日本の人事部「HRカンファレンス2016-秋-」開催レポート
健康でイキイキ働くための「ワーク・エンゲイジメント」~メンタルヘルス課題をポジティブに考える~
島津 明人氏(東京大学大学院 医学系研究科 精神保健学分野 准教授)
玉山 美紀子氏(富士通株式会社 人事本部 労政部 アシスタントマネージャー)
地木楽 輝明氏(DIC株式会社 埼玉工場 総務グループ 業務・システム 担当課長)
多くの企業が従業員のメンタルヘルスの問題に直面している。そこで今注目されているのが、ポジティブな側面からメンタルヘルスをとらえ直す「ワーク・エンゲイジメント」という考え方だ。仕事に誇りとやりがいを感じ、心身ともに健康的でイキイキと働ける状態を作り出すことは生産性の向上にも寄与する。不調者のサポートや予防だけにとどまらない、いわば「攻めのメンタルヘルス」といえる。本セッションは「ワーク・エンゲイジメント」を日本でいち早く提唱した東京大学・島津明人氏が登壇。二社による事例紹介も交えながら、健康でイキイキと働ける環境づくりを考える場となった。
- 島津 明人氏(しまず あきひと)
東京大学大学院 医学系研究科 精神保健学分野 准教授/
1969年福井県生まれ。2000年早稲田大学大学院文学研究科心理学専攻・博士後期課程心理学専攻修了。博士(文学)、臨床心理士。早稲田大学助手、広島大学講師、同助教授、ユトレヒト大学客員研究員を経て、2007年より現職。主な著書に『ワーク・エンゲイジメント入門』『ワーク・ エンゲイジメント:基本理論と研究のためのハンドブック』(星和書店)、『自分でできるストレスマネジメント』(培風館)、『職場のストレスマネジメント:セルフケア教育の企画・実践マニュアル』、『職場のポジティブメンタルヘルス:現場で活かせる最新理論』(誠信書房)、『ワーク・エンゲイジメント:ポジティブメンタルヘルスで活力ある毎日を』(労働調査会)などがある。
- 玉山 美紀子氏(たまやま みきこ)
富士通株式会社 人事本部 労政部 アシスタントマネージャー/
1974年生。大学卒業後、商社系リース会社勤務後、アデコ株式会社にて営業、人事教育部門を経て、産業保健・安全衛生部門の立上げに携る。育休後、人事部にてメンタル不調者の対応を行う。その後、株式会社損保ジャパンでEAP事業のヘルスケアコンサルタントとして勤務。2009年に富士通株式会社に入社。人事部門から独立した健康推進本部立上げに携り、ストレスチェックの組織評価をES調査と連携して活用し、職場活性化の一助として展開。日本生産性本部「健康いきいき職場認証スターター認証制度」の企画にも関与する。2015年10月より現職。人事部門としてメンタルヘルスの研修や組織マネジメント支援の全社企画をし、健康経営の施策立案に取り組む。
- 地木楽 輝明氏(じもくら てるあき)
DIC株式会社 埼玉工場 総務グループ 業務・システム 担当課長/
1992年に大日本インキ化学工業株式会社(現DIC株式会社)に入社。物流部門に配属となり受発注、営業開発、システム保守などの業務に携わり、2014年3月より現職。2015年1月に発足した「埼玉工場 健康いきいき職場推進委員会」の事務局として、工場従業員のコミュニケーション活性化と健康いきいきに繋がる施策を企画・運営する。
【島津明人氏によるプレゼンテーション】
健康でイキイキ働くための「ワーク・エンゲイジメント」~メンタルヘルス課題をポジティブに考える~
ワーク・エンゲイジメントを定義する
「ワーク・エンゲイジメント」とは何か。島津氏はまず従来型のメンタルヘルス対策との違いからワーク・エンゲイジメントを理解するための図を示した。
「職場のメンタルヘルス対策は、大きく一次予防、二次予防、三次予防に分けられます」
三次予防は、メンタル不調に陥った社員の治療や復職をサポートし、再発を予防するもの。二次予防は、不調者をできるだけ早く発見し対応するためのもの。ストレスチェックを行い、リスクが高い社員に医療機関を紹介するといった活動がそれにあたる。そして、一次予防はメンタル不調に陥ることを未然に防ぐことに重点が置かれる。
ワーク・エンゲイジメントは最後の一次予防にもっとも近い考え方だ。厚生労働省が「心の健康づくり指針」を出した2000年頃から熱心に取り組まれるようになった。島津氏によると、一次予防には二つのやり方があるという。
「一つは個人に向けたセルフケア、もう一つは職場環境や組織に向けたもの。上司の部下へのサポート力アップをはかる管理監督者教育、働きやすくストレスの少ない職場づくりを進める職場環境改善などとなります」
ただし、ワーク・エンゲイジメントを高める方法は一次予防とまったく同じというわけではない。
「一次予防は、メンタル不調者をできるだけゼロに近づけていく考え方です。いかにマイナスにならないようにするか。いってみればゼロが最高点です。しかし、ワーク・エンゲイジメントの健康でいきいきと働くという考え方は、ゼロからいかに上積みしていくかにポイントを置きます。多くの人の健康や元気を底上げしていく発想です。『ゼロ次予防』とも言われます」
職場が活気づき、働いている人が前向きに仕事に取り組めば当然生産性もアップする。ワーク・エンゲイジメントが「ポジティブな考え方」といわれる理由がよくわかった。
ワーク・エンゲイジメントが求められた背景
では、ワーク・エンゲイジメントが注目される背景は何か。「このあたりは人事の皆さんの方が詳しいかもしれませんね」と言いながら、島津氏はいくつかの労働環境変化をあげた。
「雇用の安定性が低下していること、頑張っても報われない状況、組織のあり方の変化……。こうした状況下では、これまでのように不調になった人を支えるだけでは十分とは言えません。働く人や組織の強みをいかに伸ばすかが、重要になってきているわけです」
経済環境が大きく変化したことで、個人や組織にかかるストレスは急激に大きくなっている。メンタル不調者への対応が中心となる従来型のメンタルヘルス対策では、次々と発生する不調者を減らすことはできない。考え方を「メンタル不調者を出さない」という方向に切り替えなくてはならないのだ。そのためには、「個人を強くすること」と「組織を強くすること」が必要になる。そして、この時に不可欠なのが「人事の役割」だと島津氏は強調した。
「メンタルヘルスの専門家(医療関係者)は、治療や復職支援などは得意ですが、個人の強化や組織の強化はむしろ人事の専門家、さらには経営者の得意とする分野です。これからは産業保健と人事・経営がコラボレーションすることによって、新しい職場のメンタルヘルスをつくっていくべきではないでしょうか」
しかし、産業保健と経営は、かつてはあまり仲が良くなかったという。
「産業保健や医療の立場からは、『生産性を上げること=健康を犠牲にすること』というニュアンスがありました。逆に経営側には、健康に配慮などと甘いことを言っていては競争に勝てない、という考え方もあった。特に昔はそうでした。しかし、よく考えてみるといい仕事をするためには健康は欠かせない経営資源だ、ということに気づく経営者も出てきました。それが近年の『健康経営』の流れにつながっているわけです」
この考え方は、すでに世界的潮流となっている。WHO(世界保健機関)も「企業の発展は労働者の健康なくしてはありえない」とし、健康とは「単に病気や不調ではないというだけでなく、生産的で充実して働ける状態」であると定義している。
ワーク・エンゲイジメントとワーカホリズムの違い
続いて島津氏が説明したのは、ワーク・エンゲイジメントの基本的な考え方だった。もともとエンゲイジメントという言葉は、人事の世界では広くさまざまな意味で使われていた。それを整理したのが、オランダの心理学者・シャウフェリだ。
「シャウフェリによって、ワーク・エンゲイジメントは、(1)仕事に誇り(やりがい)を感じ、(2)熱心に取り組み、(3)仕事から活力を得ていきいきしている状態と定義されました」
ワーク・エンゲイジメントの先駆者となったシャウフェリだが、もともとは正反対の「バーンアウト(燃え尽き症候群)」を研究していた。バーンアウトを防ぐことが労働者の幸福につながると考えていたのだ。しかし、研究を進めるうちに、「燃え尽きてないだけでは幸せとはいえないのではないか」と考えるようになる。そして、やりがいや充実感を持って働ける状態としてのワーク・エンゲイジメントの概念に至ったのだという。
ここで島津氏は、ワーク・エンゲイジメントともバーンアウトとも異なる関連概念として「ワーカホリズム」を紹介した。「ワーカホリック(仕事中毒・仕事依存)」として、われわれにもなじみのある言葉である。
「ワーク・エンゲイジメントもワーカホリズムも、ともに仕事に多くのエネルギーを注ぎます。しかし、まったく違うのは仕事への向きあい方です。ワーカホリズムの場合、仕事から離れると不安、ストレス、罪悪感を覚え、それを打ち消すために働きます。ワーク・エンゲイジメントの場合は、仕事をしたいという『夢中型の努力』ですが、ワーカホリズムの場合は、仕事をしないといけないという『我慢型の努力』だと言えます」
夢中になって取り組んだ仕事と、我慢しながら取り組んだ仕事とでは、当然成果も異なってくる。島津氏は、日本人1200名を約2年間にわたって追跡調査した結果のデータを示した。
「結果は非常にはっきりと出ています。ワーカホリズムの人は、ストレスが高くなり、仕事や家庭の満足度は低くなりました。仕事のパフォーマンスは(ものすごく努力しているわりに)変わりません。一方、ワーク・エンゲイジメントが高い人のケースは、ストレスは低下、仕事・家庭の満足度やパフォーマンスは向上しています。つまり、夢中型の努力をしているか我慢型の努力をしているかで、健康にも仕事の成果にも大きな差が出てきます」
人事は、社員の頑張りが「夢中型」なのか「我慢型」なのかをしっかり見極めていく必要があるということだ。
ワーク・エンゲイジメントを高めるために
プレゼンテーションの後半は、ワーク・エンゲイジメントを高めるには何が必要かというテーマとなった。
先ほどのシャウフェリらによる「仕事の要求度-資源モデル」によれば、個人の資源、組織の資源が充実することでワーク・エンゲイジメントが高まり、健康や組織の好結果につながる。資源とは「強み」と言い換えてもいい。従って個人の資源とは、自己効力感、自信、コントロール感などであり、組織の資源とは、組織内での支えあい(ソーシャルサポート)、やりがい、経営者との信頼関係などだ。
「こうした個人や組織の資源、強みを高めることで心身の不調も減り、生産性も上がる。一石二鳥の効果が期待できます。しかも、従来のセルフケアや管理者教育、職場環境改善と全く違うことをやらなければいけないとういうことではないんです。これまでのメンタルヘルスに一味加えればいい。人事でいえば人材開発、組織開発に近いかもしれません」
具体的にはどういった活動が効果的なのか。島津氏は「ストレスチェックの有効活用」をあげる。特に重要なのは「集団分析」だ。ストレスの要素が高いか低いかを職場ごとに集計し、課題があれば直していく。
「ただし、注意したいところもあります。自分たちの組織がよくないと言われた上で、その対策まで自分たちでやるとなると、職場に新たな大きな負荷がかかり、ストレス対策自体がストレスになる可能性があります。逆にリスク値が低いと出た職場は、これでいいんだと油断してしまうかもしれない。どんな職場でも日頃のマネジメントの中に組織を良くしていく活動を無理なく織り込んでいくことが大事なのです」
実際、厚労省の指針にも「働きやすい職場は生産性向上につながる」「事業経営の一環として取り組んでほしい」といった内容が盛り込まれている。ストレスチェックを直面するメンタルヘルス対策だけ使うのではなく、中長期的な職場改善に役立てたい、というのが島津氏の考え方だ。
組織開発と人材開発 ~その具体例
ワーク・エンゲイジメント向上活動として島津氏が最後に語ったのは、「組織開発」と「人材開発」に関する事例だった。
島津氏のチームはさまざまな事業者に出向き、厚労省のストレスチェックを利用した組織改善活動を行っている。その活動の一つとして紹介されたのが、職場で互いに尊重しあえる人間関係をつくる「CREW(クルー)プログラム」だ。もともとアメリカの公的機関で開発されたもので、チームで仕事をする職場に効果がある。
「2年前に、ある大学病院でもこのプログラムを使った組織改善を実行しました」
病院にはさまざまな職種の人たちが働いているが、当初はお互いのことをよく理解しないまま仕事をしている状態だった。そこで定期的にメンバーが集まり、組織を良くするための話し合いを行った。
「週に一回、30分の話し合いを6ヵ月間続けます。最初は違う職種の人たちがお互いを知るところから始めました。休みの日は何をしているのか、ニックネームは何なのかなど、たわいのないことでいいんです。これによって、会合以外のところでも次第に会話が増えていきました」
病院内では不注意による医療事故がもっともこわい。薬の取り違えなど「ヒヤリ」「ハット」をなくしていこうという運動は以前から行っていたが、「CREWプログラム」を採り入れた活動の結果、事故を未然に防ぐ会話のキャッチボールが自然にできるようになっていったという。結果としてワーク・エンゲイジメントの向上、病棟全体の温かい雰囲気やお互いを尊重する空気が醸成されるなど、職場環境の大幅な改善が見られた。
一方、人材開発については、自分の仕事をやりがいのあるものに変えていく技法である「ジョブ・クラフティング」が紹介された。
「日々の仕事すべてにやりがいがあって、楽しいというわけにはいきません。7割くらいは気乗りがしないのが普通かもしれない。その気乗りのしない7割を自分にとってやりがいのある仕事に変えていく、それが『ジョブ・クラフティング』です」
具体的には、(1)仕事のやり方を変える、(2)仕事で関わる人間関係を変える、(3)仕事の捉え方(認知)を変える、という技法だ。しかし、これだけではわかりにくいかもしれない。島津氏が例にあげたのは、プロ野球・楽天の元監督、野村克也氏の選手時代のエピソードだった。
「バッティングの素振りは非常に単調でつまらないトレーニングです。やっていても辛い。そこで野村さんは、『良いスイングができた時は音が違う』ということに着目した。いかに良い音を出すかを工夫しながら素振りを行うといくらでもできた、というんですね。これは仕事の認知を変えるジョブ・クラフティングといえます」
島津氏のチームはジョブ・クラフティングについても、トレーニング・プログラムを開発している。このプログラムはさらにブラッシュアップし、3年後を目途に厚労省のガイドライン、およびマニュアルにまとめられる予定だ。
組織と個人の活性化のこれからの課題
最後のまとめとして、島津氏は今後のメンタルヘルスに関する課題をあげた。(1)産業保健とマネジメントの協調、(2)中小規模事業所での展開、(3)親の介護と子育ての板挟みになっている世代のケア、(4)働き方に加えて「休み方」をどう考えるか。各企業で人事に携わっているこの日の参加者にとっても、まさに直面している問題といえるだろう。メンタルヘルスをポジティブに捉えるワーク・エンゲイジメントの提案は非常に新鮮に響いたはずだ。
【玉山美紀子氏によるプレゼンテーション】
ストレスチェックとES調査の活用事例
富士通の玉山氏は、同社が2009年から取り組んでいるデータ分析を活用したメンタルヘルス対策を紹介した。
「富士通らしい働き方」とは何か?
同社が取り組む「ワークスタイル改革」は、国が掲げる「働き方改革」とも連動している。人事としては、健康でイキイキと働いてもらいたいということが第一の目的だが、経営からは生産性向上に関する期待も大きいという。
「ただ、それを社員にそのまま伝えると、さらに仕事がきつくなるというイメージで受け取られる可能性があります。そこで、健康でいきいきと『幸せに』働いてもらう、富士通グループでやりがいのある時間を過ごしてもらう、そういうテーマを前面に掲げるようにしています」
同社ではグループ会社が開発した「ストレスチェック」と「ES(社員満足度)調査」をすでに2005年頃から実施ており、そのデータが蓄積されている。ここに有休取得や時間外勤務などのデータを加え、その分析結果を「ワークスタイル改革」に生かしている。社員の約3分の2がSE(システムエンジニア)である同社は、IT技術を活用してワークスタイルを柔軟に変える取り組みを一貫して行ってきた。それに加えて、働きやすい風土の醸成、組織改革にも力を入れている。その際に掲げているのが、「富士通らしい働き方とは何か?」というテーマである。
同社のストレスチェックは、「職業性ストレス簡易調査票」をベースに独自項目も追加し、77項目の質問構成で実施している。このストレスチェックを使った組織活性化、組織評価の試みを2009年から本格的にスタートさせた。東京大学と日本生産性本部の「健康いきいき職場づくりフォーラム」の認証を受けたのもこの活動だ。
ストレスチェックの結果は各職場にフィードバックしているが、その際の工夫は同社ならではのものといえる。
「当社はSEや研究開発職など理系出身の社員が多いため、アンケートや調査を行うと、『この質問のロジックはどうなっているのか』といった問い合わせが毎回来ていました。そのため、フィードバックの際にはストレスを示す数値はどこからきているのか、健康リスクの判断はどういう根拠からなのかなど、ストレスチェックの構造自体を社員にもよくわかるように説明しています」
こうした配慮は、結果的に多くの社員の「ストレスへの理解」を深めることにつながっている。他社でも応用できるヒントが隠されているかもしれない。
役員へのフィードバックにも工夫をこらす
ストレスチェックの結果をプリントアウトするとA4用紙で30ページ程度になるのが一般的だ。
「当社では数百人から数十人単位のビジネスグループごとに、フィードバックを行っています。ただ、担当役員にいきなり30ページものレポートを見せても読んでもらえません。そこで、他の経営資料などと同様にA3用紙一枚にまとめる工夫をしています。図表化するだけでなく、値の高低を色の濃さで表すなど、一目で傾向がわかるようにします。初年度の2009年度は、その資料を持って役員一人ひとりにアポをとって説明して回りました」
職場改善の取り組みには、トップの意識が重要だ。役員の理解を得ることにはかなりの努力をしたという。
「非常に興味を持ってくれる役員もいれば、最初はまったく無関心な役員もいました。大体3~4年かかって全社に認知された形です。それでも、ストレスの値が平均より低い職場の役員からは、『だったら、うちの部署はもっと働けるんじゃないの』と言われるようなこともありました。せっかく努力して良い数値を出しても、すぐにほめられるわけではないこともわかりました。そこで翌年からはグラフを工夫して、ワーク・エンゲイジメントの数値そのものが目標だとはっきりわかる形にアレンジしなおしたりもしました」
たしかに昔気質の役員であれば、「ストレスが少ない=もっと無理がきく」と考える人もいるかもしれない。玉山氏は、「健康いきいき職場づくりフォーラム」で指導を受けていた島津氏にも相談し、図表を工夫することで誤解を払拭していったという。経営の理解を進める上で非常に参考になるエピソードだ。
さまざまなデータ分析とその活用
同社のデータからはさまざまな傾向が浮かび上がった。そのいくつかを紹介しよう。
- ワーク・エンゲイジメントは職種・年代・性別によって大きく違いが出る。富士通では特に営業部門の女性社員の疲弊が目立ち、ダイバーシティの観点からも問題であることがわかった。そこでダイバーシティ推進室と連携して女性営業向けの教育に注力していくことになった。
- 独自質問でオフィスの快適性を訊ねたところ、同じ事業所でもワーク・エンゲイジメントが高い層は満足度が高く、低い層はオフィスにも不満を持っていることがわかった。
- 同じく「睡眠の質」を問う独自質問では、よく眠れている人ほど活性度が高いことがわかった。産業医や産業保健看護職にこのデータを見せることでより的確な状態の把握が可能になった。
- ストレスチェックとES調査の結果には相関関係があり、職種・年代・性別などで分けたグループごとの対応が必要だということがはっきりした。富士通グループで働くことに誇りを持ってもらうには、ワーク・エンゲイジメントがカギになることもわかってきた。
こうしたデータは2~3年単位で傾向が見えてきたものから経営にもフィードバックしている。その上で、それぞれの関連部門との連携で対応策を立てて実施している。
フィードバックを受けた職場の取り組み
職場側の取り組みも徐々に変化してきている。
- 短いスパンで新製品を開発しないといけないモバイル事業部は、全社でもっともストレスの値が高かった。リーダーを中心に課題を分析し、部署内でのコミュニケーション不足解消がもっとも重要という結論に達した。コミュニケーション改善や教育プログラムを自分たちでつくる取り組みによって、健康リスクを大幅に低減させることができた。この活動は社長賞を受賞した。
- 取引先1500社を対象にヒアリング、リサーチを行い、もっともCS(顧客満足度)の高いチームを表彰することで組織活性化をはかる取り組み「CSアワード」を行っている。従来は、表彰されると賞金で宴会を開いておしまいだった。しかし、これでは後に何も残らないことに気づき、上司・同僚からお祝いの言葉を書いた「手紙」をメインの賞品とした。さらに、デスクに飾れる「熊のぬいぐるみ」やネックストラップにつけられる「缶バッジ」を副賞とした。他部門の社員と会ったときに会話のきっかけになり、チームの一体感も育まれる。つまり「誇り」を賞品としたのである。
ストレスチェックとES調査は、同じ会社での管轄が異なるケースも多い。しかし、そのコラボレーションによってこれまで気づかなかった傾向が見えてくることがある。その結果を人事と経営が共有し、協力して進めるメンタルヘルス対策の重要性が見えてきたプレゼンテーションだった。
【地木楽輝明氏によるプレゼンテーション】
健康いきいき職場づくりの取り組み
DIC埼玉工場は、650名の従業員が働く同社の中でも大規模な事業所だ。最先端の工業製品を扱っており、顧客は海外企業が多い。そのため厳重な機密保持や機動的な顧客対応が求められ、多大なストレスによるメンタル不調を訴える社員の割合も高かった。地木楽氏のプレゼンテーションは、この埼玉工場が労使一体となって職場改善に取り組んだ事例だった。
工場長からのトップダウンでキックオフ
「実験室に行ってしまうと、朝から晩まで他部署とは一切交流がないことも多いんです。また、職場のほとんどはクリーンルームなので、マスクなどをすると顔もよくわからない。コミュニケーション不足も当然のような状況でした」
地木楽氏が語るように、こうした環境ではメンタル不調者の治療や復職をいかに頑張っても限界がある。そこで工場の最高責任者である工場長からのトップダウンにより、「心の健康づくり計画」を策定することになる。2012年4月のことだ。
「こうした中で東京大学と日本生産性本部の『健康いきいき職場づくりフォーラム』に参加し、ワーク・エンゲイジメントという考え方にも出会うことができました。まさに埼玉工場が一丸となって取り組むべきものだと共感し、2014年10月に『健康いきいき職場スターター認証』を取得。本格的にプロジェクトをスタートさせました」
「労使協働でポジティブなメンタルヘルスへの挑戦」を掲げた埼玉工場では、プロジェクト推進委員会の委員長を工場長が、副委員長を労組の執行委員長が務めることになる。この推進委員会の下に三つの分科会を作って具体的な施策を計画・実施していった。推進委員会と分科会全体で延べ55名が参加。各分科会は10~20名で構成されていた。
三つの分科会
- にぎ「WA」いづくり分科会(コミュニケーション活性化をめざす)
- 心の健康づくり分科会(従業員の心身の健康増進をめざす)
- いきいき環境づくり分科会(働きやすい職場環境をめざす)
日本生産性本部の協力でノウハウを導入
大まかな体制は出来たものの、具体的にはどう活動していったらよいか、まったくノウハウもない中で手探り状態だった、と語る地木楽氏。そのため、外部の知見を積極的に導入していったという。
「まずは分科会それぞれの役割を決め、取り組みたいことを書き出していく作業から始めました。ただ、計画はつくったものの素人ばかり。プロジェクトの理念や考え方を従業員にうまく説明する自信もないし、やり方自体もよくわからない。また、ストレスチェックについてもどう準備していけばいいのかという不安もありました」
そこで日本生産性本部から講師を招き、2015年7月から数次にわたって指導を受けることにした。
「講演だけでなく、実際に各職場でワークショップを開き、何のためにやるのか、どうやってやるのかというところから教えてもらいました。議論のまとめ役となるファシリテーターが話し合いをコントロールしたり、意見を集約したりするノウハウなども一から学びました。その結果、約30の職場でワークショップを実施することができました」
話し合いのテーマは主に「自分たちの職場の強みは何か。弱みをどうすれば強みに変えて伸ばしていけるのか」。楽しく働ける職場づくりのために必要なことを考えていった。
従来からの取り組み+新しい取り組み
続いて、埼玉工場が行ったさまざまな取り組みが具体的に紹介された。ここで地木楽氏が強調したのは、必ずしもすべてが新しい取り組みではなかったということ。既存の行事などに工夫を加えることで、より効果があがる方法を模索していった。
- 工場大忘年会
- 花見会
- 工場長と語る会
- 家族見学会
- 地元の伊奈まつりへの模擬店出店
- コミュニケーションスペース設置
- ほめほめ隊
- いきいき版給食委員会
- メンタルヘルスセミナー
- 食育講座
- あいさつ運動
- いきいきアンケート
- 分科会ニュース発行
- 運動セミナー
いずれも工場内のコミュニケーションを活性化することで、いきいきと働ける職場づくりを実現する取り組みとなっている。もちろん、こうした施策を実行した後は、振り返りを行い、次年度の計画立案に反映させている(PDCA)。
「今後はストレスチェックのデータをもっと分析して職場改善につなげたいと考えています。また、アンケートを実施すると、回答の中には『あまり意味を感じない』というものもあります。大きな組織なので当然かもしれませんが、そういう意見もあることを念頭に置きつつ、次年度の計画を立てていくべきだと考えています。また活動をマンネリ化させない『いきいき疲れ』の防止も大事です」
目的を正しく理解し、推進者の自己満足で終わらせないこと。職場全員が理解・協力していく体制をつくることの大切さが強調されたプレゼンテーションとなった。
【ディスカッション】
ワーク・エンゲイジメントをいかに導入するのか
セッション終盤は、参加者同士が各テーブルにわかれ、四つのテーマから議題を選んでディスカッションが行われた。
テーマ
(1)経営層をどう巻き込むか(2)社内・社外のリソースをどうつないでいくか
(3)社内外のデータ(ストレスチェック、ES調査など)をどう活用するか
(4)ストレスチェックをどう活用するか
それぞれ代表者からまとめが発表されたが、やはり「経営層をどう巻き込むか」「ストレスチェックをどう活用するか」に参加者の興味が集中していたのが目についた。おそらく現場でも直面している課題なのだと思われる。
最後に、パネリストそれぞれが今日のセッションについてまとめた。
玉山氏:ストレスチェックやES調査の結果を経営にフィードバックする際には、すでに経営と近い、常時やりとりをしているような部門と連携していくのも、経営に正しく理解してもらうための方法として有効だと思います。せっかくのデータですから、いろいろな切り口で利用していくことを考えています。ぜひ皆さんも『もったいない精神』でいってほしいと思います。
地木楽氏:埼玉工場ではトップの理解が非常にあったので、データはなくても、まずやってみようと言ってもらえました。ただ、やった結果どうなのか、成果は当然求められます。そこを可視化していくためにも、ストレスチェックやアンケートのデータ分析は積極的に活用したいですね。今日の富士通さんのデータ活用事例は非常に刺激になりました。
島津氏:今日はワーク・エンゲイジメントという考え方をご紹介しました。富士通さんのケースには、健康で生産性を上げながら『幸せになる』というメッセージが入っていました。これはとても大事ですね。ポジティブでなければということを意識しすぎると、それが逆にしばりになる可能性もあります。ありのままの、その人なりの幸せのために健康でイキイキをどう活用していくかが大事だとわかりました。DIC埼玉工場さんの事例では、労使で取り組むことの重要性が見えてきました。また、全部が新しい取り組みでなくてもいい。できるところからやっていくということ。皆さんの社内にも多くのデータがあるはずです。数値化されたデータだけでなく、人事の皆さんが社員一人ひとりの状態を把握している、それもデータなんですね。ぜひ活用していってほしいと思います。
ストレスチェックの義務化を一つのきっかけとして、健康的で生産性の高い職場をめざすための有効な手がかりとなる「ワーク・エンゲイジメント」の概念はさらに浸透していきそうだ。そのことを実感させられたセッションだった。