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森永教授の「ウェルビーイング経営」研究室【第5回】
ウェルビーイングは人事管理の「副産物」ではない

武蔵大学 経済学部 経営学科 教授 森永 雄太さん

森永教授の「ウェルビーイング経営」研究室

日本企業において「ウェルビーイング経営」に取り組む動きが加速しています。ウェルビーイングとは、心身ともに良好な状態にあること。従業員が幸せな気持ちで前向きに働くことは、生産性の向上や優秀な人材の確保など、さまざまな効果につながると、多くの企業が期待しているのです。では、どのようにして実践していけばいいのでしょうか。武蔵大学 森永雄太教授が、いま企業が取り組むべき「ウェルビーイング経営」について語ります。

就活でも、ウェルビーイングが意識される時代へ

ここ数年、複数の大学の先生方や学生さんと、健康経営に熱心に取り組む優良企業を訪問する機会を得ています。今年度も、取りまとめの先生のご尽力により、経済産業省と、健康経営に熱心に取り組む三つの企業を訪問し、最新の取り組みについてお聞きすることができました。

このプロジェクトの特徴は、健康経営の取り組みに大学生を巻き込もうとしている点にあります。以前と比べて健康経営の認知度はずいぶんと上がってきているようですが、一般の学生にまで十分に知られたキーワードとは言えません。学生からの認知度が高まり、就職活動で重視されるポイントになれば、企業が健康経営に取り組むメリットも高まっていくのかもしれません。大学教育の中でも、従業員の健康問題がもっと触れられるようになっていくことを期待したいと思います。

また、今回訪問した企業の中には、この数年間にヒアリングをさせていただいた企業も含まれていましたが、ウェルビーイングを重視するマネジメントという考え方が健康経営の上位概念として位置付けられるようになってきていました。このようなマネジメントの在り方を学生が企業の実践から学べるようになってきたことも、大きな変化だと感じました。

就職活動の質疑の時間に「従業員のウェルビーイングを高めるために、御社はどのようなことに取り組まれていますか」などと学生が質問する時代がすぐそこまでやってきているのかもしれません。

ウェルビーイング志向の人事管理

前回のコラムでも紹介した通り、人事管理では人的資源の有効活用を通じて企業の競争優位を構築することに腐心してきました。しかし、必ずしも従業員のウェルビーイングを第1の成果と考えてきたわけではありません。最近ではこのような人事管理の在り方に反省を求める声が強まってきています(Guest, 2017; 森永, 2017; Pfeffer, 2018)。

既存の人事管理が、従業員ウェルビーイングを「副産物(by-product)」に留めてきたという興味深い批判を行っているのが英国のデービット・ゲスト教授です。ゲスト教授は、人事管理が業績向上のためにモチベーションやコミットメントを高めることには関心を払ってきたものの、従業員の健康に対しては十分に注意を払ってこなかったことを指摘し、ウェルビーイング志向の人事管理のモデルを提唱しています。

ウェルビーイングは、それがたとえ副産物としてでも、上手に高められてきた時代には、意識しなくてもよかったのかもしれません。しかしそうでない現代には、ウェルビーイングを主たる成果物として意識した人事管理が求められているといえるでしょう。

ゲスト教授は、ウェルビーイングを高めることを第1の目的とした人事施策例として以下の五つの施策を挙げています。

ウェルビーイング志向の人事管理

一つ目の施策は、「従業員に対する投資」です。従来から重視されてきた慎重な採用や選抜に加えて、従業員の能力開発やキャリア開発にも力を入れる必要があることが強調されています。ここでは、従業員の貢献を引き出すことよりもウェルビーイングを高めるために必要なサポートに投資することが強調されており、具体的にはメンタリングの実施やキャリアサポートの充実が挙げられています。

二つ目の施策は、「魅力的な仕事の提供」です。既存のストレス研究やモチベーション研究でも強調されてきた通り、仕事の特徴は従業員のウェルビーイングに大きな影響を与えると考えられます。ゲスト教授の枠組みでも、自律性や挑戦性を提供する職務設計の重要性が強調されています。また、従業員が自らのスキルを活用する機会を提供すること、必要な情報や適切なフィードバックを得ることのできる職務環境を整えることの有効性が指摘されています。

三つ目の施策は、「ポジティブな社会的・物理的環境の創造」と呼ばれる施策です。この施策群のラベルは一見するとわかりづらいですが、従来の安全衛生の取り組みである健康や安全の確保、ハラスメントや公正性の確保といった問題が含まれています。また公正な報酬や雇用の安定性、あるいはエンプロイアビリティの向上もこの施策に含まれて整理されています。非正規社員の増加や成果主義的な賃金制度が導入されることが多い中で、これらの伝統的な議論に対していかに取り組んでいくのか、折り合いをつけていくのかについても工夫が求められているといえます。

四つ目の施策が「ボイス(発言)」です。あとでも触れる通り「従業員の発言機会」に注目する点がゲスト教授のモデルの一つの特徴といえます。当然のことながら組織側と従業員側には立場の違いが存在するため、建設的な対話と調整を可能にする双方向的なコミュニケーションの経路や手段を構築しておくことが必要です。従来から、この機能を担ってきたのが労働組合です。従業員ウェルビーイングの確保という観点から改めて労働組合の働きに注目していく必要性があるでしょう。

一方で、産業構造の変化や労働組合の組織率が低下しつつある状況を踏まえれば、それ以外のコミュニケーション手段についても積極的に目を向けていく必要もあります。従業員サーベイの導入は従業員が声を上げる機会の一つと捉えることができますし、日本には古くから目安箱や提案制度がある会社もあります。このような施策が最近ではあまり活用されていないという意見もありますが、自社の伝統的な取組をアップデートしながら活用していくことも、少数意見をすくい上げる方法になりえるでしょう。

五つ目の施策が「組織的支援」で、従業員の参加を促す風土の醸成や参加を促す施策群が含まれます。このほか、ファミリーフレンドリ―施策の導入を通じて柔軟な働き方を可能にしていくことも有効です。また、このような人事施策の導入と併せて、管理者のマネジメントそのものも従業員の参加を促し、支持するタイプのマネジメントへと変えていくことも有効です。管理者に求められるマネジメントの変容については、次回以降とりあげることにします。

なおゲスト教授のモデルでは、五つの施策群が、従業員のウェルビーイングの充実と肯定的な雇用関係を介して組織成果に結実するというモデルを提唱しています。ここでいう肯定的な雇用関係とは、組織側と従業員の間に高い信頼関係があり、従業員が公平で安心して働けると感じている状態であり、このモデルの大きな特徴といえます。

人事管理を変えるプロセス

人事管理を変えていく際には、組織側と従業員側の期待と責任の関係のすり合わせを十分に行っていくことが重要となります。従業員のウェルビーイングを重視する人事管理への変更は、一般的にはポジティブな変化だと語られることが多いし、実際にそうでしょう。しかしそれでも、ウェルビーイングを重視するために従業員側が担うべき責任が生じることはありますし、組織的に見れば新たな業務が発生することもあります。

ウェルビーイングを重視する人事管理をありがた迷惑の押し付けにしないためにも、メリットだけでなく煩わしい点や自己管理が求められる点について、しっかり伝えていくことが重要になるでしょう。

参考文献
  • 森永雄太. (2017). 「健康経営」 とは何か: 職場における健康増進と経営管理の両立. 日本労働研究雑誌, 59(5), 4-12.
  • Guest, D. E. (2017). Human resource management and employee well‐being: Towards a new analytic framework. Human resource management journal, 27(1), 22-38.
  • Pfeffer, J. (2018). The overlooked essentials of employee well-being. McKinsey Quarterly, 3(2018), 82-89.
森永 雄太(武蔵大学 経済学部 経営学科 教授)
森永 雄太
武蔵大学 経済学部 経営学科 教授

もりなが・ゆうた/兵庫県宝塚市生まれ。神戸大学大学院経営学研究科博士後期課程修了。博士(経営学)。著書は『ウェルビーイング経営の考え方と進め方:健康経営の新展開』(労働新聞社、2019年)、『日本のキャリア研究―専門技能とキャリア・デザイン』(白桃書房、2013年,共著)など。これまで日本経営学会論文賞、日本労務学会研究奨励賞、経営行動科学学会大会優秀賞など学会での受賞の他、産学連携の研究会の副座長、HRサービスの開発監修等企業との連携も多い。

企画・編集:『日本の人事部』編集部


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