テストステロンに着目し「はつらつ」とした組織へ
褒め合う文化が効く「男性の更年期障害」対策
順天堂大学大学院 医学研究科 泌尿器外科教授
堀江重郎さん
近年、女性の社会進出に伴い、従業員の更年期障害をサポートする企業が増えています。しかし更年期障害は、女性だけの問題ではありません。男性にも、特有の症状があるのです。これまであまり注目されてこなかった男性更年期障害ですが、国内における潜在患者数は600万人にのぼるともいわれています。性機能の低下に限らず、心身にさまざまな支障をきたす男性の更年期障害。企業は健康経営の観点から、どのように向き合うと良いのでしょうか。メンズヘルス分野の第一人者で男性の更年期障害に詳しい、順天堂大学大学院の堀江重郎教授にお話をうかがいました。
- 堀江 重郎さん
- 順天堂大学大学院医学研究科 泌尿器科外科学主任教授
社団法人日本メンズヘルス医学会 理事長
ほりえ・しげお/1960年生まれ。東京大学医学部卒。2003年全国最年少で帝京大学医学部主任教授、2012年より順天堂大学大学院教授。学際的なアプローチを抗加齢医学、男性の健康医学に導入。日本で初めてメンズヘルス外来を始める。著書に『LOH症候群』(角川新書)、『うつかな?と思ったら男性更年期を疑いなさい―テストステロンを高めて「できる人」になる!』(東洋経済新報社)、『いのち』(かまくら春秋社)など。
ワークパフォーマンスに深く関与するテストステロンの働き
更年期障害は女性に限らず男性にも見られるそうですね。
更年期障害とは、加齢により体内の性ホルモンのバランスが崩れることによって、体の不調や情緒不安定などを来す現象のことです。男性の場合は、男性ホルモンの代表格として知られるテストステロンというホルモンの血中濃度が下がることで、心身に不調を来す状況を指します。特にテストステロンの値が病的に下がる状態を、LOH症候群(加齢性腺機能低下症)といいます。
女性の更年期障害は閉経に伴い、エストロゲンと呼ばれる女性ホルモンが減少することで起こります。体質や生活習慣などにより程度差はあるものの、どの女性も40代後半から50代前半の間に閉経を迎え、だいたい同じ時期に心身の状態に変化が訪れます。
一方、男性のテストステロンの分泌は20代でピークを迎えてから、その後ゆるやかに減少していくのが一般的です。しかし女性とは違って閉経のような状態にはならず、減少の程度にはかなり個人差があります。70歳を超えてもテストステロンの濃度が現役時代とほぼ変わらない人もいれば、30代半ばで急速に低下する人もいます。
テストステロンというと、「男らしい体をつくる」働きだけが注目されがちですが、実際は体内のほぼすべての器官に働き掛ける作用を持ち、健康状態を維持する上で欠かせないホルモンです。LOH症候群を放置すると、高血圧や糖尿病などのメタボリックシンドロームを悪化させるなど、大きな疾患につながる場合も考えられます。男性更年期障害を軽視するのは危険です。
そもそもテストステロンには、どのような働きがあるのでしょうか。
テストステロンは、もともと狩猟行為に深く関連するホルモンだと言われています。私たちの先祖であるネアンデルタール人は、顔つきの特徴から私たち現代人よりもおそらくテストステロンが高かったと推測されます。獲物を狩るために歩き回り、仲間と協力しながら仕留めた獲物を住処に持ち帰り、家族に分け与えてきました。狩猟行為の一連の動作では獲物を狩る「意欲」と、獲物のありかを探る「認知力」、そして歩き回る「筋力」を必要とし、テストステロンはそれぞれをつかさどるホルモンと言えます。
また、筋肉や骨を強くし、性機能を促進させるほか、過剰な免疫反応による炎症を抑えたり、認知機能にも作用したりすることがわかっています。テストステロンが高くなると活動的になり、チャレンジ精神が旺盛になるだけでなく、社会貢献に対する意欲や公明正大さを高めるといった働きも確認されていて、「社会性のホルモン」といわれるほどです。意外に思うかもしれませんが、女性の体内でもテストステロンは分泌されており、その濃度は高い人だと女性ホルモンの10倍近くにもなります。
体内のテストステロン濃度が下がることで、職場ではどのような不都合が生じるのでしょうか。
更年期障害になると、「はつらつさ」が失われます。やる気がなく、何をするにもおっくうになるので、会社に行くのが楽しくなくなり、仕事への興味も持てなくなります。頭が重く、頭痛やめまいなどに襲われ、首や肩の痛みや鼻づまりなどの症状も出ます。気分だけでなく体も本調子ではないので、仕事になかなか集中できず、生産性の低下やケアレスミスの増加などが懸念されます。
それだけではありません。常に眠く、疲労感があり、不安やイライラにも襲われます。社会性が失われて内向的になり、周りに対し不親切で不誠実な態度をとることもあります。落ち着きがなくなり、周りに当たり散らす人もいるでしょう。また必要以上に他人の目や批評を気にして、心が折れてしまう場合もあります。これではコミュニケーションを取りにくくなり、チームにマイナスの影響を及ぼしてしまいます。
転勤、昇進、昇格……男性更年期障害につながる社会的ストレス
まるでうつ病のようですね。
「うつ病」と「うつ状態」は違うので、区別して考える必要があります。うつ病は身体的、精神的ストレスが背景とされますが、原因や理由がはっきりしない中で起こる気分障害であり、脳の障害として認識されつつあります。気分の大きな高まりと落ち込みが交互に見られる双極性障害も、脳の障害の一つとされます。
しかしうつ状態は、抑うつ気分を示す「状態」です。たとえば適応障害はうつ病のような症状が見られますが、発症の原因となるストレス(ストレッサー)が明らかで、ストレッサーから離れると症状が改善されます。男性更年期障害もテストステロンの低下により、「うつ状態」に陥ったと考えるのが適当です。
うつ病ではないのに、うつ病だと診断されることもあるのでしょうか。
はい。おそらく男性更年期障害で見られる諸症状から、心療内科や精神科に通う人は多いでしょう。厄介なのは、うつ状態に至る理由はいくつも考えられることから、「テストステロンの低下」という原因の特定に至らず、うつ病と見なされるケースも考えられることです。うつ病の治療には抗うつ剤が使われますが、実際はうつ病と診断された人の1/3程度しか良くなっていないというデータもあります。さらに抗うつ剤には、テストステロンの分泌量を減らす副作用もあるのです。
抗うつ剤は外からの刺激を緩和させる作用を持つため、うつ病ではない人が飲むと、ぼんやりとした感覚に陥ることが少なくありません。注意力が散漫な状態になるので、当然ながら仕事にも支障が出ます。メンタル不調を来した中年男性がなかなか本来の状態に戻らず、休職と復職を繰り返している場合、その原因はテストステロンの低下にあるかもしれません。
私が勤務するクリニックでは、精神科と泌尿器科を併設しています。メンタル不調で訪れた患者が、実はLOH症候群だったということはよくある話です。国内に潜在している男性更年期障害患者は、相当数にのぼると見ています。適切な診断と処置により、かなりの人の症状が改善するのではないでしょうか。
男性更年期障害は、加齢によって起こるものなのでしょうか。
確かにテストステロンの減少は、加齢と関係します。しかし先ほど説明した通り、個人差が大きいことに加え、外部要因によってテストステロン産生が妨げられていることも事実です。食事や運動、睡眠といった生活習慣の質が関係することは言うまでもありませんが、一般的に最も大きな原因となっているのはストレスです。
たとえば転勤、昇進・昇格などによる仕事の内容や役割の変化のほか、慢性的な長時間労働などが引き金となってLOH症候群を患う人はかなり多い印象を受けます。しかし問題の本質は、もっと複雑です。先に説明したとおり、テストステロンは「狩猟行為」と深い関りを持ちます。昔は、狩りに出かけ、戦略を練り、獲物を仕留め、仲間たちに歓迎されるという、一連の成果と評価によってテストステロンが分泌し、心身の安定につながっていました。
これを現代人の働き方に置き換えると、仕事の場面で自分の能力を発揮し、成果を認められることが重要になってきます。すなわちハードワークそのものが問題なのではなく、どんなに頑張っても実りが少ない、仲間から認められない、といったことが精神的な負担となり、テストステロンの分泌にも悪い影響を与えているのです。
特に30代半ばにもなると職務の責任の範囲が広くなり、管理職として部下の面倒も見なければなりません。立場的に部下を褒めることはあっても、褒められる場面は格段に減るでしょう。マネージャーに昇進すると、プレイヤーの頃とは仕事の性質がガラリと変わり、今までのように成果を上げられないとなると、自信も揺らいでしまいます。
職場など所属するコミュニティで、自身の存在が認められることが大事なのですね。
その通りです。LOH症候群の患者が料理教室や草野球など趣味のコミュニティに参加することで、症状が大きく改善する場合があります。自分の得意技を発揮し、周りに褒められることで自信を取り戻すのです。
アメリカ人は、所属するコミュニティに重きを置く傾向にあります。アメリカは日本以上に、学歴を重視する階層社会です。出身校で就ける職業や社会的地位が決まり、就職後は仕事を大きく変えることがありません。そこで会社の外に、自分の存在が認められる場所を確保してきました。プライベートを大切にしますし、残業によって家族や趣味のコミュニティに参加できなくなることをとても嫌がります。
滅私奉公が招いた自己家畜化と更年期障害
日本では数年前に、働き方改革で退社時間が早まっても、家に帰ろうとせずに外で時間をつぶす「フラリーマン」が話題となりましたが、それとは対照的ですね。
所属するコミュニティが、会社しかないというのが大きな問題です。そこでうまくいかなければ逃げ場がないので、当然ながら心身に不調を来します。それでもひと昔前までは、仕事はパッとしなくても宴会で周りを盛り上げるのがうまい、若手の悩みや愚痴を聞いてくれるやさしいなど、仕事以外の場で活路を見出すチャンスがありました。
しかし、新型コロナウイルス感染拡大の影響もあり状況が変わりました。テレワークにより一人で仕事を進める時間が増え、チームへの所属意識や評価されている実感を得られにくくなりました。プライベートでも気軽に飲みに行けなくなり、趣味のための活動も控えがちになったのではないでしょうか。テストステロン分泌の視点から見ても、好ましい状況とはいえません。
また、野生動物が人間との共生生活に適応できるよう、形質や性質を変える「自己家畜化」という現象も、テストステロン減少を考える上でキーワードになると考えています。野生のネズミが生息する野原にいくつか穴を開け、穴の中に餌を仕込んだ実験があります。穴には常に餌があると気づいたネズミは、やがて穴に住み続けるようになりました。そして1年後、穴に住み続けたネズミを解剖したところ、周りのネズミに比べて脳の大きさが縮んでいたのです。
同様のことが、日本の社会でも起こっていないでしょうか。ビジネスパーソンの自己家畜化です。過度な家畜化は危険です。何かのはずみで環境が変化した途端、生き延びることができなくなってしまうからです。滅私奉公のように一つの組織に尽くす働き方は思考停止に陥るだけでなく、失敗を恐れて大胆な思考や行動が起こせなくなってしまいます。
安定を求めるのは、社会の不確実性が増したことの裏返しともいえると思います。VUCAな時代は、テストステロンにネガティブな影響を与えるのでしょうか。
社会の不確実さがテストステロンの低下に作用するとは、考え難いですね。なぜなら狩猟行動は、獲物を獲れるかわからない中で行われていたからです。またギャンブルに勝つと、脳内ではドーパミンが大量に分泌されることで、テストステロンも上昇することがわかっています。
テストステロンはフラットな組織では仲間との協働を促進しますが、ヒエラルキーの強い環境ではマイナスの作用をもたらします。身分や職位に縛られる社会では、テストステロンが少ない人のほうが適応しやすいのです。そのことも踏まえると、男性の更年期障害はまさに社会現象であり、日本の労働社会では起こるべくして起こった問題といえるでしょう。
プレゼンティーイズムを解消し、生産性を高める健康経営のために
男性更年期障害だと気づくには、どのような症状に着目すると良いのでしょうか。
男性更年期障害の患者で意外と多いのは、奥様などのパートナーに促されて、医師に相談に来るケースです。更年期障害を自覚するのはなかなか難しいものです。私はパートナーにもわかるサインとして、「ベルト」「夜中のトイレ」「笑わない」を挙げています。
「ベルト」はベルトの穴がずれたとき、つまり太ったときのサインです。ストレスホルモンのコルチゾールが増加すると、テストステロンが低下するケースが見られます。ストレスを感じると過食傾向になったり、揚げ物や焼き肉、ハンバーガーなど脂肪分の多いものが食べたくなったりするでしょう。それはコルチゾールの作用によるものです。
「夜中のトイレ」は、テストステロンの産生サイクルと関係します。血中のテストステロンは、1日のうち朝に最も高くなり、夜は低下します。そして寝ている間にその日使った分のテストステロンを補うのです。そのため、睡眠不足はテストステロンの産生を妨げます。夜中に2回以上トイレに行くという場合は要注意です。
最後の「笑わない」についてですが、笑いは副交感神経が優位なリラックスした状態で起こるもの。テストステロンは副交感神経が優位な状態で分泌が促さるので、笑顔が減ったと感じたら、男性更年期障害のほかの兆候も含めてチェックすると良いでしょう。
LOH症候群の診断に使われている、加齢男性調査票(AMS)も参考になります。症状に点数をつけていくのですが、50点以上は重症であるため、メンズヘルス外来など医療機関への受診をおすすめします。
医療機関では、男性更年期障害はどのように診断するのですか。
血液中のテストステロン濃度を測定します。といっても血圧や血糖値などと違い、個人差が非常に大きく、正常値の定義が非常に難しい性質です。そのため男性全体のテストステロン値の分布を調べ、下位5%に該当する場合をLOH症候群と見なします。
しかしこの基準は、医学的観点で異常を認める疾病レベルのものです。健康経営の観点では、その基準値に合わせて対応するのは十分ではないと考えています。なぜなら更年期障害の症状は、テストステロンの絶対的な濃度よりも相対的な減少によって生じるからです。元のテストステロン濃度が高い人は、たとえ基準値を満たしていても不調を来します。そもそも健康経営は従業員のプレゼンティーイズムを解消し、生産性を高める施策です。基準値ベースで考えていると、従業員のパフォーマンス改善につながりません。
テストステロンの濃度は常に一定ではないため、継続的にテストステロン量を計測し、自身のベストな状態を把握しておくと、パフォーマンスマネジメントにつながります。今は唾液から、テストステロン量を測るサービスも市販されています。医学的な診断はできませんが、コンディションの目安を図るツールとして利用するには有効でしょう。
男性更年期障害と診断された場合、どのような治療が行われるのでしょうか。
ホルモン補充療法や生活習慣の改善と並行して、テストステロンの産出を促すビタミン剤などを処方するほか、漢方療法を併用する場合もあります。とはいえテストステロンの低下は、加齢とコミュニティでの自己有用感の喪失が招いたものです。自分が認められる場への参加、あるいは自己有用感を得られた過去の出来事を思い返すなどして、自信を取り戻すことがポイントです。
私は日ごろの診察で、重症な患者を入院させる場合があります。このとき患者には、院内でのボランティア活動をお願いしています。体が不自由な患者の車いすを押すなど、身のまわりの世話をすることで、周りから感謝されて気持ちが奮い立つと、症状が改善するのです。とはいえ治療はケースバイケースです。信頼できる医師に相談するといいでしょう。
認め合いがテストステロンを高め組織の健全化につながる
人事担当者は男性更年期障害の従業員に対して、どのようなフォローができますか。
女性の更年期障害と比べて、男性更年期障害はあまりにも認知されていません。仕事を含む日々のパフォーマンスにテストステロンが関連していることなど、男性更年期障害について広く知ってもらうことがまず大切です。
また先ほど申し上げた通り、男性更年期障害は本人も自覚しにくいものです。ケアレスミスが増えた、ヒステリーを起こすようになったなど、今までにない異変を感じたら周りは注意深く観察し、可能であれば検査受診を提案するなど、男性更年期障害の可能性を示唆する働きかけができると良いでしょう。信頼関係がないと難しいですが、本人だけでなくチームにとっても重要なことです。
そして何より「褒めること」が、最大の予防法であると同時に治療法となります。男性更年期障害は、自尊心と深く関係します。働きがいを感じられることが重要です。
働く仲間同士で認め合い、チームの一員であることを誇りに感じられる環境が、テストステロン産生にも作用するのですね。
「獲物を捕まえて周りに認められる」体験を、今の社会に見合う形で再現することが大切です。良い業績を収めた人だけでなく、成功をアシストした人、困難なプロジェクトを完遂したチームや業務の円滑化をサポートする部署など、日の当たる部署から縁の下の力持ちまで、良い働きをお互いに褒め合う文化の醸成が必要です。
表情が暗くて体の動きも鈍く、明らかに調子を落としている社員がいたら、自信を取り戻す働きかけを意識すると良いでしょう。小さなことで構わないので、本人の良いところを見つけて褒めるのです。このとき、周りのメンバーにも本人の良い働きぶりがわかるように伝えることがポイントです。
またテストステロンのみならず、オキシトシンの作用にも注目です。オキシトシンは分娩や母乳の分泌に関係するホルモンとして知られますが、男女問わず分泌し、別名「思いやりのホルモン」と言われます。人に優しくすることで分泌が促され、やすらぎと幸福感を得られます。特に男性は困難な仕事を複数人でやり遂げたときに、オキシトシンが分泌されます。感謝の気持ちを持ち続け互いを思いやる関係は、幸せに働くことに直結するのです。
テストステロンを味方につけることは、社員の健康状態やパフォーマンスだけでなく、組織力の向上にもつながるのですね。
テストステロンは、言うなればヒーローのホルモンです。たとえば大谷翔平選手が日米の野球ファンを魅了するのは、規格外のプレーに加え、フェアな姿勢やチームメイトに愛されるキャラクターなど、人間的な魅力を感じるからでしょう。組織の健全さは、人の健全さによって築かれるものです。ぜひテストステロンの働きに目を向け、互いに認め、高め合うことで役職を問わず一人ひとりの持ち味が発揮される関係性を築き、ヒーローたちが活躍する健全な組織づくりに取り組んでください。