人的資本経営を推進する企業の「採用戦略」とは
技術の進歩やVUCA時代の到来、少子高齢化の進展などにより、人材獲得競争が激化しています。そのような中で、人的資本経営の推進は採用においても大きな効果を発揮することが期待されています。人的資本経営と採用とのかかわりや企業が取り組むべき施策、具体例について解説します。
企業の採用の現状
企業の採用の実態
リクルートワークス研究所の「第40回 ワークス大卒求人倍率調査(2024年卒)」によると、2024年3月卒業予定の大学生・大学院生対象の大卒求人倍率は1.71倍となり、前年度より0.13ポイント上昇しました。新型コロナウイルスの感染拡大により企業の採用意欲は一旦落ち込みを見せたものの、コロナ禍前の水準まで回復してきているとみることができます。
企業の採用意欲が高まる中、『日本の人事部』による「人事白書2023」では、2023年の新卒採用における採用計画の達成度合いを調査。その結果、「計画人数を充足できたか」という項目に対して「当てはまる」「どちらかといえば当てはまる」と回答した企業は60.3%、「人材要件を満たす人材が採用できたか」という項目に対して「当てはまる」「どちらかといえば当てはまる」と回答した企業は54.8%となりました。
同じく中途採用においては、「計画人数を充足できたか」という項目に対して「当てはまる」「どちらかといえば当てはまる」と回答した企業は43.1%。「人材要件を満たす人材が採用できたか」という項目に対して「当てはまる」「どちらかといえば当てはまる」と回答した企業は45%となりました。
これらの結果を「人事白書2022」と比較したところ、「新卒採用における計画人数」の項目のみ昨年より「充足できた」と答えた企業が3.2ポイント増加したものの、それ以外の項目では3~6ポイント悪化していることがわかりました。
採用に関する企業の悩み
人材が集まらない
日本の人口は2008年をピークとし、それ以降は減少傾向が続いています。帝国データバンクによる「人手不足に対する企業の動向調査」では、2023年時点で「正社員が不足している」と回答した企業の割合は51.4%で、過去最高を記録しました。非正規社員においても、「不足している」とした企業は30.5%と5年ぶりに3割を超え、高い水準となっています。
日本ではいま、とりわけ64歳以下の生産年齢人口が減少していることから、今後企業の人手不足がさらに進展することは間違いないでしょう。
内定を辞退される
株式会社リクルートの「就職プロセス調査(2023年卒)」によると、2023年3月卒業時点の大学生の就職内定率は96.8%でした。そのうち、内定を辞退したことのある学生の割合は、実に65.8%に及んでいます。また、6割を超える学生が2社以上の内定を得ています。多くの学生が複数社の内定を保有しているため、結果として企業が内定を出したとしても辞退されてしまうケースが数多くみられます。
転職希望者数の増加
総務省の「労働力調査」によると、転職者数は1985年から2000年にかけてほぼ倍増したものの、2000年代以降は約300万人前後で推移しており、ここ20年間で大きな増加はみられません。一方で転職希望者数については、1985年時点で366万人だったところ、2000年には643万人、2022年には968万人と大きく増加。潜在的な転職希望者数は多いことがわかります。
ミスマッチが起こる
従業員が転職する要因の一つとして、希望する労働条件や仕事内容とのズレ、企業文化や人間関係になじめないといった企業と従業員のミスマッチが挙げられます。総務省の「令和4年就業構造基本調査」を、5年前(2017年)の同調査と比較したときに最も増加した項目は「自分に向かない仕事だった」であり、多くの転職者が「自分に合っていること」を重視する傾向が高まっていることがわかります。
人的資本経営と採用
企業の関心の高まり
人的資本経営に取り組むことによる効果を、採用にも期待する企業が増加しています。パーソル総合研究所の「人的資本情報開示に関する実態調査 調査報告書」では、従業員数1000人以上の対象企業のうち、人的資本情報の開示を行ううえで最も関心が高かったのは「優秀人材の採用実績の増加」(80.3%)で、「他社の動向」(77.7%)、「役員層の意識改革」(77.1%)を抑える結果となりました。このほか、「新卒採用エントリー数の増加」(75.2%)も高い水準となっています。
伊藤レポート2.0で示された採用に資する人的資本経営の取り組み
日本において人的資本経営の概念を広めるきっかけとなった「人的資本経営の実現に向けた検討会報告書(人材版伊藤レポート)」では、多岐にわたる採用に資する取り組みを示しています。
人材ポートフォリオの作成
中長期的な経営戦略の実現に向け、必要な人材の質と量を整理し、現状とのギャップを明確にする。
処遇や評価手法の再検討
優秀な人材の獲得・リテンションに向け、競合他社よりも優位性のある報酬体系や、成果およびそのプロセスを適切に評価するための手法の検討を行う。
多様な雇用形態・働き方の検討
子育て中や闘病中など多様な背景を持つ従業員を最大限に活用するため、「週5日フルタイム勤務」以外の雇用形態の可否を考える。副業や兼業についても解禁を検討する。
アルムナイとの関係構築
自社を退職した人材(アルムナイ)と中長期的に優良な関係を築き、業務委託や出戻りなどがしやすい環境にする。
採用・選考戦略の開示
採用・選考戦略を開示する。この際、国内外の留学や起業、NPOへの参画など多様な挑戦の形を評価し、通年採用や多様な入社月の設定などを検討する。
人的資本経営に関する発信
自社が取り組んでいる人的資本経営の考え方や重視している施策について発信し、自社の価値観に共感してもらうとともに、入社した場合に受けられる恩恵を理解してもらうよう取り組む。
博士人材など専門人材の採用
高度な専門性や深い思考力を持つ博士号取得者の価値を理解したうえで、積極的に採用する。採用に当たっては、研究部門に限らず、経営企画部門など博士号取得者の強みである独自の構想力を生かせる部署での活用も検討する。
多様性の確保
女性や外国人、多様な経験を有した中途採用者など、多様な属性や価値観を持つ人材が活躍できる環境を整備したうえで、異質な人材を積極的に取り込んでいく。
リスキリングの重視
リスキリングの取り組みを行うとともに、自社が重視しているスキルや取り組みの進捗状況などを定量的に発信することで、スキルを保有している外部人材にアピールする。
リモートワークの導入
在宅環境下でも仕事が可能な環境を整備し、状況に合わせてリモートワークを導入する。
求職者が望む人的資本の情報開示
1年以内の転職を検討している社会人、2024年春に就職予定の学生(大学生・大学院生)を対象に、パーソル総合研究所が行った「人的資本情報開示に関する調査【第2回】」では、内閣官房の「人的資本可視化指針」の中で示された19の人的資本情報の開示項目についての関心度を調査。その結果、社会人・学生ともに「福利厚生」「賃金の公正性」 が上位となりました。学生については、社会人と比較して「育児休暇」「採用」「組合との関係」「児童労働/強制労働」「育成」への関心が高い傾向にあります。
また社会人の中で優秀人材に限ってみた場合、重視する項目は「裁量権がある」「新しいことに挑戦できる」「会社のビジョンやパーパスに共感できる」といった項目が相対的に高いことが明らかになりました。人的資本の開示項目については、「リーダーシップ」「サクセッション(後継者プラン)」「採用」「エンゲージメント」「育成」への関心の高さが表れています。
人的資本経営を推進する企業が取り組むべき採用活動
採用活動の戦略策定
採用活動は、企業の中長期的な経営戦略と連動する形で進めていく必要があります。自社の現状を把握したうえで、事業計画を達成するためにはどのようなスキル・能力を持つ人材が必要なのか、どの部署・ポジションに何人配置するのかといった項目を一つずつ数値化していくことが求められます。
目標を設定した後は、必要な人材を採用するための採用手法を見直していくプロセスが不可欠です。戦略の策定にあたっては、経営者や役員、現場の責任者らと密に連携を図ることはもちろん、現場の従業員にも意見を求め、全社的に採用活動に取り組むことで高い効果が期待できます。
人的資本経営の実施状況を基にしたブランディング化
自社にとって望ましい人的資本経営のあり方は、企業によって異なります。人手にも予算にも限りがある中で、取り組む施策に優先順位を付けていかなければいけません。それが企業の独自性にもつながっていくはずです。人的資本経営の取り組みを採用に生かすためには、自社の価値観や方針、取り組んだ内容やその結果を社内外に発信していく必要があります。
株式会社リクルートの「就職プロセス調査(2023年卒)によると、2023年3月に卒業した学生のうち、就職確定先企業を「就職活動開始前から知っていた」と答えた割合は35.4%にすぎないことが明らかになっています。有名な企業ではなくても、人的資本に関する積極的な情報発信を行うことで、学生に「選んでもらえる」効果が期待できます。
なお情報の発信については、採用サイトや統合報告書での発信だけでは不十分だといえます。会社説明会や就職情報サイト、採用面接など、オンライン・オフラインを問わない多様なチャネルでの発信を意識することが企業には求められています。
情報を発信する際は、自社の弱みまで明示することが、かえって自社への愛着や志望度を高める結果となることも考えられます。ただし自社の弱みについては、結果と併せてその背景や改善点を示すことが不可欠です。たとえば同じ「離職率20%」でも、「10人中2人が退職」と「100人中20人が退職」では、受け手の感じ方が異なる可能性もあるでしょう。に数字を示すだけでなく、自社の方針や未来に向けて描いているストーリーを丁寧に説明し、理解してもらうことが重要です。
応募者との対話
選考の中でも、企業側が一方的に応募者を見極めようとするのではなく、人的資本に関する情報を起点とした対話を行うことで、より応募者の志望度を高め、ミスマッチを防ぐことができるでしょう。応募者一人ひとりに対して、入社した場合に得られるスキル・能力や歩めるキャリアパスなど、その資本を最大化させるための方策について提示することが極めて効果的です。
また内定後は、内定辞退を防ぎ、入社後の立ち上がりを早めるためにも、積極的な情報発信やコミュニケーションを取ることが重要です。ここでも可能な限り全員一律の対応ではなく、個々の特性に応じたコミュニケーションを取ることが求められます。
企業の具体例
旭化成
旭化成は、経営戦略の達成に必要な人材ポートフォリオを策定し、採用すべき人材の質と量を毎年全社的に洗い出しています。ここで把握した現実と理想のギャップに基づき、採用や育成を計画的に実施。採用や育成によって確保できない人材については、M&Aやコーポレートベンチャーキャピタルなどとの連携強化により確保を図っています。
同社では2022年度に開始した中期経営計画と連動する形で、「終身成長」と「共創力」を柱とする人材戦略を策定しました。「終身成長」では、公募人事制度の運用や各種キャリア教育、リスキリングを促進するオンライン学習プラットフォームの導入を実施。独自のエンゲージメント向上施策や経営層・マネージャーらのマネジメント力の向上にも注力しています。
共創力については、「多様性を『拡げる』」施策として高度専門職制度や女性の活躍推進、時間と場所に捉われない働き方の推進を実施。「多様性を『つなげる』」施策として積極的なキャリア採用や事業領域を超えた人事異動・人事交流などさまざまな施策を行っています。
- 【出典】
- 旭化成|旭化成レポート2023
サイバーエージェント
人材を事業創出の原動力であり競争力の源泉と考えるサイバーエージェントでは、全社一丸となって採用活動を実施するカルチャーが醸成されています。会社のフェーズに合わせて採用手法を毎年アップデートしており、近年はオンラインでの採用活動にも注力。処遇の見直しも進めており、2023年度からは新卒社員の初任給を一律で月額8万円引き上げ、42万円としました。
同社では2017年から、人事と従業員がタッグを組んで採用を行う「YJC(良い人材を自分たちたちでちゃんと採用する)」プロジェクトを始動させました。採用活動への協力が評価項目にも取り入れられ、2022時点で450人以上の従業員が採用にかかわっています。
同社は採用サイトや統合報告書において、人的資本やESGに関する情報を積極的に発信。また公式オウンドメディアの中でも「採用」に関するカテゴリーを設けるなど、多様なチャネルを活用しています。公式オウンドメディアにおいても「93%の新入社員が『チャレンジできている』を実現」「88%の社員が『働きがいがある』と回答」など、求職者や学生にとって魅力的な情報を伝えています。
伊藤忠商事
2024年卒の学生を対象とした「就職人気業ランキング」で、5年連続トップの座を守っているのが伊藤忠商事です。同社は1999年より、人材育成のための費用を「人的資本投資」と位置づけ、研修関連経費だけで年間10億円以上を支出。その取り組みについて全社でのレビューを行っています。
人材戦略を「経営戦略の一つ」と明確に打ち出している同社。能力開発や健康力向上施策、職場環境の整備などを通して「個の力」を高め、労働生産性の向上、ひいては企業価値の向上を図っています。同社は連結純利益を従業員数で割った数値を「労働生産性」として開示しており、2022年度時点での労働生産性は取り組みを開始した2010年度の5.2倍となりました。
持続的な価値創造を生み出していくためのKPI/モニタリング指標としては、「従業員の労働生産性」のほかにも「月平均残業時間」や「従業員一人当たりの人材育成投資額」、「就職人気企業ランキング」といった項目を設定。これらの指標を達成するため、朝方フレックスタイム制度の導入や健康経営の推進、エンゲージメントサーベイによる定期的なレビューといった施策を展開しています。