過労死ラインとは、病気や死亡に至るリスクが高まる時間外労働時間のことをいい、労働者に発症した脳・心臓疾患を労災認定する上での基本的な考え方として厚生労働省が示した「脳・心臓疾患の認定基準」を指します。脳血管疾患や虚血性心疾患は、加齢、食生活、生活環境、遺伝などの要因により徐々に発症するものですが、ときには仕事が原因で発症することもあります。これは「過労死」とも呼ばれ、労働時間が長いほど業務の過重性が増し、おおむね時間外労働が45時間を超えて長くなるほど、業務と発症との関連性が徐々に強まるといわれています。過労死ラインが定められる前は、労働との関係が不明瞭で労災認定がされにくいことがありました。過労死ラインが定められたことで、労働と疾患の関係が明瞭になったのです。
1. 過労死ラインとは
さまざまな病気には、労働環境だけではなく、食生活や生活習慣などの日常的な生活も複雑にかかわってきます。そのため、働きすぎを病気の原因として労災認定するには、一定の基準を設ける必要があります。その基準が、いわゆる「過労死ライン」です。
過労死ラインとは、病気や死亡、自殺に至るリスクが長時間労働に起因するものだと認定する基準のことをいい、「発症前1ヵ月間におおむね100時間」あるいは「発症前2~6ヵ月間にわたっておおむね80時間」を超える時間外労働がある場合は、業務と発症との関係性が強いとされています。
この基準がなければ、劣悪な労働環境が精神や身体の疾患を引き起こしたことが認定されにくく、使用者の責任を追及することもできません。「労働者災害補償保険法(労災保険)」が適用されなければ、労働者は適切な補償を受けにくくなります。過労死ラインは、長時間労働から労働者を守るための基準でもあるのです。
過労死ラインを守ろう! ~過労死の定義と守ることの重要性~
長時間労働は、疲労蓄積の主要な原因の一つ。労働者が適度な休みを取らずに長時間働くことは、うつ病などの精神障害に陥る危険性を高めるばかりか、脳や心臓の疾患を引き起こす可能性を高めることにもなりかねません。過労死等防止対策推進法第2条では「過労死等」として、以下のように定義しています。
(1)業務における過重な負荷による脳血管疾患・心臓疾患を原因とする死亡
(2)業務における強い心理的負荷による精神障害を原因とする自殺による死亡
(3)死亡には至らないが、これらの脳血管疾患・心臓疾患、精神障害
疲労がなかなかとれない中で仕事を続けると、最悪の場合、死亡や疾患につながることが医学的な知見から得られています。さらに、蓄積された疲労と心的ストレスの中で正常な判断ができなくなり、自殺行為を思いとどまることができなくなることがあるとされています。労働環境を整えるためには、過労死ラインを超えず、以下で解説する36協定の範囲内で、労働者が働きやすい環境をつくっていかなければなりません。
2021年7月、過労死の認定基準が調整される
2021年7月に、厚生労働省が設置した有識者検討会が過労死の認定基準見直しについての報告書をまとめており、現行の過労死ラインの基準は変更されなかったものの、「過労死ラインを超えていなくても労災と認める場合があること」「労働時間以外の負担要因の追加」を示しています。対象疾病には「重篤な心不全」を追加し、また、恒常的な長時間労働のほか、「勤務時間の不規則性」「事業場外における移動を伴う業務」「心理的負荷を伴う業務」「身体的負荷を伴う業務及び作業環境」についても取り上げています。
今後過労死ラインの見直しが進むことで、たとえ労働時間が短くても、それ以外の要因による負荷の大きさによって労災が認定されることがあるかもしれません。不規則な働き方をしていた労働者の場合には、現行の過労死ラインの労働時間に達しなくても、作業環境への配慮が必要になる可能性があります。
過労死ラインの根拠と課題
過労死ラインの根拠は、さまざまな研究から導き出された結果に基づいています。「長時間労働と健康問題(岩崎、2008)」では、これまでのさまざまな研究を総合して考えると、全体の労働時間が週55~60時間以上(月時間外労働時間は60~80時間)になると脳や心臓疾患のリスクが通常の2~3倍に高まるとしています。
さらに、労働時間の延長によって生活時間が減少すると、労働者の精神状態が悪化することがわかっています。特に睡眠時間の不足は、精神状態だけでなく、定年後の認知症リスクを高め、がんの発生率を上昇させるとのデータもあります。このように長時間労働による心身への負担は多くの研究で裏付けられており、これらの研究の成果が過労死ラインの根拠になっています。
近年の日本では、「働き方改革」の効果もあって多様な働き方を認める価値観を持つ人が多くなっており、家庭と仕事とを両立するワーク・ライフ・バランスという考え方も常識になりつつあります。長時間労働を労働者に強いることは、労働者個人の心身だけではなく、育児の責任を片方の配偶者に押し付けることから引き起こされる家庭内の不和や出産後の女性の労働機会の損失など、社会的な悪影響を生むと指摘する声もあります。危険な業務についている場合は、重大な事故にもつながりかねません。過労死ラインを守り、労働者にとって働きやすい環境を整えることは、どの企業でも緊急の課題となっています。
出典:長時間労働と健康問題――研究の到達点と今後の課題|日本労働研究雑誌(PDF)
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2. 過労死ラインを守った職場づくり
先述のように過時間外労働が「発症前1ヵ月間に100時間」「発症前2~6ヵ月間平均で80時間」を超えるのが過労死ライン。「過労死ラインを60時間以内にすべきだ」という主張は以前からありました。2008年に、月間の残業50~60時間以内だったにもかかわらず、看護師の女性(当時25)が看護師の不規則な交代制勤務もあって、くも膜下出血を起こして亡くなったケースを大阪高裁が過労死として認定しました。これは「過労死ラインを60時間以内にすべきだ」という根拠の一つとなっています。その後も月65時間の残業で自殺をするなど、過労死と捉えられる事件が相次ぎました。
2021年7月30日に閣議決定された「過労死等の防止のための対策に関する大綱」では、政府は2025年までに「週の労働時間が40時間以上となる労働者のうち、週労働時間60時間以上の雇用者の割合を5%以下とする」「年次有給休暇の取得率を70%以上にする」という数値目標を掲げています。
また、 特に勤務間インターバル制度の導入率が低い中小企業への導入を推進し、労働者数30人以上の企業のうち、2025年までに以下のような目標を掲げています。
- 勤務間インターバル制度を知らなかった企業割合を5%未満
- 勤務間インターバル制度を導入している企業割合を15%以上
上記のように60時間程度の残業でも過労死と認定される例もあるため、年次有給休暇の取得率の増加や勤務間インターバル制度の導入などによる長時間労働の削減策を各企業が実施し、過労死ラインよりも基準を低くして労働環境を整えるのが理想的だといえるでしょう。
過労死ラインを守らない場合、労働者の体はどうなる?
次のような過労の初期症状が見られる場合には、使用者も労働者も注意しなければなりません。過労死ラインとされる労働時間に達しなくても、初期症状が出る場合があるため、労働時間と実際の労働者の様子、両方に気を配る必要があります。
(1)疲れがとれなくなっている
(2)記憶力が低下し、アイデアを創出することができなくなる
(3)機転が利かなくなり、うっかりミスをしてしまうことが多くなる
(4)イライラや不安が多くなり、人間関係がぎくしゃくし始める
(5)夜になっても仕事を忘れられず、緊張状態が続いてしまう
(6)睡眠の質が悪くなる
さらに働き、疲労の蓄積が多くなると、次のような症状が現れます。このような状態になったら使用者は労働者にすぐ休みをとらせます。労働者本人からの自己申告もそうですが、周囲が気づき、積極的に休みをとるようにすすめることも重要です。
(1)全身がだるく、ボーっとしてしまうことが多くなる
(2)食事が楽しくなくなり、食欲がなくなる
(3)免疫力が低下し、病にかかりやすくなる
(4)自律神経が乱れ、動悸やめまい、胃腸障害などの体調不良が顕著に感じられる
(5)正常な判断ができなくなり、うつ病や不眠症になり、自殺を考えるようになる
このような状態は過労死のサインとされていますが、人によっては日常的に起こる体調不良や感情の起伏だと捉えてしまうこともあります。労働者自身が気づかないうちに疲れが蓄積し、突然過労死してしまうケースもあります。過労はときにパワハラや職場の人間関係なども絡んでくる問題なので、労働者自身のセルフケアだけで対処することは困難です。経営者や管理監督者がしっかりと法律を意識し、労働環境を整えていくことが重要です。
過労死ラインを守らない場合、経営者や管理監督者はどうなる?
まず大前提として、法定労働時間を超えて残業をさせるには、経営者と労働者との間で36協定が結ばれていなければなりません。36協定が結ばれていないにもかかわらず残業をさせた場合、また、36協定で定められた時間を超えて働かせた場合などは、罰則として「 6ヵ月以下の懲役、 または30万円以下の罰金 」を課せられる可能性があります。
過労死ラインを守らずに働かせ、労働者が過労死(自殺を含む)してしまった場合、遺族から損害賠償の裁判を起こされる可能性もあります。2013年に長時間労働が原因で適応障害を発症して自殺をした男性が労災認定された際には、親会社も含めて合計4000万円の支払いが命じられました。さらに別の事例では、会社と役員の4人に合計7800万円の損害賠償が認められました。
最悪のケースに至らずとも、使用者が過労死ラインを守らない状態でいれば、労働者の命を軽んじているという印象を与えかねません。企業は高い離職のリスクにさらされ、採用もしにくくなります。
36協定と過労死ラインの関係について
過労死ラインについて解説する上では、36協定についても触れておかなければなりません。
36協定を結ぶことで、1日8時間・週40時間の労働時間のほかに、月45時間・年360時間の時間外労働が可能になります。臨時的な特別の事情がある場合に限りますが、これ以上の時間外労働が必要な場合には特別条項を結ぶ必要があります。この特別条項を結ぶことで、「時間外労働と休日労働の合計が月100時間未満」「時間外労働と休日労働の合計が2~6ヵ月の平均で1ヵ月あたり80時間以内」といった労働が可能になります。
ただし、特別条項により定められる時間は過労死ラインに近い労働時間であり、この時間まで労働するならば、それだけ労働者の健康が損なわれやすいことに注意が必要です。
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過労死や過労による疾患防止の対策
(1)十分な睡眠時間を確保するよう啓発する
使用者は、労働者の健康に気をつけなければなりません。過労死ラインに関する情報を教示するほか、睡眠不足が日常の労働に影響を与えることや睡眠不足が精神状態の悪化につながる危険性があることを啓発しておく必要があります。
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(2)勤務間インターバル制度を設ける
勤務間インターバル制度とは、労働者が、仕事が終わってから次の仕事を開始するまでの休息時間を確保するための制度のことです。たとえば、残業で帰るのが夜の11時になってしまった場合は、11時間の休憩を挟むために翌日の出勤時間を10時とするといった制度です。勤務間インターバル制度の導入をする中小企業には、国からの助成金もあります。
(3)ストレスチェックを実施し、結果を労働環境の改善にいかす
常時雇用する労働者が50人未満の場合は努力義務ですが、50人以上の事業場であれば毎年1回ストレスチェックを行わなければなりません。ストレスチェックを行うことで、責任者と労働者が心身の状態に気づき、適切な対応をすることができるようになります。
(4)産業保健スタッフや担当医、専門家などにつなぎやすい労働環境を整備する
労働環境を整え過労死を防止するには、労働者が自身の不調に気づいたとき、あるいは周囲がおかしいと感じたときに、すみやかに産業保健スタッフや医師、精神科医などの専門家につなぐことができる体制を整えておく必要があります。
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3. 過労死ラインを守る重要性と労働者のためのルールづくり
過労死ラインは「発症前1ヵ月間に100時間」「発症前2~6ヵ月間平均で80時間」の時間外・休日労働だとされています。実際の事例を参照してこの数字を60時間にするべきだという主張もありますが、現状では上記の数字に留まっています。しかし、過労死ラインは最低限のルールですので、労働者にとってやさしい環境を整えるのならば、残業の上限を60時間以内にする必要があります。
過労死等の防止のための対策に関する大綱は、対策の推進状況や各種調査結果の報告により見直される可能性があります。とはいえ、「過労死ラインが厳しくなったから長時間労働の対策を行う」のではなく、先んじて対策を推進することは、労働者が快適に、かつ生産性高く業務をする上で重要です。
2021年9月15日から施行された過労死認定基準の見直しにについて解説した資料です。この資料を読むことで、現状の認定基準や変更点、長時間労働に対する施策の方向性を理解することができます。
脳・心臓疾患の認定基準の変更ポイントについて│無料ダウンロード - 『日本の人事部』