「生活習慣病」「がん」「メンタルヘルス」「女性の健康」「たばこ」五つの柱で進める健康経営~「JAL Wellness」の目指すもの~
日本航空株式会社人財本部 健康管理部 兼 運航本部 運航乗員健康管理部 部長
今村 厳一さん
「全社員の物心両面の幸福の追求」を企業理念に掲げる日本航空(JAL)グループ。その実現には社員の「心身の健康」が不可欠という考えのもと、健康推進プロジェクト「JAL Wellness」を発足。「生活習慣病」「がん」「メンタルヘルス」「女性の健康」「たばこ」の五つを重点項目に置き、社員・会社・健康保険組合が一体となって、健康づくりに取り組んでいます。同社の健康経営のかじ取り役を務める、人財本部健康管理部 兼 運航本部運航乗員健康管理部 部長の今村厳一さんに、健康経営へ取り組むようになった背景と、具体的な取り組みについてお話をうかがいました。
- 今村 厳一さん(いまむら・げんいち)
1989年4月入社。福岡空港でチェックンなど旅客サービス業務を担当。その後、運航本部に異動し、運航乗務員のスケジュール管理や人事・労務業務を担当。2005年12月より運航本部運航乗員室業務部業務グループ長、2008年4月より広報部羽田広報グループ長、2011年5月より(株)ジャルエクスプレス 乗員サポート部長、2014年10月より健康管理部統括マネジャーを経て、2017年6月より健康管理部部長(兼)運航乗員健康管理部部長を務める。
企業理念の追求には「心身の健康」が不可欠
最初に、健康経営に取り組まれた背景をお聞かせください。
健康経営推進のきっかけとなったのは、2010年。日本航空の経営破綻でした。再生にあたっては、大きく分けて二つの「治療」を行いました。一つ目がしっかり利益を出していくための「外科治療」です。外部から稲盛和夫氏を弊社会長として招き、新しい日本航空を創っていくための改革を強く推し進めました。赤字のビジネスモデルから脱却するために、事業構造の改革を行い、スリムで筋肉質な体質の会社にしたのです。
そして二つ目が、「内科治療」。永続的な成長のための基礎となるものとして、社員の意識改革を断行しました。経営破綻から再生するためには、この両面からの改革が必要不可欠でした。
社員の意識改革を進めるためには、JALグループの社員一人ひとりが、同じ「価値観」を持つ必要があります。そこで改めて「企業理念」を策定し、全社員が理解・共有できるよう、シンプルでわかりやすいもので、この中の「物心両面の幸福の追求」がその後の健康経営のベースとなっています。
【JALの企業理念】
JALグループは全社員の物心両面の幸福を追求し、
一、お客さまに最高のサービスを提供します。
一、企業価値を高め、社会の進歩発展に貢献します。
経営破綻後、社員はとても疲弊していました。このような状態では、お客さまに最高のサービスを提供することは難しい。JALグループが再生するには、社員の元気と健康を取り戻す必要がありました。
会社をあげて取り組むにあたり、中期経営計画の中に盛り込まれたのが、「社員の心身の健康」というキーワード。日本航空の長い歴史の中で、中期経営計画に健康という文字が入ったのは初めてのことです。そして2012年、中期経営計画にある「社員の心身の健康を」を実現するため、5ヵ年におよぶ中期健康推進計画「JAL Welness2016」を策定し、健康経営に着手したのです。
健康経営の推進に際して、経営トップからはどのようなメッセージを発信されましたか。
社長の植木からは、グループ社員全員に配布した「JAL Welness2016」My Bookという小冊子の中で、「物心両面の幸福は社員の健康が大前提」「社員の健康は会社の財産」というメッセージ(Wellness宣言)が発信されました。その中で社員・会社・健康保険組合が三位一体となり、「健康づくり」に取り組んでいくことを宣言しています。
まず掲げた三本の柱 「生活習慣病対策」「がん対策」「メンタルヘルス対策」
健康経営の取り組みは、どのように始めたのでしょうか。
健康経営を推進していくに当たり、まず、健康保険組合が持っている医療費のデータと、会社が持っている健康診断のデータを付き合わせ、分析しました。JALグループの中で社員の健康状態がどのようになっているのかを調べる必要があったからです。その結果をふまえ、掲げられたのが、「生活習慣病対策」「がん対策」「メンタルヘルス対策」の三本の柱でした。
一つ目の「生活習慣病対策」を掲げたのは、データ分析の結果、医療費全体の実に46%が、生活習慣から起因した疾患で占められると分かったため。二つ目の「がん対策」に関しても、疾患別に見た割合として、最も高い循環器系の疾患(15.5%)に続き、悪性新生物(がん)が14.4%と高いウェイトを占めていたことから、対策の必要性を感じました。
三つ目の「メンタルヘルス対策」は、社員の幸福を実現するためには欠かせない要素です。一度、メンタル不調に陥ってしまうと、職場復帰に時間がかかることも多く、本人にも現場にも大きな負担がかかります。そのため、「生活習慣病対策」「がん対策」の二つに加え、早急に対策を講じるべき項目としました。
三大対策に向けて、具体的にどのような施策を行ったのでしょうか。
まず、目標値として「Wellness指標」を設けました。これは、2016年までの5年間で実現を目指す、「適正体重維持者(BMI:18.5以上25.0未満)の割合」「喫煙率」「胃・大腸がん検査受診率」「婦人科健診受診率」「特定健診受診率」それぞれの数値目標です。しかし、日本航空の長い歴史の中でも、健康増進のためにこのような取り組みを行うのは初めてのこと。さまざまな企業の先進的な取り組みを参考にし、PDCAを回しながら、手探り状態で進めていきました。
例えば、一つ目の柱である「生活習慣病対策」では、特に男性の「メタボ対策」が必要と考え、「適正体重維持者の割合」を2011年度の74.1%から、2016年までに80.0%まで上げようとしました。具体的な対策としては、健康保険組合が提供している「脱!メタボ塾課外授業」があります。
これは自主参加型のものですが、BMI25.0以上の社員が対象で、健康診断の2ヵ月前からダイエット食品を使った食事の置き換えに挑戦する、というもの。定価約3万円のところ、自己負担5000円で取り組むことができ、期間中は管理栄養士がメールなどでアドバイスを行ってくれます。二人三脚で取り組むことができ、平均3.7kg減という結果が出ています。中には、10kgもの減量に成功した人もいました。
このような「メタボ対策」を5年間行ったことで、メタボの男性社員の割合は緩やかに下がっていきました。しかしながら経営破綻後しばらく中止していた採用を2014年度から再開したことで、痩せの傾向がある若手の女性社員の割合が増えたため、適性体重維持者割合の目標80%は達成できませんでした。
2本目の柱「がん対策」では、どのような取り組みを行ったのですか。
「がん対策」では、禁煙への取り組みに力を入れています。たばこだけががんの原因ではありませんが、そのリスクは無視できません。そこで2014年9月に「JALグループたばこ対策協議会」を発足させました。2015年末には本社ビル施設内禁煙所を全面閉鎖し、取り組みを本格化。それを契機に「たばこ対策」が加速し、羽田ターミナルビルなど他の施設での喫煙所全面閉鎖も進みました。
こうした取り組みの結果、喫煙率は2011年度の23.2%から、2014年度には19.6%となり、「2016年度までに20.0%以下にする」という目標を前倒しで達成することができました。ちなみに、2016年度はさらに下がって、18.4%となっています。
しかしながら、グループ会社によってもバラつきがあり、男性社員が多い会社では、依然として50%を超えている組織もあるため、今後も禁煙対策を継続していきたいと考えています。
三つ目の柱である「メンタルヘルス対策」はどうですか。
メンタルヘルスに関しては、予防対策をしっかりと行うことが大切だと考えています。そこで、「ストレスチェックを活用し、ストレスの自己管理を行う」「ストレスを解消するためのノウハウを身に付ける」など、社員一人ひとりがストレスに対する意識を高められるよう、取り組みを開始しました。
具体的には、専門のカウンセラーによるメンタルヘルスセミナーを全国で年間30回開催。日常的なセルフケアの重要性を強く認識してもらうようにしました。また、ストレスチェックの受験率向上にも取り組みました。2015年12月に義務化されたストレスチェックですが、日本航空本社での2016年度の受検率は、83.3%という結果でした。これを100%に近づけるため、健康管理部からのキャンペーンを行うと同時に、健康経営責任者(CWO:Chief Wellness Officer)に就任した副社長から、健康経営の重要性と受検に向けてのメッセージを全グループ社員に向けてメールで発信してもらいました。その結果、2017年度の受検率は91.2%にまで向上しました。
さらに、本社に健康管理部に常勤の精神科医を1名、カウンセラーを3名、成田空港にも非常勤のカウンセラーを1名配置し、社員のメンタルヘルス相談に対応できる体制を整えました。社員にとって、メンタル面に関する悩みは、上司に対して相談していいものかどうか不安を感じます。そこで、上司を通さずに気軽に相談できるホットラインをつくったり、周囲に知られることなく専門家に相談できる仕組みをつくったりすることで、メンタル不調に陥る手前の段階で対応できるようにしました。
「Wellness指標」数値目標 | 実施した施策 | 成果 | |
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生活習慣病対策 | 適正体重維持者(BMI:18.5以上25.0未満)の割合を80%以上にする(2011年度:74.1%) |
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メタボの社員の割合は減少したが、女性社員増加により適正体重を下回る社員が増え、目標は未達成 |
がん対策 | 喫煙率を20.0%以下にする(2011年度:23.2%) |
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2014年度には19.6%となり、目標を前倒しで達成(2016年度: 18.4%) |
メンタルヘルス対策 | ―― |
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ストレスチェック受験率は83.3%(2016年度)から91.2%(2017年度)に向上 |
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健康経営を進める上で、どのような点を工夫されましたか。
各職場の課題に沿った健康経営を実現するために、全国の事業所に「Wellnessリーダー」という健康推進をリードしていく人を配置しました。JALにはグループ会社も多く、企業や組織ごとに人員構成が違うので、健康課題も「禁煙」「肥満」「やせ過ぎ」「食事」など、さまざまです。組織ごとの課題を解決するため、「Wellnessリーダー」を中心に、取り組みを進めてもらっています。
毎年、優れた活動を行っている上位3事業所を選出し、役員会で表彰もしています。各事業所が工夫し、ヨガや太極拳などを実践したり、スポーツ大会を企画して体を動かしたり。それぞれの取り組みを共有したりすることで、他の事業所の参考にもなります。今後はさらにWellnessリーダーを増やし、一つの職場に一人のWellnessリーダーがいる体制を目指します。
「JAL Wellness 2020」では、「たばこ対策」「女性の健康」を加えた5つを重点項目に
今後はどのような取り組みを行われる予定ですか。
「JAL Wellness2016」にかわり、現在、新たな挑戦として「JAL Wellness2020」に取り組んでいます。そのベースにあるのは、2017年度から2020年度の新中期経営計画に掲げられた、「JALの翼を支える一人ひとりの個性を価値創造につなげる」という人財戦略のゴールです。
このゴールを達成するために、「生産性を高める環境」「多様な人財」「挑戦する組織」の三つの目標を掲げ、「生産性を高める環境」の中のアクションプランとして、「健康経営の推進」を明確にうたっています。具体的な方針としては三つ。
個人 |
(1)人事調査シートの健康記述の充実 (2)組織活性度調査に健康関連項目を新設 (3)健康リテラシー教育(e-learningなど) (4)JALウエルネス2020をベースとした健康増進への積極的な取り組み |
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組織 |
(1)健康経営責任者およびJALウエルネス推進委員会の新設 (2)健康レポートによる各本部・グループ各社での課題解決 (3)就業時間内禁煙の実施 (4)メンタルケア強化 |
見える化 | (1)組織活性度調査(健康関連)を活用した個人や組織の活性化 (2)健康、やりがい、業績などとの関連性の見える化 |
まずは、「個人」の健康リテラシーのへ取り組み。これまでの施策によって社員の健康に対する意識は徐々に上がってきましたが、部署によるバラつきや二極化傾向が見られます。そこで、改めて意識改革に取り組もうと考えたのです。
具体的には、人事面談で用いる「人事調査シート」における「健康欄」の記述内容(健診結果、今後の取り組みなど)を充実させ、その内容を上司がきちんと把握した上で、面談を行えるようにしました。これにより、日頃の上司と部下のコミュニケーションの中にも、「健康」がキーワードとして出てきやすくなります。さらに、組織活性度調査の中に、新たに健康関連の項目を取り入れました。次の施策を明確化するためにも、健康経営に対する施策を社員がどのように受け止めているのか、どのように浸透しているのかを定点観測しなければなりません。
次が、「組織」における取り組み。これまでは本社の健康管理部、健康保険組合が中心となって健康経営を進めてきました。しかし、社員の実態を一番よく知っているのは各組織です。そこで、今後は一つひとつの組織が主体となって取り組みを進めたいと思っています。
そのために、健康経営責任者(CWO)である副社長のもとに、健康経営の推進組織として「JALウエルネス推進委員会」を新設しました。ここでは全社的な健康課題や解決策を議論するほか、健康レポートを各本部・グループごとに作成し、健康実態・課題を相互に比較・検討します。これにより良い意味での職場ごとの競争意識が芽生えてきたように思います。
そして、最後が「見える化」です。経営は投資に対するリターンを求めます。しかし健康の場合、タネをまいても、その芽がすぐに出るわけではありません。効果検証に時間がかかり、個人差もあります。健康経営が社員のやりがいや業績とどのように関連してくるのかを具体的に紐解くには、今後のAIやテクノロジーの発達への期待が大きいでしょう。そのためにも、今から健康に関するデータを定点的にきちんと測定していくことが大事だと考えています。
三つの施策を進めていくにあたり、「JAL Wellness2020」でのポイントは何でしょうか。
「JAL Wellness2020」では、従来の「生活習慣病対策」「がん対策」「メンタルヘルス対策」に、「たばこ対策」と「女性の健康」を加えた五つを重点項目としています。新しく追加した項目はダイバーシティと関連した内容で、健康管理部・健康保険組合だけでなく、人労部門も含めた取り組みを行っていくことになりました。
「たばこ対策」を加えたのは、「がん対策」の一環として禁煙に取り組む中で、まだまだ改善の余地があると感じたため。
「女性の健康」については、数値目標として「婦人科健診受診率60%」を掲げていたのに実際は28.0%に留まってしまったことや、「生活習慣病対策」の中で、女性の痩せすぎが課題となったことなどが主な理由です。婦人科健診受診率の目標は、実態を踏まえて「40%以上を目標値に。また、女性の痩せすぎ(BMI18.5 未満)の問題は、20%以下に削減することを目標に置きました。
個人と組織全体で取り組むことが大事
健康経営を推進していくに当たり、社員からはどのような反応がありましたか。また、どのような課題を感じていますか。
社員からは、好意的な声が非常に多く聞かれました。アンケートの結果を見ても、私たちが思っている以上に、社員は健康経営に関する取り組みに前向きなコメントを寄せてくれています。「健康のための正しい知識を得たい」「さまざまな取り組みを通じて、健康経営を推進することの意味がよく分かった」などが、主な意見です。こうした声を聞くと、健康経営の手ごたえを感じるとともに、社員の意識の変化を実感します。
課題は、実践できている人とそうでない人の、二極化傾向があること。特に若手社員は健康に自信があるが故、将来に向けた健康づくり、疾病予防についてのイメージがなかなか持てないことが挙げられます。そのためにも、いかにして健康に対する正しい知識を覚え、健康リテラシーを持ってもらうかがカギとなります。
自覚と行動は、個人に訴えることも必要ですが、組織で健康増進に取り組む風土を醸成することが大切です。日頃から、上司と部下の面談の中で健康について話し合うなど、職場全体で健康の重要性を語り合う風土を育むことも有効だと思います。仮に健康に対する意識が低い人がいても、職場風土に刺激されて、健康に対する意識が高まっていく。今後は、弊社でも個人と組織の両方の観点から、健康に対する意識、健康リテラシーを高めていきたいと思っています。
最後に、これから健康経営を考えている企業の担当者に向けて、アドバイスをお願いします。
私たちが変われたのは、経営トップの強い意志があったからです。経営破綻を経て、新たなJALを創っていく中で「人財」として社員一人ひとりの健康が何よりも大事であることを、経営トップが断言してくれたのです。健康経営を成功させるには、社員に活躍してもらうために健康経営が必要だということを、経営トップが十分に理解し、メッセージを発信することが大切だと思います。
そして、経営トップの理解を得るには、健康経営のもたらす効果・効用を「数字」で見せることが重要です。さまざまなデータを突き合わせて、会社の現状を把握すること。そしてそれをふまえて、将来の「あるべき姿」とのギャップを考えること。仮に、社内で分析することが難しい場合には、外部の専門機関を活用するという方法もあるでしょう。いずれにしても、健康経営を効率的に進めていくためには、数字・データを明確に提示していくことが不可欠です。
(取材は2017年12月7日東京都・品川区のJAL本社にて)