します。一方、現場では目の前の業績責任や日々の業務マネジメントを優先せざるを得ないこともあります。すると、人的資本経営の推進のために経営層が良かれと思って導入した施策が、現場からは負担増やコスト増と否定的に受け止められることもあるかもしれません。逆に、現場が人的資本経営の重要性を訴えても、経営陣が理解を示さないケースも考えられます。そのような場合、ミドルマネジメントは経営と現場との間で板挟みを強いられることになります。
ビジネス環境・経営戦略の移り変わりの速さ
市場動向やテクノロジーが日進月歩で変わる中、経営戦略もその都度見直しや軌道修正を迫られます。ミドルマネジメントには市場やテクノロジーの変化に対応しながら、一方で現場の安定運営を維持することが求められるでしょう。また、たとえばメンバーシップ型雇用からジョブ型雇用への転換などの従業員に影響の大きい変革は、ミドルマネジメントが現場の抵抗感を受け止めつつ推進役を担うことになるため、大きな負担となります。
心理的プレッシャー
キャリア自律を掲げる企業が増える中で、ミドルマネジメントは評価者の役割だけでなく、キャリア支援者の役割も期待されています。しかし、自身の経験だけでは多様なキャリアパスを提示しきれなかったり、メンバーの希望と組織のニーズとの調整に苦慮したりするケースが見られます。またハラスメント防止、メンタルヘルスへの配慮の観点から、指導の難易度も上がっています。その上で一人ひとりの可能性に合わせることは、ミドルマネジメントに高度な対人スキルを求めることになり、大きなプレッシャーにつながります。
多様性の増加
性別・年齢・国籍・価値観などが多様な人材が共に働く職場環境は、イノベーションが起こりやすい一方で、画一的なマネジメントが通用しにくくなります。ミドルマネジメントは各メンバーの背景や強み・志向を理解し、それに合わせて指導スタイルやコミュニケーションを調整しなければなりません。そのためにはまず自己変革を推進し、自身が持つアンコンシャスバイアスを克服することが求められます。
リーダーシップの多様性も広がっています。かつてはトップダウンで明確な指示を出す指示型のリーダーシップが主流でしたが、現在は部下を支えることに重点を置いたサーバントリーダーシップや、リーダーが部下に報酬や罰を用いて成果を促すトランザクショナルリーダーシップ、組織の構成員それぞれが相互に影響力を発揮するシェアドリーダーシップなど、さまざまなリーダーシップ論が展開されています。組織と自身に合ったリーダーシップを模索できる利点がある一方で、何が組織と自身に合ったリーダーシップなのかを選択することの難しさもあります。
ミドルマネジメント向け施策の再設計
ミドルマネジメントが人的資本経営の推進力となるには、ミドルマネジメントに対する支援策や制度を再設計し、役割を果たしやすい環境を整えることが不可欠です。
「自社に必要なミドルマネジメント」の再定義
最初に取り組むべきは、自社にとって望ましいミドルマネジメント像の再定義です。その際、「リーダーをいかに育成するか」「自社では特にどの要素を重視するか」が語られていなければ、理想だけで終わってしまう可能性があります。ミドルマネジメントの育成自体を人的資本経営の文脈の中に位置づけ、期待する役割・責任・スキルセットを言語化することが重要です。
たとえばGoogle社では、評価の高いマネジャーに共通する10の行動様式を見つけ、「Googleマネジャーの行動規範」として公開しています。
- 良いコーチである
- チームに任せ、管理しない
- チームの仕事面の成果だけでなく健康を含めた充足に配慮しインクルーシブ(包摂的)なチーム環境を作る
- 生産性が高く結果を重視する
- 効果的なコミュニケーションをする―人の話をよく聞き、情報を共有する
- キャリア開発をサポートし、パフォーマンスについて話し合う
- 明確なビジョンや戦略を持ち、チームと共有する
- チームにアドバイスできる専門知識がある
- 部門の枠を越えてコラボレーションを行う
- 決断力がある
望ましい像を定義したら、どのような業務を任せるのか、どの程度メンバーへの権限移譲を認めるのか、あるいは権限移譲についてどのような段階を踏むべきなのかといった設計も行います。そしてミドルマネジメントに就くことが「報われる」と感じられるよう、納得感のある人事評価制度を設計することが重要です。
ミドルマネジメントの重要性の発信
自社に必要なミドルマネジメントを再定義した後は、その定義を社内に広く共有します。まずは全社に「ミドルマネジメントの重要性」および「なぜミドルが変わらなければいけないのか」を繰り返し説き、社内でミドルマネジメント重視の文化を醸成することが重要です。
ミドルマネジメントに対しては、プレイヤーの延長線上のマネジメントではなく、あくまでミドルマネジメントとして何をすべきかを認識してもらい、意識改革を促すことが重要です。
ふさわしい人材を見極める
定義した「自社に必要なミドルマネジメント」に沿って、ふさわしい人材を見極め、配置します。重要なのは、年功序列やこれまでの業績よりも、自社が定義したミドルマネジメント像にその人物が合っているかどうかです。その際、360度評価や社内公募制などを活用すると効果的でしょう。
一度昇進した人材も場合によっては降格させる、といった柔軟性を取り入れることも検討すべきでしょう。またミドルマネジメントには、自らが会社の中核をなす存在であることを自覚し、ふさわしいふるまいを心掛けることが求められます。
学習機会の提供
ミドルマネジメントには、多岐にわたる能力が求められます。その能力を十分に発揮してもらうためには、継続的な学習機会を提供していく必要があります。ミドルマネジメントは目の前の忙しさに対応するあまり自己研鑽(けんさん)がおろそかになってしまうこともあるため、組織が意図的に学びの場を設けることが重要です。
管理職全員に向けたマネジメント研修やDX研修、あるいは個人ごとに必要だと思うテーマを選択できるe-ラーニングのような学習機会は導入しやすいでしょう。コーチングやケース学習、越境学習など、一歩上の視座を獲得するための施策も検討すべきです。
エンゲージメントの向上
ミドルマネジメントは上からも下からも要求が多く、モチベーションを損ないがちな傾向にあります。そのため、企業や自身のパーパスを再確認させ、将来的なキャリア展望を描けるように支援することも重要です。
ミドルマネジメントのエンゲージメントが高いと、チームの士気を高く保つことができます。キャリアを言語化する場面をつくることや、成果だけでなくマネジメント行動自体が評価される制度や文化を醸成していくことが求められます。エンゲージメントサーベイを実施し、いまミドルマネジメントが何を考えているかを把握することも有効です。
企業事例
日揮グループ
日揮グループは、長期ビジョン「2040年ビジョン」のもと人材マネジメントの刷新に取り組んでいます。その一環として、グループの一部で部長職の役割再定義と分業化を実施しました。具体的には、部長と共に部門運営を担っていた部長代行職を廃止し、代わりに「CDM(キャリアデベロップメントマネージャー)」と「PCM(プロジェクトコーディネーションマネージャー)」を設置。現在は部長・CDM・PCMの三位一体で部門マネジメントを行う「管理職分業」体制となっています。
「管理職分業」では、部長が全体統括を担い、CDMは人材育成や部下のキャリア開発を、PCMはプロジェクト管理や人員配置の調整を行います。管理職分業が生まれた背景には、業務の複雑・困難さが増したことで、「一人ですべての部長業務を担うことが難しい」との危機意識がありました。これまで部長が背負っていたミッションを分担することで、専門性を高めつつ負荷を軽減する狙いがあります。
それぞれのミッションを明確化したことで、メンバーが相談しやすい環境が生まれ、ある部門では部員の8~9割がこの制度を「評価している」と回答しています。CDMについては人事が担うのではなく、部長や部長代行ができる人材に任せており、今後は人事とCDMがお互いの知見を出し合うことで、さらに効率的な施策を打ち出すことを目指しています。
味の素
味の素株式会社は、かねてより「ASV(Ajinomoto Group Shared Value)経営」を掲げてきました。ASVとは企業が自社の売上や利益を追求するだけでなく、自社の事業を通じて社会が抱える課題や問題に取り組むことで社会的価値を創造し、その結果、経済的な価値も創造されることを意味します。ASV経営の原動力は人財、技術、顧客、組織という四つの無形資産であり、中でも人財はすべての無形資産の価値を高める原動力だとしています。
同社では、ジョブ型制度の導入やDX人材の育成など、さまざまな取り組みを展開していますが、事業展開や必要なスキルの移り変わりの速さから、マネジャーにあたる基幹職から「部下へのアドバイスが難しい」といった声が聞かれました。そこで定期異動が行われる7月から8月にかけて、自身のキャリアについて考え、キャリアにまつわるナレッジや観点を習得する機会である「キャリフェス」を開催。一般職向け、基幹職向けそれぞれのコンテンツを用意して自由に参加を募り、キャリア自律を促しています。
またリーダーに対しては、必要なマインドセット・スキルの醸成を階層別に教育。研修ではリーダーシップやマネジメントのほか、デザインシンキングや傾聴力向上といった多彩なプログラムを用意しています。「従業員が安心して挑戦するには上司の理解と支援が重要」として、全管理職に対してのコーチング研修を実施しているほか、基幹職に対してもコーチングセッションを行っています。
資生堂
「PEOPLE FIRST」を経営理念に掲げる資生堂は、変革をリードするマインドと能力を兼ね備えたリーダーの育成が重要だと考え、同社におけるリーダーシップモデルを「Futurists, Leading Change(未来を創造する変革リーダー)」と定義。階層ごとに必須プログラムを提供し、マネジメントへの支援に注力しています。
各領域の幹部候補社員に対しては、次世代を担う経営リーダーを育成する施設である「Shiseido Future University」を開設し、リーダーシップや経営スキルなどの能力開発と国を超えたネットワークの構築を目的としたリーダーシップ開発プログラムを実施しています。女性リーダー育成塾「NEXT LEADERSHIP SESSION for WOMEN」では、女性社員がマネジメントや経営のスキルを学びながら、自分らしいリーダーシップスタイルを見つけるプログラムを展開。その結果、日本国内の女性管理職比率は2017年の29%から、2025年は41.1%まで上昇しています。
制度面ではジョブ型人事制度を導入し、目指すべき専門性の領域を「ジョブファミリー」としてそれぞれのジョブファミリーに必要な専門性とスキルを明示。年功的な運用を廃止し、若手でも早期の昇格が可能になりました。今後は管理職層に自身のポジションのジョブディスクリプションを作成させ、個々の部下に最適なジョブをアサインできるようになることを目指しています。