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軽度認知障害や若年性認知症でも働き続けられる企業へ
従業員が長く活躍するための仕組みづくり

佐賀大学 医学部附属地域医療科学教育研究センター 准教授

坂本 麻衣子さん

坂本 麻衣子さん

健常な状態と認知症の間には、「軽度認知障害(MCI)」と言われる中間状態が存在します。厚生労働省の2012年のデータによると、日本のMCI有病者は約400万人。少子高齢化、政府による定年延長などに対応し、シニアの活用を推進するためにも、社員の認知機能の低下をできる限り早期に発見し、さらなる衰えを防ぐ支援を行うことが求められています。認知症の早期発見に向けた啓発に力を入れる佐賀大学 准教授の坂本麻衣子さんに、軽度認知障害の症状や仕事にもたらす影響、企業の取るべき施策についてうかがいました。

プロフィール
坂本 麻衣子さん
佐賀大学 医学部附属地域医療科学教育研究センター 准教授

さかもと・まいこ/神経心理学専門。米ドレキセル大学で臨床心理学博士号取得。2008年からカリフォルニア州立大学にて臨床・研究・教育に従事。13年より佐賀大学 医学部 助教、15年より准教授。研究テーマは日本人向け神経心理学検査の開発と標準値の構築、HIV関連認知機能障害早期発見のための神経心理学・IADL検査の開発等。

認知症と若年性認知症、軽度認知障害が仕事に与える影響

認知症と若年性認知症、軽度認知障害(MCI)は、それぞれどのような障害なのでしょうか。

G:\共有ドライブ\会社共有\【公開】\【日本の人事部】\記事関連\健康経営 キーパーソン\20220307_坂本麻衣子氏  公開側:   https://jinjibu.jp/kenko/article/detl/2783/ 管理画面:  https://admin.jinjibu.jp/contents/kiji/?act=dtl&id=2783 ピックアップ:https://admin.jinjibu.jp/contents/pickup/?act=dtl&id=2420  軽度認知障害や若年性認知症でも働き続けられる企業へ 従業員が長く活躍するための仕組みづくり

軽度認知障害(Mild Cognitive Impairment:MCI)は、認知症の前段階と表現されることが多い障害です。認知機能はゆっくりと衰えていくことが多く、ある日突然認知症になることはほとんどありません。多くの場合、MCIを経ています。認知症とMCIの大きな違いは、「日常生活に支障があるかどうか」です。認知症になると、日常生活や社会生活に大きな支障をきたします。一方、MCIは、認知機能が低下して年齢相応以上の物忘れが目立つけれど、日常生活を送ることはできます。

認知症と若年性認知症の違いは、診断を受けた時点で65歳以上かどうかです。症状は基本的に同じですが、患者の年齢層が異なるため、その影響や支援に大きな違いが出てきます。診断を受けた方が65歳以上であれば認知症、65歳未満であれば若年性認知症と呼ばれます。認知症患者数が2020年時点で約600万人なのに対し、若年性認知症は3万5700人程度。認知症患者よりは少ないものの、発症平均年齢が51歳と、まさに働き盛りの方たちがかかることの多い疾患です。

認知症の原因には、アルツハイマー病、脳梗塞や脳出血に伴う脳血管性障害、幻視を伴うレビー小体病などがあります。認知症ではアルツハイマー型が約7割を占め、若年性認知症でも5割ほどがアルツハイマー型だと言われていますが、脳血管性や外傷による認知症の割合も高くなります。

認知症・若年性認知症・軽度認知障害の違い
年齢 状態
(厚生労働省による)
症状の例
認知症 65歳以上 脳の病気や障害などさまざまな原因により、認知機能が低下し、日常生活全般に支障が出てくる状態
  • 同じことを何度も話したり聞いたりする
  • 日付や曜日がわからなくなる
  • 身の回りのことができなくなる
若年性認知症 65歳未満 認知症に同じ 認知症に同じ
軽度認知障害 定義はない 物忘れが主たる症状だが、日常生活への影響はほとんどなく、認知症とは診断できない状態
  • 物忘れが多くなるが自分でなんとか見つけることができる
  • 全般的な認知機能は正常範囲
  • 認知機能の低下を本人が自覚している

一度認知症になると、現在の医療では完全に治すことはできません。ただ、現状を可能な限り維持できる薬はあります。そのため早期発見の重要性が叫ばれ、2000年ごろから研究がさかんになってきました。少子高齢化が進み、シニアになっても働かざるを得なくなってきた社会の流れも影響しています。

一方、MCIと診断されても、全員が認知症になるわけではありません。MCIとされた方のうち、1年後に認知症に移行していた人は約10~15%、5年後に移行していた人は約40%というデータがあります。MCIの段階で予防や治療を行えば、認知症の発症を防ぐ、あるいは遅らせることができることがわかっています。健常な状態に回復するケースもあります。

MCIの方にはどのような症状が現れるのでしょうか。

例えば、自分の家から電車に乗ってコンサート会場に行くとします。認知症の場合、ひとりで会場にたどり着くことが困難になってきます。MCIの場合、乗る電車がわからなくなったり途中で下りてしまったりすることはあるのですが、なんとか会場にたどり着けます。その他にも、以前は1時間でできていた作業に2時間かかるようになったり、同時に複数のことができなくなったりという症状が現れます。身なりに気を遣わなくなる人もいます。ただ、なんとか日常生活は送ることができるのが特徴です。

重要なのは、変化を見ることです。若いときからよく物をなくしていた人が年を取って同じように物をなくしたからといって、MCIに該当するとは言えません。また、年を取るとどうしても年相応の物忘れは生じます。加齢による物忘れとMCIによる物忘れは異なります。「これまでできていたのに、最近できなくなったこと」に注意する必要があります。

MCIの段階では日常生活に支障がないとのことですが、仕事をする上では影響が出てくるのでしょうか。

仕事の内容にもよります。例えば単純作業を繰り返す仕事や、分刻みのスケジュールに追われることがない仕事であれば、あまり影響が出ない場合もあります。一方、顧客対応や企画・開発の仕事では事情が違います。営業担当者などが商談で取引先の名前を忘れてしまうと大変ですよね。また、業務のタスク自体は思い出せても、その中で順位をつけて計画性を持って実行することがままならなくなることもあります。結果として、生産性も下がります。

認知症が進むと、自分が忘れていること自体に自覚がありませんが、MCIの段階では、本人も自分が忘れている、できなくなっていることに気付いています。わかっているからこそ、自分や周囲にイライラしてしまい、同僚や取引先ともめてしまうこともあります。自尊心が傷つけられ、うつ状態になってしまう人も少なくありません。

軽度認知障害は、規則正しい生活で予防・改善・回復が可能

MCIの予防方法、診断されてからの改善方法を教えてください。

どちらも、規則正しい生活を送ることが何より重要です。例えば、国立研究開発法人 国立長寿医療研究センターの佐治直樹先生の発表によると、食事では日本食が重要なポイントになることが示唆されています。魚やきのこ、大豆などを食べている人は認知症になりにくいと言われています。口腔機能が脳に影響を及ぼすこともわかっているので、よく噛むこと、しっかり歯磨きすることも意識すべきですね。

軽度認知障害や若年性認知症でも働き続けられる企業へ 従業員が長く活躍するための仕組みづくり

適度な運動も大事です。ウォーキングやランニング、サイクリングなど、有酸素系の運動がよいとされています。運動することは身体を健康にするだけでなく、アルツハイマー型認知症の主な原因物質である「アミロイドβ」というタンパク質の蓄積を防ぐ、あるいは除去する効果があります。運動を楽しもうとする姿勢自体も効果的です。人生を楽しむことは、認知症予防には重要です。

睡眠も重要です。睡眠不足の方は将来的に認知症を発症する確率が高いと言われています。7~8時間は睡眠を取るようにした方がいいですね。脳も身体も、きちんと休ませてあげなければなりません。

脳機能を維持するためには、数独やクロスワードパズルといった頭を使う行為も効果的です。行政の取り組み例になりますが、佐賀県では主に独居の高齢者を対象に「健康マージャン」を行っています。まず参加者にルールを教えるところからはじめて、みんなで楽しみながらワイワイやる。麻雀教室に参加するためにお化粧をして外に出ること、人と話すことも予防につながります。社交の場をつくることは大事です。

生活習慣を改善することで、全てのMCI有病者の症状が改善されるのでしょうか。

生活習慣を改善しても認知症になってしまう人はいます。家族の中にアルツハイマー型の認知症の方がいるとどうしても認知症になる可能性は高くなりますし、事故やスポーツで脳に障害を負ってしまうと認知症になりやすいと言われています。

それでも規則正しい生活習慣を送ることは非常に重要です。肥満や糖尿病、高血圧や高コレステロールといった持病を持っている方は認知症のリスクが高くなります。日常生活を改善することで持病も改善されて健康な身体になり、認知機能の回復につながることがあります。

従業員教育とMCIの早期発見が、シニアがいきいきと働ける環境にもつながる

従業員の認知機能の低下を防ぐため、また認知機能が衰えた従業員を早期に発見するため、企業にできることは何でしょうか。

まずは脳や精神の病気に持たれているスティグマを払拭することがとても重要です。日本人は自分が認知症や精神疾患であることを隠そうとしがちです。本人の性格と発症には何の関係もないのに、医学的に完全に間違った思い込みを持っている人も多い。特別な病気ではなく、高血圧やメタボリックシンドロームのような身体的疾患と同じように捉えるべきです。

必要なのは教育です。企業は「MCIや認知症はこういう状態で、誰にでも起こりうることだ」と発信し、従業員に認識してもらわなければなりません。専門家の話を聞くなど教育の場を設けることが重要です。全従業員を一度に教育するのが難しければ、数回に分けて実施したり、認知症に関するレクチャーを動画に撮っていつでも見られるようにしておいたりするのもいいでしょう。

強いストレスは認知症の発症リスクを上げるので、ストレスを感じずに楽しく仕事ができる環境づくりも重要です。強い叱責や過度な業務量、飲酒の強要などはストレスを高めます。たとえ仕事で失敗したとしても、頭ごなしに怒るのではなく、できたところを褒め、次につながるコミュニケーションを心がけるべきです。これを「ポジティブ・レインフォースメント(正の強化)」といい、アメリカでは強く意識されています。

他にも、昼食後に15~30分程度の昼寝を促す「パワーナップ(積極的仮眠)」を取り入れている企業もあります。これは脳のリフレッシュにつながります。散歩や体操など、身体を動かす時間を設けるのもいいですね。職場に笑顔が溢れる環境は、従業員が精神面で健康ですし、能率も生産性も高い。結果、会社としても成功することが多いように感じられます。

早期発見のためには、健康診断の機会を活用するのがいいでしょう。従業員50人以上の企業では年一回、健康診断が義務付けられていますが、なぜか認知機能の検査はありません。本当は健康診断と同時に認知機能検査を実施すべきです。

認知機能の検査をすることに費用や時間の面からためらってしまう企業があるかもしれません。

近年は臨床神経心理士の監修の下、ある程度正しく認知機能を検査できるアプリも登場しています。そういったアプリを使用すれば、病院に行くほどの時間も費用もかかりません。認知機能が低下してきている従業員を見つけるきっかけには効果的です。

軽度認知障害や若年性認知症でも働き続けられる企業へ 従業員が長く活躍するための仕組みづくり

そもそも認知機能が低下している従業員を早期に発見することは、長い目で見れば企業の利益になることです。症状が進行して生産性が落ちたり、休業や退職したりすると、企業が失う金額は検査にかかる費用よりも膨大なものになります。どのようにミドル・シニア世代の方たちと一緒にうまく会社を回していくのかを、上層部は考えなければいけません。

従業員自身が自分の認知機能に問題があることを会社に知られるのを恐れ、検査を嫌がる場合もあるかと思います。

会社から不当な扱いを受けるのではないかと不信感を持つ人はいるでしょう。こうした思い込みを払拭するには、企業からの教育や発信が重要です。MCIだとわかれば、本人が働きやすい環境づくりや症状の改善のために会社ができることがたくさんあります。MCIから健全な状態に回復する方も大勢います。トップはその点に着目し、従業員を支援するための取り組みなのだと伝えるべきです。

繰り返しになりますが、早期に発見できないと、その後の仕事に影響が出てきます。認知機能検査を嫌がる方には、「検査は怖いものではなく、あなたのこれからの仕事につながっていく」と伝えてほしい。私は「これは脳ドックで、人間ドックと一緒です。身体の健康と同じように、脳の健康も調べないといけませんよね」と声をかけています。ネガティブにではなく、ポジティブに声をかけることが重要です。

MCIを特別視せず、一人ひとりに合った働き方の支援が求められる

実際に従業員がMCIと診断された場合、企業にはどのような支援ができるのでしょうか。

作業環境を単純化することがとても重要です。MCIの方は一度に複数のことを言われると、混乱したり、ミスをしたりしてしまいます。なるべくストレスがかからないようにしなければいけません。例えば、その日の業務をリストアップしてチェックシートをつくり、作業が終わるたびに本人にチェックさせるのも一つの方法です。他の従業員もダブルチェックするなどして、ミスを起こさない環境をつくることが求められます。

柔軟性のある勤務体制を整えることも有効です。長時間集中することができないのであれば勤務時間を4時間にしたり、交代制を取り入れたり。フレックス制度を導入するのもよいでしょう。

一日中パソコンとにらめっこしている仕事と、常に身体を動かす仕事では、取るべき対応は少し異なります。座りっぱなしで成果物に要求される水準が高く、常に緊張を強いられる仕事では、運動を取り入れることが有効です。

一方、身体を使う仕事の場合には、脳に刺激を与える必要があります。会社の中でレクリエーションタイムをつくることや、その中で数独やクロスワード、グループ対抗のゲーム大会をするにもいいと思います。ストレスも軽減できますし、グループを組んで実施する場合にはお互いの心身の状況の気づきにもつながります。

リモートワークの環境下では、どのようなことに注意が必要でしょうか。

新型コロナウイルスの感染拡大後は、上司や同僚と離れて一人で働くことが増え、健常者ですら精神面への影響がありました。特にシニア世代だと同じ空間にいて話をしながら仕事を進めるのが好きな方も多いので、より一層の精神的なケアが必要です。MCIの方たちの仕事にはダブルチェックがあった方がよいので、できるだけ近くに誰かがいてあげるといいと思います。

上司や同僚など周囲の従業員は、どのように接すればいいのでしょうか。

腫れ物に触るように扱うのではなく、これまでと同じように、普通に接することが重要です。何度も同じ話をするようになるかもしれませんが、「さっき言ったじゃないか」と言ってはいけません。本人のストレスが高くなりますし、お互いの関係性もぎくしゃくしてしまいます。何度同じ話をしてもいいんです。

ただ、どうしてもMCIの方の言動にいら立ってしまうこともあります。そんなときは、距離を置くことも重要です。私はこれまで、MCIや認知症の方に対していら立つことに「人間として最低だ」と自分自身を責める方を多く見てきました。しかし、自分が身体的にも精神的にも健康でなければ、他人のケアはできません。一人で抱え込まないことが重要です。

企業の上層部も、「差別はだめだけれど、認知機能が低下している人と接するのがつらいと感じるのは仕方がないこと」と認識する必要があります。特定の個人だけに担当させるのではなく、チームを組んで複数の担当者をつけるべきです。対応に行き詰まったときにもチームで策を考える必要がありますし、チーム対応の方が、より良い案を見つけることができます。

先進的な取り組みをしている企業の例を教えて下さい。

従業員の無期限の継続雇用制度を導入している企業があります。従業員が退職したいと言わない限りは雇用を継続する制度です。より長く従業員に活躍してもらうべく、この企業が取り入れたのが、認知機能を検査するためのアプリです。2020年に始めたばかりですが、40代以上の従業員を対象に毎年実施していくそうです。そこで認知機能の問題が発覚した人には半年間の「生活習慣改善支援プログラム」を提供し、産業保健師や管理栄養士による特定保健指導や産業医との面談を行うと定めています。

MCIや認知症と診断された方には、短時間勤務や時差勤務、フレックスタイムなど、柔軟な勤務体制を適用する仕組みを整えています。週の労働時間をあらかじめ決めておき、月曜は長めに働くけれども火曜日は短くする、といった勤務を認める工夫もされています。

シニア活用などに携わる人事の方々は、どのようなことを心掛けるべきでしょうか。

いちばん大切なのは、MCIや認知症の従業員を別枠で捉えず、他の身体的な病気を持つ従業員と同じように扱うことです。それにはまずトップを含めて会社を動かす立場の人たちがMCIや認知症を正しく理解すること、次に何ができるか対応策を考えることが求められます。その一連の流れが企業の利益にもつながります。人事は積極的に教育の場をつくっていってほしいと思います。

(取材は2022年2月8日)

企画・編集:『日本の人事部』編集部

Webサイト『日本の人事部』の「インタビューコラム」「HRペディア「人事辞典」」「調査レポート」などの記事の企画・編集を手がけるほか、「HRカンファレンス」「HRアカデミー」「HRコンソーシアム」などの講演の企画を担当し、HRのオピニオンリーダーとのネットワークを構築している。


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2022/02/14 関連キーワード:健康経営 シニア活用