誰もが働きやすい社会の実現を目指して、企業と自治体が共同するプロジェクトとは
片頭痛への理解から始まった「みえない多様性」に配慮した職場づくり
日本イーライリリー株式会社 コーポレート・アフェアーズ本部 広報・CSR・アドボカシー
山縣実句さん
医薬品の開発・製造・販売を行う日本イーライリリー株式会社では、「Live Your Best Life」の理念の下、さまざまな健康経営に関する取り組みを進めています。2019年には、症状が軽視されがちな片頭痛の社内理解を促進する「ヘンズツウ部」を発足。翌年には複数の企業や自治体を巻き込み、片頭痛や腰痛といった周囲から見えづらい健康課題を抱えていても働きやすい環境をつくる「“みえない多様性”に優しい職場づくりプロジェクト」を立ち上げました。一連の動きが高く評価され、日本の人事部「HRアワード2021」では、企業人事部門で入賞。今後の動向が注目を集めています。ヘンズツウ部およびプロジェクトの発足の経緯や活動の成果、今後の目標などについて、プロジェクトにかかわる、コーポレート・アフェアーズ本部の山縣実句さんにお話をうかがいました。
- 山縣実句さん
- 日本イーライリリー株式会社 コーポレート・アフェアーズ本部 広報・CSR・アドボカシー
やまがた・みぐ/2002年、テレビ番組制作会社より日本イーライリリー株式会社に転職。営業、営業人財開発、人事、マーケティングを経験し、2019年より現職。経営学修士(MBA)。
社員の問題意識から立ち上がった「ヘンズツウ部」
片頭痛の実態を学ぶ「ヘンズツウ部」は、どのような経緯から発足に至ったのでしょうか。
業務上必要だったため、一部の社員が片頭痛について学び始めたことがきっかけです。30代の女性の五人に一人が片頭痛に悩んでいると言われますが、それほど高い有病率であるにもかかわらず、「片頭痛がつらくて仕事ができない」と周囲になかなか話しづらいことに違和感を持つようになったんです。「社内にも我慢をしている人がいるのではないか」との課題意識から、片頭痛の理解促進に向けて自発的に発足したのがヘンズツウ部です。
片仮名で「ヘンズツウ」としたのは、社員が経験談を共有して学び合い、部活のように同じ方向を向いて楽しく活動したい、という思いがあったからです。
当社が「健康宣言」を定めていたことも、発足の後押しになりました。製薬会社の特性を生かして得た疾患領域の知見を、事業だけでなく社員教育にも展開していくと宣言していたからこそ、「こういう活動があってもいいよね」と大義名分になったのです。
具体的には、どのように活動されているのでしょうか。
ワークショップを中心に行っています。最初は職場での課題や私たちにできることがわかっていませんでした。そこで、業務時間外に片頭痛を抱えるメンバーと抱えていないメンバーに分かれてグループワークを行い、それぞれどんなディスカッションをしたのかを共有。お互いに気付きを得て、職場で実行できそうなことについて意見を交わしました。
かなり深い議論が展開されたので、ワークショップは楽しかったですね。片頭痛のある人とない人、お互いがわかり合えた瞬間に空気が変わるんです。メンバーには執行役員もいれば契約社員もいましたが、目的が一つなので、みんなが言いたいことを言い合えました。会社から「これをやりなさい」と指示されたプロジェクトではないので、利害関係が発生しなかったことも、楽しめた理由の一つかもしれません。
基本的な理解を深めるワークショップを何度か開催した後は、専門医による講演や、当事者とその周囲の社員によるクロストークなどを実施。部員ではない社員向けのイベントも開催しています。最大規模のイベントでは、約300名の社員がオンラインのワークショップに参加しました。
男性よりも女性のほうが片頭痛に悩む人が多いそうですが、参加者も女性が多いのでしょうか。
男女比は4:6くらいで、そこまで女性が多いわけではありません。重要なのは当事者だけでなく、周囲の人と一緒に活動していくこと。片頭痛に悩む人、片頭痛に悩む人が近くにいる人、片頭痛に興味がある人などを広く受け入れていて、当事者と当事者以外の割合は5:5くらいになっています。男性の部員には、ご家族や上司、部下が片頭痛を抱えている人が多いですね。50名程度から始まって、現在は100名を超える部員がいます。
「つらいときは周囲に伝える」社員の増加
ヘンズツウ部の活動を通じて、どんなことが課題として見えてきましたか。また、その課題に対してどのような対策を取られたのでしょうか。
ソフト面とハード面での課題が見えてきました。ソフト面では、周囲や当事者の認知と理解が不十分であること。社内で正しい認知を広めるためには、ワークショップに参加してもらうことが重要です。そのほかにも片頭痛の人にやさしいお弁当を作ったり、「ヘンズツウ大喜利」を実施したりして、「面白そうなことをしている」と興味を持ってもらえるよう心がけました。
ハード面では、職場環境にアレンジが必要との気付きがありました。たとえば片頭痛を抱える人は、照明が明るすぎるとつらくなることがあるのですが、当社のオフィスはすごく明るいんです。そのため、明るすぎない場所や、片頭痛発作のときに少し休める場所などを明示した「オフィス快適MAP」を制作。「少しだけ休めれば仕事に戻れるのに……」という当事者の思いを形にしました。
社員の皆さんの意識に変化はありましたか。
はい。ヘンズツウ部の活動前と後に社内調査を実施したところ、「体調が悪いときに周囲の人へ自分の状況を伝えているか」との項目で、「上司に相談する」と答えた割合が47%から58%に伸びたんです。「何もしない」と答えた人は3%減っていて、周囲に相談する人が増えたこともわかりました。誰にも相談できずに一人で我慢しながら働くことが一番問題だと考えていたので、狙い通りの結果と言えます。
現在では着実に「自分は片頭痛だ」と言い出しやすい環境になってきています。たとえば上司は、ヘンズツウ部の活動に参加している部下のカレンダーを見ると「この時間はヘンズツウ部のワークショップに出ている」とわかるわけです。それがフックとなり、これまで話題に上がったことがなかった片頭痛の話が上司と部下の間でできるようになった事例もあります。
山縣さん個人としても、会社の変化を感じますか。
そうですね。カジュアルに健康の話ができるようになったと感じています。当社は製薬会社なので、いつも健康の話はしているのですが、業務上の話が中心で、これまではなかなか個人の話にはなりませんでした。ところがヘンズツウ部の活動によって「自分の疾患の話をしてもいい」という雰囲気ができたことで、気軽に自身の体調不良を訴える人が増えた印象があります。
もちろん、自分の体調について話したくなければ、話す必要はないと思っています。「話してもいい職場になっている」と思えるだけで、十分に心理的安全性につながっていることがアンケート結果からもわかりました。
さまざまな健康課題を抱えた人に優しい職場が必要
2020年、社内でのヘンズツウ部の活動が、企業や自治体、専門家を巻き込んだ「“みえない多様性”に優しい職場づくりプロジェクト」に発展します。「みえない多様性」とは何かを含めて、プロジェクトが立ち上がった経緯を教えてください。
当初は片頭痛に絞って活動してきましたが、職場の課題が特定できたあたりから「この課題は片頭痛だけに当てはまるわけじゃないよね」という意見が部員から出てくるようになったんです。たとえば、「自分は腰痛持ちだから、あそこの会議室の椅子に長時間座るのがつらい」など。片頭痛の人に優しい職場をつくることは、ほかの健康課題を持つ人にとっても有効だと考えました。
そこで、さまざまな「みえない健康課題」によって引き起こされる痛みの症状や、疾患を理解されないことによって起こる当事者の不安や支障、働きづらさを「みえない多様性」と定義。健康の観点で多様な背景を持った人々が共に働きやすい職場をつくっていこうと、プロジェクトを立ち上げました。
ヘンズツウ部から社外を巻き込んだプロジェクトにギアアップした背景には、当社が「健康宣言」の重点項目の一つとして「地域コミュニティへの貢献」を挙げていたことがあります。いろいろな会社が意見を交換することで、見過ごされているプレゼンティーズム(出勤しているにもかかわらず、心身の健康上の問題からパフォーマンスが上がらない状態)に気付けます。知見を地域や社会に広く還元していくには、他社と一緒にプロジェクトを進めた方がよいと考えました。
片頭痛以外の「みえない健康課題」には、どのような疾患がありますか。
疾患を絞っているわけではないのですが、定義としては片頭痛のようにそのつらさが正しく理解されず、可視化が難しい疾患を指します。さまざまな学術論文を参照する中で、特に片頭痛、腰痛、アレルギー性鼻炎の三つの疾患が仕事に大きな影響を及ぼしていることがわかりました。がんなどの命に関わる疾患や、骨折などの周りから見えやすいものは、既に一定の認知が得られていると考えられるので、除いています。
ほかの企業や自治体をどのように巻き込んでいったのでしょうか。
最初は当社の本社がある神戸市の企業を中心に、健康経営にしっかりと取り組んでいらっしゃるところ、もしくは元々つながりがあり、活動に興味を持っているところに声をかけました。神戸市にも相談したところ「ぜひ参加したい」とおっしゃっていただき、企業もご紹介いただきました。
地道に1社ずつオンラインミーティングを設定し、「社員一人ひとりの意識を少し変えるだけで解決できる健康課題があるんです」と説明してきました。現在は、当社を含めて7社の企業と神戸市、頭痛の患者団体共同代表、監修者お二人がプロジェクトに参加しています。
プロジェクトの中で、貴社はどういった役割を担っているのでしょうか。
当社は旗振り役にはなっていますが、全ての中心になるのではく、合意形成をしながら進めています。ある程度のたたき台となる提案は当社から行いますが、会議の中で「この問題のほうが大事だよね」という流れになれば、方向性をがらりと変えて議論することもあります。
プロジェクトでは、どのような活動を行っているのでしょうか。
何度かオンラインでワークショップを開催し、自分たちが進みたい方向について議論しました。各社の取り組みを共有し、自分たちにできることを考えたところ、「これだけ多くの人が集まって議論するのだから、成果を形にして世の中に出していこう」との合意が早い段階からありました。
合意を受けて制作したのが、職場での「みえない多様性」への理解を促進するツールキットとカードゲームです。この二つは、当社のWebサイトでも公開しています。多くのメディアに取り上げられたこともあり、非常に多くの方に関心を持っていただいていることを感じています。
相互理解で当事者、周囲、会社にメリット
プロジェクトに対して、どのような反響があったのでしょうか。
ヘンズツウ部と一緒に報道されるケースが多いこともあり、片頭痛をお持ちの方がSNSなどで「こんなふうに理解してもらえると素晴らしい」「こんな会社がいい」と投稿されています。職場で理解されずに傷ついていたり、我慢し続けていたりする方が非常に多いんですね。片頭痛が改善されるわけではなくても、「理解されるだけで安心できる」という声を多くいただいています。片頭痛への理解が社会に広がる、きっかけとなっていればうれしいです。
まだ「たかが頭痛だろう」と考える人も多いかと思います。そういう人たちには、どういったアプローチをしていくべきでしょうか。
当事者だけがつらさをわかっていて、周囲に言い続けていてもだめだと思っています。だからこそ、私たちが活動する意義があるのです。プロジェクトは当事者に発信することだけが目的ではありません。社会に伝えて理解してもらい、当事者が「片頭痛に悩んでいる」と言っただけで、そのつらさがわかってもらえる社会を目指しています。
「たかが頭痛でしょう」と言っている人も、知らないだけで決して悪気があるわけではありません。知識として知っているだけで対応も変わるので、まずは片頭痛を知ってもらうこと。その後に相互理解を深めていくことが大事です。片頭痛の症状は人それぞれです。明るすぎるとだめだという人もいれば、大きな音がつらいという人もいます。理解を深め、当事者にどういうケアが一番いいのかを聞いてほしいですね。
お互いが働きやすくなれば、当事者のQOLが上がるだけでなく、会社に対するエンゲージメントも高まります。片頭痛は、世界で2番目に日常生活に支障をきたす疾患とのデータもあります。会社が見過ごしてきた労働損失もきっとあるでしょう。課題に向き合うことは経営上も大きなメリットとなりますし、会社としてしっかりと取り組んでいく価値があります。
リモートワーク下で、対面よりも体調不良を言い出しづらい状況になっていることも考えられます。どのような工夫が必要でしょうか。
ちょっとした声かけが大事だと思います。たとえば会議が始まるときに、「今日は天気が悪いから頭が痛い」「最近立て込んでいて調子が悪い」などと自己開示することで、他の人も自己開示できるようになります。会議中に気軽に雑談できる休憩時間を5分設定するだけでも、変わってくると思います。
オンラインで話していても、相手がつらそうだと感じることがあると思います。そのとき、勝手に「あの人機嫌悪いな」と決めつけるのではなく、「ちょっと疲れてる?」などと声かけをすることが大事です。それだけで、我慢していた人が「そうなんです。実は片頭痛が出ていて」と言えるようになります。
新型コロナウイルスの流行によって、ヘンズツウ部やプロジェクトの活動に影響はあったのでしょうか。
確かに最初は対面での活動ができず、どうしたらいいんだろうと悩みました。しかし振り返ってみると「このやり方は使えるね」と新たな気付きを多く得られましたね。たとえばオンラインでのワークショップを開催すると、チャットが盛り上がるんです。対面でのワークショップだと、どうしても話す人数が限られますが、チャットは好きなタイミングで言いたいことが言えます。チャットを見ながら、どんどん意見が膨らんでいくこともありました。
当社には元々言いたいことを言える人が多く、チャットが盛り上がるのは社風が影響しているのかとも思いましたが、他社と一緒に実施したときも同様でした。日本人は面と向かって発言するよりも、チャットの方が意見を出せるのかもしれません。手を挙げる際はつい空気を読んでしまいがちですが、チャットだと空気を読む必要がありませんからね。
誰しもが豊かな人生を送れるモデルケースづくり
社内の部活動から始まった動きが大きな広がりを見せていますが、プロジェクトを広めることで、貴社にはどのようなメリットがあるのでしょうか。
メリットよりも、「企業責任である」と自負している点が一番大きいですね。社会には片頭痛を含め、さまざまな健康課題を抱えながら働いている方が大勢います。人生100年時代を迎え、さらに長い期間働くようになる中、疾患を持っていても豊かな人生を追求していける社会をつくっていかなければいけない、という思いがあります。
ビジネスの側面では、顧客から信頼を得られることがメリットですね。私たちは製薬会社として、治療薬の提供は当然の責任ながら、患者さんに豊かな人生を送ってもらうためにそれ以外の取り組みにも課題意識を持っていました。片頭痛は治療できる疾患であるにもかかわらず、「たかが片頭痛」と刷り込まれているため、当事者が病院に行けない状況がありました。医療関係者からも、私たちの活動が問題解決の糸口になったとの声をいただいています。
今後の目標を教えてください。
経済産業省が実施している「健康経営度調査」の調査項目には、これまで「片頭痛」についてハイライトして取り上げられていなかったのですが、2021年度の調査では、従業員への教育に関する項目の中に「片頭痛」が追加されました。この変化は、社会でも職場における片頭痛の支障に目を向けるきっかけとなる、大きな一歩だと思っています。
ツールキットやカードゲームを作成し、いまようやくスタートラインに立ったところです。全国に広めていくためにも、まずは神戸から、職場を変えていくモデルケースをつくる取り組みを進めていきます。
いまは職場にフォーカスしていますが、高校や大学にも広めていきたいですね。社会に出るよりも早い段階で、こういう考え方があることを理解することで、もっと働きやすく、生きやすい社会を実現できると考えています。
(取材:2021年12月6日)