CWO(Chief Wellness Officer)を設置し、自社独自の健康保険組合を運営
タクシー乗務員の健康増進を実現する、日本交通の「ウェルネス経営」とは
日本交通株式会社 上席執行役員CWO
畠山 明秀さん
生産人口の減少が進むなかで健康に対する社会的な価値が変わり、「健康経営」に取り組む企業が増えています。一方で、「施策が頭打ちになっている」「効果が見えにくい」「従業員に浸透していない」といった声もよく耳にします。このような状況下、日本交通株式会社では経営方針の一つとして「ウェルネス経営」を宣言。自社独自の健康保険組合を運営するほか、CWO(Chief Wellness Officer)の設置や、乗務員の健康・受診管理を強化する「健康管理プロジェクト」の実施など、従業員の健康増進に向けてさまざまな施策に取り組んでいます。同社のCWOである畠山 明秀さんに、取り組みの詳細や課題、従業員の変化などについてうかがいました。
- 畠山 明秀さん
- 日本交通株式会社 上席執行役員CWO
はたけやま・あきひで/1987年日本交通株式会社入社。タクシー乗務員を約10年経験し、運行管理者の経験を経て、品川営業所・新木場営業所・千住営業所・葛西営業所の所長を歴任。現在、役員としてタクシー部門を統括すると共に、CWOとして社員の健康管理のための種々の施策を取り仕切る。
ウェルネス経営宣言の前に、管理職自らが健康管理に取り組んだ
2015年に「ウェルネス経営」を宣言し、健康増進施策を展開されています。取り組みを行うことになった経緯をお聞かせください。
タクシー業界は従業員の平均年齢が高く、他の産業よりも健康リスクが高いといえます。また、お客さまをお乗せして運転するという命を預かる仕事であるため、社員がまず健康でなければ安全を実現できません。
会社として健康経営に取り組むべきだと感じていたときに、ウェルネスサービスを運営している企業との連携の話があり、ダイエットアプリを活用して健康管理を始めてみることになりました。健康経営を推進するにあたっては、管理職の意識を改革することが大切だと考え、まずは管理職が健康管理を行ってみることに。BMI値が高い人を抽出し、食事を指導してくれるアプリを活用して3ヵ月のダイエットを行いました。私もその一人です。1日の食事量と運動量を記録し、体重がどう推移するかをみていきました。
その後、「ウェルネス経営」を宣言し、全社で横断的に取り組むための旗振り役として、タクシー部・ハイヤー部それぞれにCWO(Chief Wellness Officer)をおくことになりました。タクシー部のCWOを担当することになったのが私です。
タクシー部には4000名を超える乗務員がいるため、健康管理の体制が整うのに時間がかかりましたが、ここ2~3年で本格的な施策を展開しています。2022年6月には「健康管理プロジェクト」を発足。タクシー乗務員の健康・受診管理を行うことで、健康管理への意識を向上させ、健康上の問題が原因となる事故を防止することが目的です。
「健康管理プロジェクト」に関する取り組みの概要をお聞かせください。
行った施策は主に四つです。一つは、SAS(睡眠時無呼吸症候群)に対する取り組みです。タクシー部にいる約4000名の乗務員の中から、健康診断でBMI30以上になった人を対象に、SASの簡易検査キットを配布。検査の結果、「要診断」「早期受診」に該当した人には、当社独自の健康保険組合である「日本交通健康保険組合」と連携している病院の呼吸器外来などを受診してもらうようにしました。会社が指示する形で受診をしてもらうため、治療費の一部は会社が補てんしています。
二つ目は、脳ドックです。まずは高血圧の人に検査をしてもらいました。E判定が出た人もいましたが、対応は二つに分かれます。治療を継続しながら乗務する場合と、一度乗務を停止し、治癒してから乗務する場合の二つです。
三つ目は、法的に定められている特定保健指導の徹底です。目的は、病気予備軍の人が病気になるのを抑制すること。40〜74歳の対象者の中から保健指導対象者を選び、特定保健指導を行います。病気になる前の予備軍の人たちに、保健員の指導のもと食事療法の指導を行いました。
四つ目は、業務開始前の血圧測定です。高血圧は疾患につながるリスクが高いため、血圧を意識してもらうことが目的でした。各営業所に血圧計を置き、健康診断で高血圧と診断された乗務員、高血圧を治療中の乗務員には、日常的に血圧を測ってもらうようにしています。
タクシー乗務員の健康管理の意識を変えたのは、運行管理者の日々の声かけ
健康管理プロジェクトを実施するにあたって、課題はありましたか。
乗務員の健康を考えて、会社がさまざまな機会を作っても、文化として浸透するには時間がかかります。個人の立場で考えると、少し体調が悪いくらいなら病院に行くのはおっくうだと思うものです。検査や治療を受けてほしくても、なかなか個人は動いてくれません。健康に対する意識づけに苦労しました。
また、従業員に意識が浸透するスピードは事業所によってばらつきがありました。事業所は少ないところで120名ほど、大規模なところは1200名ほどと規模が大きく異なります。健康管理プロジェクトの実施にあたり、事業所が目指すゴールを設定しましたが、特に大規模事業所は達成が難しい状況でした。
課題に対して、どのように取り組まれたのでしょうか。
営業所にいる運行管理者一人ひとりが、検査や治療に行ってほしい乗務員の体調を気遣い、伝え続けるという地道な活動をしてきました。運行管理者とは、タクシー乗務員に運行の指示をしたり、健康面や営業面について指導したりするポジションで、一人ひとりの乗務員と面談なども行います。タクシー40台にあたり、運行管理者を一人おくことが法律で義務付けられています。
タクシー乗務員には高齢の人も多いのですが、人間は歳をとると頑固になっていくものです。年配の乗務員に健康診断の二次検査に行くように伝えても、最初のうちは「僕は元気だから大丈夫」となかなか病院に行ってくれません。そんな乗務員に対して、運行管理者は「検査でこんな数値が出ているんだから、行かないとだめですよ」と言い続けました。このとき、ただ病院に行ってくれと言うのではなく、「あなたの体を心配しています」と伝え続けることが大事です。自分の体のことを心配してくれていると分かり、病院に行くようになった乗務員が多くいました。
また、タクシー乗務員の仕事はアナログな部分が残っていて、日報などを手書きで書くこともあります。運行管理者はこうした日報も読むのですが、震えながら書いたような字を見つけたら、「脳に異常があって手が震えているのではないか」などと考えます。ちょっとした変化にも敏感に気づくのです。
運行管理者が乗務員に会うのは、業務開始の朝と業務終了後しかなく、それもほんの数分です。そのときに違和感をおぼえたら、顔色が悪くなくてもあえて「顔色が悪いけど大丈夫ですか」などと声をかけたりします。その反応を見て、様子がおかしいと感じたら別室で話したりすることもあります。
ほかには、運行管理者同士での情報共有も活発です。例えば、普段とは違う様子で仕事をしているように感じる人がいたら、ほかの運行管理者に「何かあったのかな」「心配事があるのではないか」などと会話することもあります。
運行管理者は、乗務員が事故を起こしてしまったときの対応も行います。そのため、「様子が気になる乗務員をそのままにしたら、事故につながるかもしれない」という危機意識の高いことが特徴です。
健康管理プロジェクトによる乗務員に対する効果と「日本交通健康保険組合」の存在
運行管理者がタクシー乗務員の健康への関心が高く、状態を把握していることが、貴社の健康経営のポイントだと感じました。運行管理者にはどのような方を選んでいるのでしょうか。
営業所の管理職が、運行管理者としての適性がありそうな人を乗務員の中から選ぶことがほとんどです。それ以外には、衛生管理の資格やメンタルヘルスに関する資格を持っているなど、健康に関する知識や関心の高い人を選ぶこともあります。
健康管理プロジェクトを行ったことで、乗務員の方にはどのような変化が見られましたか。
三つの変化がありました。一つ目は、健診後の継続受診率の増加です。当社の健康診断の受診率は100%なのですが、二次健診も、二次健診でさらに再検査になった場合も、受診率は100%です。ただし、継続して治療を続けている比率はまだ90%なので、100%に近づけていきたいですね。
運行管理者から継続治療が必要な乗務員に治療状況を聞いたところ、本人は「治療に行っている」と言っていたのに、実は行っていなかったこともありました。継続治療では、当社の企業健康保険組合である「日本交通健康保険組合」と提携した医療機関に行ってもらうため、実際に該当者が治療に行っているかを確認しています。
二つ目は、歩く習慣を身につけた乗務員が増えたことです。例えば品川営業所では、車庫が狭いため車通勤を禁止にしたところ、最寄り駅から歩いて通勤する人が増えました。わざわざ遠い駅から片道20分以上かけて歩く人もいます。健康に対する意識が高まっている結果と言えるでしょう。
三つ目は、高血圧に該当する人の数が減少したことです。最初は営業所に血圧計をおいても見向きもされませんでしたが、健康に対する意識が少しずつ芽生えてきて、日常的に血圧を測定する人が増えています。
貴社独自の健康保険組合である「日本交通健康保険組合」の概要について、教えてください。
日本交通健康保険組合は、1957年に設立された日本交通を母体とする単一健康保険組合です。独自の健康保険組合をつくったのは、社員の健康増進が目的でした。さまざまな企業が加盟している健保との違いは、タクシー業界に特化した健康管理ができる点です。
日本交通健康保険組合では、社員に対して健康に関する情報を定期的に提供しています。また、提携している医療機関と情報を共有しているほか、どんな薬を服用しているのかというレセプトチェックも行っています。
タクシー乗務員の健康は、本人・会社・お客様にとっての三方よし
今後取り組みたいことがあれば、お聞かせください。
今後取り組んでいく予定の施策は二つあります。一つ目は、目の健康チェックです。目はタクシー乗務員が安全に運転をする上で非常に重要です。目の疲れやストレスによって視覚認知が低下したり、緑内障や白内障などの病気によって見えにくくなったりすると、事故につながる可能性が高まります。そこで定期健康診断に加えて、網膜投影技術を応用した機器による目の健康チェックを行い、結果によって眼科の受診を勧めています。
二つ目は、COPD(慢性閉塞性肺疾患)の啓発活動です。COPDとは長年にわたる喫煙により、肺の働きが低下する生活習慣病の一種です。タクシー乗務員は、喫煙者の割合が高いため、このような取り組みを行っているのです。一部の営業所で従業員にアンケート調査を行い、COPDと診断された、あるいはその可能性がある従業員には、セミナーを受講してもらっています。
今後、改善していきたいことはありますか。
従業員の健康管理は継続していきますが、従業員から「健康に関してこんな取り組みをしています」とボトムアップで報告してもらえるような職場環境になっていくとうれしいですね。
CWOとして考える、健康経営の重要性についてお聞かせください。
タクシー業界は人が資本です。乗務員が元気にスケジュール通りに働いてくれることが、乗務員と会社の双方にとって利益になります。一人ひとりの乗務員の力が利益を生み出し、4000人集まって会社としての利益になっているわけです。
平均年齢が高い業界ですが、高齢になればどうしても病気になる確率は上がります。しかし健康経営の取り組みによって、病気を早期発見できれば、長く働くことができる。この差は非常に大きいですよね。
日本交通で働いている人には、ずっと長く働いてほしい。本人も当然、長く働ける方がいいはずです。最近はタクシー乗務員の人手不足が課題となっています。健康で長く働くことができれば、乗務員だけでなく、会社・お客さまにとっても良い状態で、まさに三方よしですよね。
乗務員が健康であることは非常に重要です。健康経営として取り組めることはまだまだあるので、今後も推進していきます。