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日本の人事部 人的資本経営

人的資本経営の潮流2023/05/11

中小企業が人的資本経営を推進するには

人的資本経営中小企業

人的資本経営に取り組む企業が増えています。ただし企業規模別に見ると、大手企業ほど人的資本経営の推進に積極的なのが実状です。人手や予算に制約がある中小企業が、人的資本に投資し、自社の強みとしていくにはどうすればいいのか。中小企業に人的資本経営が必要な理由と押さえるべきポイントを解説します。

企業規模別に見た人的資本経営の取り組み状況

パーソルホールディングスの調査によると、企業における人的資本経営への取り組み度合いは、「十分に取り組んでいる」31.8%、「一部取り組んでいる」44.8%。実に7割超の企業が、人的資本経営を推進しています。

一方でその取り組み状況は、企業規模によって差があります。企業規模が大きいほど進んでおり、従業員が5000人を超える超大手企業では「十分に取り組んでいる」39.9%、「一部取り組んでいる」45.9%と、合計で85.9%もの企業が人的資本経営を実践しています。対して従業員が499人以下の企業では、「十分に取り組んでいる」22.2%、「一部取り組んでいる」44.9%で合計67.1%と、取り組みが進んではいるものの、超大手企業とは20%近い開きがあることがわかります。

中小企業における人的資本経営の必要性

2022年版「中小企業白書」によると、中小企業の経営者が重視している経営課題は「人材」がトップで82.7%と、次点の「営業・販路開拓」59.7%を大きく引き離す結果となりました。 採用、定着、活用といった多岐にわたる局面で、多くの中小企業が人材に関する悩みを抱えています。そのため、求職者や従業員に選ばれ、その価値を最大化させる環境づくりが求められています。

競争力の源泉

大企業では一般的に、部署や職務ごとに役割が明確化されていて、教育制度や成果につながる仕組みも体系化されています。また、ネームバリューが信頼度につながっています。

対して多くの中小企業では、役割の境界線が大企業よりあいまいで、一人ひとりの担当領域が大きく、企業としてのネームバリューも大企業に劣るケースが目立ちます。そのような環境では、個人のパフォーマンスが大企業よりも業績に直結しやすく、個人としてのスキルの高さがより重要な役割を果たします。

また、従業員の育成やモチベーションの向上に投資し、心理的安全性の高い組織風土を構築することで、従業員から新しいビジネスや取るべき戦略のアイデアが生まれやすくなります。中小企業白書では、企業が従業員の能力開発計画や方針を定めていたり、求める人材像や従業員の目指す姿を明確にしていたりするほど、売上高増加率が高いことが明らかになっています。  

従業員の確保

中小企業庁および中小企業基盤整備機構が実施している「中小企業景況調査」によると、2023年1‐3月期の従業員過不足DI(現在の従業員数が最近の営業状況と比べて「不足」企業割合-「過剰」企業割合)は、すべての産業および業種で「不足」の回答が「過剰」の回答を上回っていることが示されました。少子化や大企業との賃金格差を背景に、多くの中小企業で人手不足が課題となっています。

そのような状況において中小企業は、求職者から選ばれるために自社の強みをアピールする必要があります。自社のビジョン・ミッションに加え、中小企業ならではの経営者との距離の近さや風通しの良い風土、従業員一人ひとりの意見を尊重する環境をあらためて整備し、発信することで、自社の取り組みや目指す方向性に共感してくれる人材を集めやすくなります。

また、従業員が退職することなく、働き続けようと思えるような環境を整えることも重要です。人材獲得が難しい状況下でせっかく育成した人材が流出してしまうことは、中小企業にとって大きな痛手となります。リテンションの観点からも、従業員のスキルアップやモチベーション向上といった施策を講じることが求められます。

取引先として選ばれる

ESG(環境(Environment)・社会(Social)・ガバナンス(Governance)に関する取り組みに注力する企業が増えています。その背景には、環境問題の深刻化や、ESGの重要性を訴える投資家が増えてきていることがあります。

年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)は、重大なESG課題としてサプライチェーン上の取り組みを挙げています。サプライチェーンの中には当然、中小企業も含まれます。一度サプライチェーン上で不祥事が生じると大きな批判を招くこともあることから、CSR (Corporate Social Responsibility)調達を重視している企業は少なくありません。CSR調達とは、企業がモノやサービスの調達に際して、品質や納期といった基準に加えて、法令・社会規範の順守といった社会的責任の基準を満たす企業の中から取引先を選定する動きです。

CSR活動には、コンプライアンスの確保や人権の尊重、働きやすい環境づくりなどが含まれます。中小企業が人材に対して投資することは、取引先から選ばれ、関係を継続していくためにも重要なポイントといえます。

大企業との違い

人的リソースの豊富さ

大企業では、人事部門の中でも採用や教育などの役割が細分化され、それぞれに担当者が置かれているケースが多く、人材にまつわる施策が積極的に展開されています。一方、中小企業では、一人の人事担当者がすべてを担当していたり、他の業務と兼任していたりするケースも見受けられます。そのため、人的資本経営を推進する人材が不足している企業が少なくありません。

投下コストの大きさ

中小企業は大企業と比べると、人的資本への投資に回す予算が制限される傾向があります。厚生労働省の2021年度の能力開発基本調査によると、OFF-JTを実施した事業所の割合は従業員規模が30~49人の事業所では51.0%、1000人以上では87.2%と、規模が大きくなるに従って高くなっていることがわかります。OJTに関しても同様の傾向が見られます。

とりわけ中小企業にとっては、限りある予算を効果的に活用するために、研修の内容や回数を不断に見直すことが求められます。廉価なオンライン研修やeラーニングも充実してきているため、 目的に合わせて外部に委託するのも選択肢の一つです。

施策の自由度の大きさ

施策の自由度に関しては、大企業よりも中小企業のほうが大きいと言えます。経営者・役員と現場の社員との距離が近く、承認を得る手続きがシンプルで組織全体の合意形成も比較的容易であるケースが目立ちます。また、実態に応じて施策を変更したり、取り組みが自社に合わず撤退したりといった判断も柔軟に行うことが可能であり、挑戦しやすい環境にあります。

中小企業のメリットとして、アットホームでコミュニケーションが取りやすい傾向にあることが挙げられます。中小企業ならではのコミュニケーションを重視し、積極的に意見を出し合うことで、従業員一丸となって人的資本を活用したイノベーションに取り組むことができます。

中小企業が人的資本経営を進めるためのポイント

基本的な進め方

人的資本経営の進め方は基本的に、企業規模による違いがありません。人的資本経営の実現に向けた検討会報告書(通称:人材版伊藤レポート)では、人的資本経営を進めるステップとして「3つの視点」と「5つの共通要素」の重要性を提唱しています。

「3つの視点」では、(1)経営戦略と人材戦略の連動、(2)As is‐To be ギャップの定量把握、(3)企業文化への定着を、「5つの共通要素」では(1)動的な人材ポートフォリオ、(2)知・経験のダイバーシティ&インクルージョン、(3)リスキル・学び直し、(4)従業員エンゲージメント、(5)時間や場所にとらわれない働き方を挙げています。中には一般的な中小企業の状況に合わない項目も盛り込まれていますが、人的資本を効果的に活用するうえではいずれも不可欠な項目です。

中小企業ならではのポイント

経営者のコミット

大企業では、人的資本経営を推進する役割を担うCHROなどの役職を設置しているケースが多く見られますが、中小企業ではそのようなポストを設置していない企業も多いでしょう。その場合、企業のトップの存在が重要な鍵を握ります。経営者自らが従業員と積極的にかかわり、自社のビジョン・ミッションや従業員が目指すべき姿を発信し、従業員に理解してもらうことが、人的資本経営の推進へとつながります。

そのプロセスにおいては、一方的ではなく双方向のコミュニケーションを図ることが欠かせません。従業員の意見を尊重することで従業員の当事者意識が強まり、より建設的なアイデアが生まれ、モチベーションやエンゲージメントが高まるという好循環を生み出すことができます。

見える化の推進

中小企業では、従来の慣習がそのままになっていたり、業務が属人的になっていたりするケースがあります。しかし、暗黙知を可視化し、業務を標準化していくことは人的資本を効果的に活用するためにも重要なプロセスです。自社固有のナレッジを蓄積し、活用できる状態を整備することで、従業員は付加価値を高める活動に注力することができます。結果的に、組織としての生産性向上にもつながります。

優先順位を決める

人的資本に投下できる人手と予算に限りがあるからこそ、中小企業は人材戦略に沿って施策の優先順位を決める必要があります。何から始めればいいのかがわからない場合、自社の課題を特定し、最適な対応の検討を補助してくれるHRテクノロジーを活用するのも有効です。ただし、HRテクノロジーは、さまざまな機能を有している分、出てきた結果に振り回されてしまうこともあります。データを取得する前の段階で、何を明らかにしたいのかといった目的を丁寧に設計することが求められます。

柔軟に変化する

何かを始める際は、既存の施策を廃止したり統合したりといった取り組みも必要です。状況に応じて施策を柔軟に変更できるところも、中小企業の特長の一つです。

自社の目指す姿が従業員に理解されていれば、その目的を達成するための施策に多少の変更があっても、従業員に理解してもらえるでしょう。中小企業の特性を生かして、ある程度の方向性が見えてきたところで施策を走らせ、徐々に自社に合った形にしていくのもいいでしょう。

中小企業に求められる人的資本情報の整備・開示

ISO30414

2018年、国際標準化機構(ISO)が人的資本情報を11領域・49項目に整理して示したのがISO30414です。国際的なガイドラインとして用いられているISO30414では、大企業向けと中小企業向け、また外部向けと内部向けに開示すべき項目を分類しています。たとえばコスト面では、総人件費は企業規模にかかわらず内外に向けて開示すべきであり、一人当たりの採用費は大企業が内部向けに開示すればよいなどと明示しています。

人的資本可視化指針

2022年、内閣官房非財務情報可視化研究会は人的資本可視化指針を公表しました。指針では、開示が望ましい項目として、「リーダーシップ」や「育成」、「ダイバーシティ」などが取り上げられています。

またこれらの開示項目に関して、「自社の企業価値につながるか」や「他社との比較で評価すべき指標か」といった観点から検討するように求めています。この指針に沿って検討することは、厳しい競争にさらされている中小企業が自社の強みや弱みを把握するためにも有効だと言えます。

法律に基づく行動計画など

法律によりすでに公表が義務付けられている指標の中にも、人的資本にまつわる情報が多く含まれています。従業員101人以上の企業に義務付けられているものとして、下記のような指標が挙げられます。

法律 公表項目 対象
女性活躍推進法 (1)女性労働者に対する職業生活に関する機会の提供に関する実績
(採用した労働者に占める女性労働者の割合/管理的地位に占める女性労働者の割合など)
(2)職業生活と家庭生活との両立に資する雇用環境の整備に関する実績
(1ヵ月あたりの平均残業時間/有給休暇取得率など)
労働者数が100人を超える事業主(300人超の会社は(1)(2)それぞれから一つ以上、101人から300人の会社は全体から一つ以上)
育児介護休業法 育児休業の取得状況 労働者数が100人を超える事業主
次世代育成支援対策推進法 一般事業主行動計画(計画期間/目標/目的達成のための対策とその実施時期) 労働者数が100人を超える事業主

厚生労働省は、これらの項目を明らかにすることで、個々の企業が自社の課題の特定とその対策につなげていくことを期待しています。これらの行動計画については多様なモデル計画が公表されており、さまざまな企業の状況も確認が可能です。100人以下の企業では努力義務となっていますが、どのような規模の企業であれ、人的資本に関する自社の状況を整理するうえでの第一歩として用いることができます。

企画・編集:『日本の人事部』編集部

Webサイト『日本の人事部』の「インタビューコラム」「HRペディア「人事辞典」」「調査レポート」などの記事の企画・編集を手がけるほか、「HRカンファレンス」「HRアカデミー」「HRコンソーシアム」などの講演の企画を担当し、HRのオピニオンリーダーとのネットワークを構築している。


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