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体系的・継続的な教育で従業員のセルフケア力をアップ
ブラザー工業が注力するメンタルヘルス対策

高橋秋香さん(ブラザー工業株式会社 人事部 健康管理センター 産業医)
日笠ちはるさん(ブラザー工業株式会社 人事部 健康管理センター 保健師)

体系的・継続的な教育で従業員のセルフケア力をアップ ブラザー工業が注力するメンタルヘルス対策

生産性の向上やイノベーション創発のためには、従業員が心身ともに健康でいることが欠かせません。多くの企業が、従業員のメンタル不調を防ぎ、いきいきと働いてもらう方法を模索しています。ブラザー工業では、2005年頃からメンタルヘルス対策に注力。「ブラザーメンタルヘルス5か年計画」を策定し、従業員のセルフケア研修や管理職研修などに取り組んできました。同社が実践するポジティブ・メンタルヘルス対策の具体的な取り組み内容やその成果について、同社人事部 健康管理センター産業医の高橋秋香さん、保健師の日笠ちはるさんにお話をうかがいました。

プロフィール
高橋秋香さん
高橋秋香さん
ブラザー工業株式会社 人事部 健康管理センター 産業医

たかはし・あいか/産業医科大学を卒業後、日本特殊陶業株式会社の専属産業医を経て2018年より現職。指導医の下で産業医学の研鑽を積んでいる。産業衛生専攻医。産業医科大学非常勤助教。

日笠ちはるさん
日笠ちはるさん
ブラザー工業株式会社 人事部 健康管理センター 保健師

ひかさ・ちはる/名古屋大学医学部保健学科卒後、2009年に保健師として入社。以降、受動喫煙対策や睡眠衛生教育等、フィジカル・メンタルヘルスについて幅広い分野で活動を展開している。日本産業衛生学会産業保健看護専門家制度上級専門家。名古屋大学医学部招へい教員。

“リスクマネジメント”と“ポジティブヘルス”の両軸が組みこまれた「健康ブラザー2025」

貴社は、経済産業省と東京証券取引所が選出する「健康経営銘柄」に3年連続で選定されるなど、健康経営に対する取り組みが高く評価されています。その土台となっている「健康ブラザー2025」の概要について教えてください。

高橋:ブラザー工業は、2016年9月に「ブラザーグループ健康経営理念」を制定しました。当時の社長が最高健康責任者(CHO:Chief Health Officer)に就任し、グループ会社の各社長がトップとなる健康経営推進協議会が発足。その指揮下で、私たち人事部・健康管理センターや各関連グループ会社が、さまざまな活動に戦略的に取り組んでいます。

活動の共通の指針となっているのが、2025年までに達成すべき長期目標「健康ブラザー2025」です。安全衛生法令の順守をベースに、従業員が「明るく・楽しく・元気に」日々を過ごすこと、「自発的な健康づくり」に取り組むこと、「仕事と健康の両立」をすることを柱に、従業員のあるべき姿である“いきいきとさまざまな能力を発揮できている状態”を実現していこう、という目標になっています。

ブラザー工業株式会社の健康経営目標(同社提供資料)

ブラザー工業株式会社の健康経営目標(同社提供資料)

高橋:「リスクマネジメント」と「ポジティブヘルス」という二つの視点から、さまざまな目標値が定められています。リスクマネジメントの視点では、休業者の発生率やメタボリックシンドロームの該当者率、ラインケア教育の受講率を注視。ポジティブヘルスの視点では、ストレスチェックによる高ストレス者率、睡眠充足者率、運動習慣保持者率などを指標としています。

“体の健康”だけではなく、ポジティブヘルスの視点で“心の健康”にも注力されているのですね。

高橋:当社の産業保健体制がつくられた当初は、リスクマネジメントの視点が中心だったようです。しかし、それだけでは「明るく・楽しく・元気に」働けません。とくに国内で働いている従業員は研究・開発職が多いので、メンタル面でも健康であることが生産性やエンゲージメントに直結します。マイナスをゼロにするよりはプラスの状態に持っていきたい、いきいきと能力を発揮できる状態をつくりたい、という思いが根底にあったのです。

メンタルヘルス対策の基盤となる「セルフケア講習」

「ブラザーメンタルヘルス5か年計画」の内容についてお聞かせください。

高橋:2005年に第一期の5か年計画が策定され、現在は第三期になります。第一期は、メンタルヘルス教育や相談体制の構築といった守りの対策が中心。第二期、第三期と進む中で、ポジティブ・メンタルヘルスやエンゲージメントの向上など攻めの対策の割合が大きくなっていきました。

具体的にはストレスチェックを通じた高ストレス者対策だけではなく、職場の改善プログラムにも力を注いでいます。毎年1回行われるストレスチェックに、「職場のいきいき度」というプラス面での評価を追加。また、プレゼンティーズムといわれる疾病就業や健康の問題を抱えながら働いている状態を見る指標を設け、改善施策に結びつけています。

メンタルヘルス教育にも力を入れているそうですね。

高橋:2007年から、従業員に対する継続的なメンタルヘルス教育を行っています。自らストレスに気づき適切な対処ができること(一次予防)、上司が部下の不調を早期に発見し対応ができること(二次予防)に加え、病気を発症したあとも自分らしく働きつづけられるよう復職支援(三次予防)することにも、各職場と協力して取り組んでいます。

ブラザー工業株式会社のメンタルヘルス教育体系(同社提供資料)

ブラザー工業株式会社のメンタルヘルス教育体系(同社提供資料)

高橋:一次予防につながる取り組みとして「セルフケア講習」があります。まずは入社時に受講し、その後は25歳、30歳、35歳といったように5年ごと、定年で退職するまで全従業員が受講する研修です。体調管理の方法やストレスとの付き合い方など、事例をもとに自ら対処法を考えます。

具体的にはどのような内容を教えているのですか。

日笠:一例を挙げると、今年は「マインドフルネス」を取り上げました。当社は研究・開発職の従業員が多く、脳が働きすぎて脳疲労を起こしやすい環境にあります。そこで、「回復の仕方を学びましょう」という趣旨で行っています。

研修ではマインドフルネスの概要を伝えたあと、実際に呼吸瞑想法を試してもらいます。業務時間中の交感神経が過敏になっている状態で何も考えない瞑想を行うと、「すっきりした」「初めての感覚だった」といった感想が多く聞かれます。。呼吸瞑想法がうまく取り入れられない場合は、筋肉の動きを使って行うムーブメント瞑想法を紹介しています。

専門的な内容ですが、研修は内製されているのですか。

日笠:全て健康管理センターの産業医・保健師が講師となって、独自につくっています。インハウス、社内に産業医や保健師がいる会社だからこそ、従業員の知識レベルやニーズを汲み取ってカリキュラムをつくることができます。当社では、人事や他部門によるさまざまな研修が行われていますが、健康管理センターでも、産業保健の知識や専門性を有しているからこそつくれる研修を提供したいと考えています。

ラインケアの充実へ。管理職同士でディスカッションする場をつくる

管理職向けには、どのようなメンタルヘルス教育を行っていますか。

高橋:先ほどお話ししたセルフケア教育と並行して、管理職向けにはラインケア教育を実施しています。新任管理職向けに初回研修を行い、その後も3年ごとに継続して研修を行っています。大切なのは、部下の不調にいち早く気づき、適切な支援につなぐこと。一般的な精神的不調のサインや部下への接し方などを紹介したうえで、個別のケーススタディを取り上げて「このような状況下でどう対応すべきか」といったディスカッションの時間を長く取るようにしています。

管理職の方々の反応はいかがですか。

高橋:研修では「自分だったらどうするか」という視点で、いつも活発に議論されていますね。研修後のアンケートにも「役に立つ情報だった」「日々のマネジメントに活かせる」という意見が多いです。

また研修では、休職者数の推移や新規の相談者数など、会社の最近の傾向を伝えているので、「知識をブラッシュアップできた」という声も聞かれます。

日笠:メンタルヘルスの二次予防対策としては、「管理職向けコミュニケーションセミナー」を実施しました。

ストレスチェックで、とくにストレス度が高いと判定された部門と、「上司の支援」のスコアが低い部門の管理職全員を対象に実施しました。コミュニケーションスキルの一つである“ストローク”(相手の存在を認めるさまざまな働きかけ)を学ぶ内容になっています。

研修では、ストロークについての知識をインプットしたり、映像を見てストロークを使う場面を想像したり、参加者同士で「どんな声掛けをすれば相手がポジティブな気持ちになれるか」をディスカッションしたりします。効果も着実に表れていて、初年度に17部門だった高ストレス部門が、翌年には10部門に減りました。

多方面から産業保健の課題を解決できる「睡眠衛生」に注力

そのほかには、どのようなメンタルヘルス支援を行われているのでしょうか。

日笠:「睡眠」をテーマに、継続的な取り組みを行っています。睡眠衛生は、メンタルヘルスと深い関わりがあります。製造業なので、事故や労災の問題にも直結しますし、業務効率化や労働生産性、生活習慣病ともつながっています。多方面から働く人の課題を解決できるのが「睡眠」です。

2018年から行っているのが睡眠eラーニングで、健康管理センターがeラーニングの教材を企画・作成しています。希望者のみの任意受講だったのですが、従業員の3分の1ほどが受講しました。「睡眠」に対する関心の高さを感じましたね。

このほかにも、睡眠時無呼吸症候群(SAS)の簡易検査を社内で受けられるようにしたり、睡眠の深さをはかるウェアラブル端末を貸し出したり、眠りにいざなう音楽を集めたアプリを使ってもらったりしています。これらの活動の結果、日中の眠気の指標や不眠の尺度が改善するなどの効果も出ています。長時間労働者や夜勤従事者に対しては、睡眠衛生教育の研修や資料の提供なども行っています。

日笠:眠れないことは、職場での生産性や生活の質に影響します。いきいきと暮らし、働くためには欠かせないテーマといえます。

「1on1ミーティング」がリモート環境下でのメンタルヘルス対策に

コミュニケーション促進と組織活性化も、健康経営の枠組みで推進されていると伺いました。具体的な取り組み内容を教えてください。

高橋:上司と部下による定期的な1on1ミーティングを、全社で推進しています。取り組みは健康管理センターではなく、人事部の採用教育グループが主管です。ただ、結果的にメンタルヘルス対策にもなっていると感じます。

1on1ミーティングは2017年に導入を開始したもので、当初の主な目的は部下育成です。しかし、コロナ禍の影響で昨年から在宅勤務が始まったことで、今では上司と部下のコミュニケーションをつなぐ大切な場としても機能しています。

部下にメンタルの不調が表れたときに、1on1ミーティングを通じて報告がなされた、というケースはよくあります。1対1で話せる場があったからこそ、部下は早期に伝えることができた。また、多くの上司が、なんでも話せる雰囲気づくりを心がけていることもあると思います。

さまざまな角度からメンタルヘルス支援の対策をされていますが、定量・定性での成果は出ていますか。

日笠:従業員が自分の体調の変化に気づき、主体的に行動できるようになってきました。かつてメンタル不調の相談は、上司経由で依頼されることが多かったのですが、セルフケア教育を始めて4年目くらいから数値が逆転し、現在は「本人からの申し出」のほうが多くなっています。これは、セルフケア教育の成果だと感じています。

また、セルフケア教育の受講者と未受講者を比較し、追跡調査を行ったところ、セルフケア教育受講者のほうが休業率は低く、健診の問診結果の「ストレス発散を心がけている」などの項目が改善していました。健康行動を取る人が増えたという結果も出ています。

素晴らしいですね。産業医や保健師に相談するのは従業員にとってハードルが高いことのように思えますが、貴社では研修などを通じて、産業医や保健師の方々との接点を設けているため、相談しやすい環境があるのではないでしょうか。

日笠:そうですね。私たちが日々大事にしているマインドの一つに「オープンドアポリシー」があります。従業員の方に「いつでも入ってきてください」「安心して利用してくださいね」とお伝えしています。

健康管理センターは、病気になったとき、不調になったときに来る場所ではありません。なんとなく気になることがあったり、聞いてみたいことがあったりしたときに、気軽に相談することができる場所です。そんな場所を実現できるよう、大事に活動を続けていきたいですね。相談件数が増えるのは、決して悪いことではありません。早期に相談してくれる人が増えた結果と捉えることもできます。

強み・弱みを明確にし、具体的な支援を可能にするデータヘルス

データヘルスに取り組まれていますが、メンタルヘルスの分野ではどのように活用されていますか。

高橋:データヘルスはメンタルヘルスに特化したものではなく、従業員の健康診断結果や休業・休職データ、レセプトデータなどをまとめ、事業所ごとに健康スコアをつけています。各社の強み・弱みが明確になり、グループ会社の中で何位に位置しているかの順位づけも行っています。

日笠:当社の特徴は、健康保険組合のレセプトデータや傷病手当金のデータなどを合算し、人事部だけでは見えなかった数値を把握できること。より具体的な対策につなげることができています。

これらの多様な施策を一気通貫で行えるのは、なぜなのでしょうか。

高橋:健康経営理念が策定され、社長が最高健康責任者に就任。社長自らが旗振り役となり、「会社として健康経営を推進していく」という合意形成がなされているからだと思います。それぞれのグループ会社の社長も推進会議の構成メンバーになっていて、健康管理センターも対策を進めやすくなっていると感じます。

他社では「産業医や保健師と人事間での連携がスムーズにいかない」という声も聞きますが、貴社ではいかがでしょうか。

日笠:以前は健康保険組合が健康管理センターの機能を担っていましたが、新たに健康管理センターが発足してからは、人事部に産業保健の機能を移しました。同じ部内なので、定期的な連絡会などを通じて情報を共有しやすくなりました。共に従業員のためにできることを考えていくというスタンスで連携できています。

「エイジマネジメント」を強化し、年齢を重ねてもでも元気にいきいきと活躍できる会社へ

メンタルヘルスに限らず、今後健康経営で取り組みたい計画などがあればお聞かせください。

高橋:今年度から本格的に進めている施策の一つに「エイジマネジメント」があります。社員の高齢化や雇用延長の流れをふまえて、年齢を重ねても元気にいきいきと活躍できる従業員の健康づくりを考えていきます。

これまでの取り組みと重なる部分もありますが、若いときからの健康づくりやメンタルヘルス、禁煙サポートなどを通じて、年齢を重ねたあとの健康リスクを減らしていきたい。各年代に対して適切な対策を進めていくことが必要だと考えています。

疾病対策やワークエンゲージメント対策はすでに進んでいるので、身体機能低下を抑えるような対策を追加しています。従業員の運動習慣の増加や、現在の身体機能を測定・把握して向上させていくことをサポートしてきたいですね。

ブラザー工業株式会社の生涯健康づくりモデル(同社提供資料)

ブラザー工業株式会社の生涯健康づくりモデル(同社提供資料)

(取材日:2021年5月27日)

(取材日:2021年5月27日)

企画・編集:『日本の人事部』編集部

Webサイト『日本の人事部』の「インタビューコラム」「HRペディア「人事辞典」」「調査レポート」などの記事の企画・編集を手がけるほか、「HRカンファレンス」「HRアカデミー」「HRコンソーシアム」などの講演の企画を担当し、HRのオピニオンリーダーとのネットワークを構築している。


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