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QOLの充実がエンゲージメントを高める
パフォーマンス視点の花粉症対策

日本医科大学 耳鼻咽喉科学講座 主任教授
大学院医学研究科頭頸部・感覚器科学 教授
附属病院耳鼻咽喉科・頭頸部外科 部長
大久保公裕さん

大久保公裕さん 日本医科大学 耳鼻咽喉科学講座 主任教授 大学院医学研究科頭頸部・感覚器科学 教授 附属病院耳鼻咽喉科・頭頸部外科 部長

滝のように流れる鼻水に、寝込みを襲う鼻づまり、目のかゆみに充血……。春の訪れと同時にやって来る厄介なもの。そう、スギ花粉です。日本特有のアレルギーであるスギ花粉症は、戦後大量に植えられたスギの木が原因で、木の成長とともに患者の数も増えてきました。今やスギ花粉症は、国民病ともいわれています。当然ながら、働き世代も例外ではありません。それぞれが対策を講じていますが、パフォーマンスや生産性に影響はないのでしょうか。また企業は花粉症患者に対し、どのようなケアができるのでしょうか。花粉症治療の第一人者である日本医科大学の大久保公裕教授に、健康経営の観点で花粉症対策のポイントを解説していただきました。

Profile
大久保公裕さん
大久保公裕さん
日本医科大学 耳鼻咽喉科学講座 主任教授
大学院医学研究科頭頸部・感覚器科学 教授
附属病院耳鼻咽喉科・頭頸部外科 部長

おおくぼ・きみひろ/医学博士。1984年に日本医科大学を卒業し、88年同大学院修了、89〜91年にアメリカ国立衛生研究所(NIH)留学。免疫アレルギー疾患を専門に研究し、花粉症治療では日本を代表する存在。

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アレルギー症状によるパフォーマンス低下の影響は意外と大きい

毎年2月から4月は、多くの人がスギ花粉に悩まされます。そもそも花粉症とは、どのようなものなのでしょう。

医学的には、季節性アレルギー鼻炎に分類されています。アレルギーとは過剰な抗原抗体反応のこと。病原体などが体内に侵入すると、それを異物とみなして抗体がつくられます。次に同じ異物が体内に入り抗体がキャッチすると、排出しようと他の細胞に働きかけます。花粉症の場合、鼻や目の粘膜に花粉がつくと抗体が反応し、肥満細胞に化学物質を放出させてさまざまな症状を引き起こします。

例えば花粉を洗い流そうと、たくさんの分泌物をつくります。それが鼻水や涙です。毛細血管が拡張するのは粘膜を腫れさせて、花粉が体の奥に入らないようにするため。それが鼻づまりや目の充血につながります。他にも目のかゆみやのどの痛み、頭がボーっとするなど、さまざまな症状が見られます。

スギ花粉以外にも、花粉症を引き起こす植物はあるのですか。

スギ花粉のピークが過ぎた4月から5月に見られるヒノキは、認知度が高まっていますね。他にもイネ科の植物、ブタクサやヨモギなど、1年を通じて花粉症の原因となる植物が何かしら開花しています。ほかにカスミソウやミモザ、バラ科の植物なども花粉症の原因になることがあります。これらは生花店で働く人にもよく見られ、職業アレルギーの一つでもあります。

■花粉症の原因になる植物の開花時期(関東)

花粉症の原因になる植物の開花時期(関東)

出典:『花粉症 (専門医に聞く「新しい治療とクスリ」)』論創社

花粉症患者の数は、はっきりとわかっていません。一説によれば、国内に2000万人ほどいるとされています。日本人の五人に一人は花粉症なのです。その中でも最も多いのは、スギ花粉症の患者。若年層では、半数が花粉症ともいわれています。

花粉症の治療には、どのような方法があるのでしょうか。

基本的に、二つの方向性があります。一つは対症療法といって、症状を抑えたり軽くしたりすることで、花粉症シーズンを乗り切る方法です。対症療法では症状や体質に合った薬を服用することで、症状を抑えます。薬にはいろいろな種類がありますが、本格的なシーズンに入る前から服用を始める初期療法が有効とされています。あらかじめ薬を飲むことで、受容体に花粉がつくのをブロックするのです。

対症療法には、手術により鼻の粘膜を物理的に減らして、鼻のとおりをよくする方法もあります。レーザーで粘膜を焼く、電流を流して粘膜を凝固させる、メスを入れて粘膜を切除する、といった治療です。薬を飲んでも効かない人や、妊娠などが理由で薬を飲めない人に有効とされています。ただし時間が経てば粘膜は再生するので、根治には至りません。

大久保公裕さん

もう一つは、アレルゲン免疫療法。対症療法とは違うアプローチで、根本から花粉症を治します。花粉を体内に入れて慣れさせることで、「異物ではない」と判断するように体の反応を変えていく治療です。体に負担のないレベルから始めて、徐々に花粉の濃度を上げていきます。かつては経皮免疫療法といって、定期的に注射するやり方が一般的でしたが、ここ数年は毎日舌下に薬液や錠剤を置き、口に含ませる、舌下免疫療法が主流になりつつあります。

花粉症は、企業活動にどのような影響を与えるのでしょうか。

花粉症自体は命に関わる病気ではなく、入院や大きな手術をほとんど必要としないので休職などは起こりません。そのため軽く見られがちですが、パフォーマンス低下に大きく影響していると考えられます。鼻水や鼻づまり、目のかゆみは、業務中の集中を削ぐ原因となるでしょう。また鼻づまりにより睡眠の質が悪化し、1日中ボーっとしたりイライラしたりすることもあります。

昔と比べて効果の高い薬や、眠くなる成分を含まない薬も増えていますが、服用しても本調子ではない人は多いようです。ある製薬会社の調査によると、花粉症患者のうち症状により勉強や仕事、家事など生活への支障があるという人は、6割にのぼることがわかりました。また花粉症患者の半数が、重症もしくは最重症と重い症状の持ち主です。

■重症度の基準
  最重症 重症 中等症 軽症 無症状
くしゃみ 21回以上 20~11回 10~6回 5~1回 軽症未満
鼻水 21回以上 20~11回 10~6回 5~1回 軽症未満
鼻づまり 1日中完全につまっている 鼻づまりが強く、1日中かなりの時間で口呼吸する 鼻づまりが強く、時々口呼吸する 口呼吸はないが、はなづまりはある 軽症未満
日常生活への支障(仕事・家事・睡眠・外出など) 全くできない 手につかないほど苦しい かなりつらい あまり支障はない 軽症未満

出典:『花粉症 (専門医に聞く「新しい治療とクスリ」)』論創社

花粉症の厄介なところは、患者数の多さです。職場によっては従業員の半数近くがスギ花粉症だというところもあるでしょう。仮にベストコンディションを100として、花粉症の症状によって平均でパフォーマンスが10低下しているとします。それが従業員の2割で生じているとなると、全体で見たときの損失はかなりのものになることは言うまでもありません。

花粉症向けの施策は期間を定めやすく取り入れやすい

企業で花粉症対策を取り入れることは、有効なのでしょうか。

健康経営の観点でいえばできることも多く、非常に取り組みやすいと思いますね。他の疾病と違って発症時期が限られているので、期間を定めて施策を行うことができるからです。特にスギ花粉症は数も多いので、効果を上げやすい。何とかしたいと悩む人も多く、広報面の効果も期待できます。

具体的な施策としては、花粉との接触を防ぐことが基本です。花粉が舞う環境に近づかない、花粉に触れさせないなど、花粉を避けるアイデアや工夫を社内にどう取り込むか。大きくは「空間の取り組み」「福利厚生の取り組み」「働き方の取り組み」と、三つの視点で考えることができます。

空間の取り組みとは、どのようなものでしょうか。

オフィス内に花粉が拡散しないための取り組みです。まず清潔であることが大前提。掃除機をかけ、床に落ちた花粉やホコリを取り除くことでアレルゲンを減らします。そのうえで、空気の流れを意識します。花粉が部屋に滞留しないように、道筋をつける。空気清浄機やサーキュレーターの位置、換気扇の調整など、工夫できることは多いでしょう。ハウスメーカーや空調メーカーでは、オフィスにおける空気の流れを科学的に考察し、対策に乗り出しているところもあると聞きます。そうした情報を活用するのもいいですね。

また花粉は乾燥した場所で、空気中に舞う傾向にあります。逆に水気を含むと重くなり、床に落ちます。そのため、加湿を心がけることはとても重要です。加湿はインフルエンザの予防にもつながりますから、加湿器を設置して最適な湿度を保ちます。また上着置き場を決め、執務スペースに花粉を持ち込まない工夫なども有効です。営業所など外勤が多い会社で予算に余裕があるなら、エアシャワーを置くのもいいと思います。

福利厚生面の取り組みでは、何が考えられますか。

トイレに手洗い用エタノールを設置するのと同じ感覚で、マスクやメガネを会社側で用意するといいでしょう。マスクやメガネは花粉を防ぐのに非常に有効です。以前、頭が収まるクリアボックスの中に3万個の花粉を散布すると、目や鼻につく花粉の数はどうなるのかを調べたことがあります。マスクのない状態と比べると、通常のマスクをつけた状態は3分の1に、花粉症用マスクをつけた状態は6分の1に減少することが分かりました。またメガネをつけない場合と比べると、普通のメガネで6割に、花粉症用メガネでは3分の1強まで減りました。

アイテム未着用の場合と比較した花粉の量
マスク 3分の1
花粉症用マスク 6分の1
メガネ 5分の3
花粉症用メガネ 3分の1強

マスクやメガネは花粉症患者にとって必須のアイテムです。購入補助を設けるのも、有効だと思います。花粉症による不快感を取り除くとしたら、アロマテラピーを活用するのもいいですね。香りを嫌がる人もいるので、リフレッシュスペースにアロマディフューザーを置き、ユーカリやペパーミントの香りをたきます。清涼感のある香りが、鼻や喉をスッキリさせてくれます。

他に、ランチ面のサポートも有効です。お昼時は、花粉が空気中に最も多く舞う時間帯。食事に出かけたり弁当を買いにコンビニに行ったりするだけでも、多くの花粉に触れることになります。ランチワゴンの誘致や弁当の宅配サービス、ケータリングなどを活用すれば、外出することなく昼休みを過ごせます。

食堂を併設する企業は、花粉症対策のメニューを取り入れるのもいいでしょう。ポリフェノールや乳酸菌には、花粉症の症状を緩和する効果があると期待されています。ポリフェノールを含むココアや乳酸菌を含むヨーグルトを用いた料理やデザートは、健康管理に対する意識を高めることにもつながります。また花粉症ではない人に、花粉症シーズンであることの理解を促すうえでも有効だと思います。

生産性の観点で花粉症をどう捉えるかによって治療は変わる

働き方の取り組みについても教えてください。

働く場所や時間の自由度を高め、症状の出やすい時間帯を避ける、飛散する花粉の量が増える時間帯の外出を抑える、といった工夫が有効です。例えばオフピーク通勤を取り入れ、夕方の帰宅ラッシュを避ける。花粉症の症状の出方は、1日のうちに波があります。中でも辛い時間とされるのが夕方です。日中に上空高く舞った花粉が下りてきて、衣服などに付着するので、満員電車には多くの花粉が持ち込まれます。その時間を避けて活動することで、症状の悪化を防ぐことができます。

外勤営業で症状がひどい人は、お昼前や雨の翌日の外出を避けること。今はITも発達していますから、重要でないものはオンライン商談で済ますなどの工夫はできるはずです。内勤の場合もリモートワークを認めて、花粉の飛散量がピークに達する時期はなるべく外に出ずに済むように、対策を講じることです。

働き方の工夫が、花粉症の緩和につながるのは盲点でした。

結局のところ、パフォーマンスの観点で花粉症をどう捉えるか、ということなのだと思います。花粉症の不快な症状を取り除くことでQOL(Quality Of Life:生活の質、人生の質)を高めると同時に、できる限り通常時と変わらぬ成果を上げるために何が必要かを、患者自身が考える必要があるのです。それを会社がサポートすることで、組織全体のパフォーマンスにつながっていきます。

花粉症は、非常に個人差の大きな疾患です。遺伝も影響しますし、他のアレルギーの有無、過ごしている場所の環境、生活習慣、年齢などでも変わってきます。職場の中でも1日の過ごし方はそう変わらないはずなのに、ティッシュペーパーが片時も離せない人もいれば、少し鼻がムズムズする程度の人もいます。

また郊外のスギ林の近くに住む人と都心に住む人とでは、通勤途中に花粉に触れる量は全く違います。細かな話をすれば、最寄り駅から会社まで、ビルが立ち並ぶ狭い通路を歩いてきた人と、公園の並木通り沿いを歩いてきた人とでも違ってくる。風や雨など天候によっても、症状の出方は変わります。

大久保公裕さん

つまり“花粉症”とひとくくりにするのは、非常に難しいのですね。

そうです。花粉症治療では、患者にアレルギー日記をつけてもらいます。くしゃみの回数や鼻水の量、症状の出たきっかけや場所などを記録することで、どういう条件がそろうとどのような症状がどの程度現れるのか、またほかのアレルギーとの関連や薬の相性などの傾向を知ることができます。そのうえで「花粉症をどのようにしたいか」を自分で考えてもらい、治療の方針を立てます。

ただし、治療には時間とお金がかかります。先に紹介したアレルゲン免疫療法は数年単位の治療になり、皮下免疫療法に比べて負担の少ない舌下免疫療法でも、年間を通じて定期的に通院しなければなりません。対症療法でも薬を処方してもらうには、シーズン前から何度も通院することになります。病院に通う時間も、貴重なリソース。治療への投資がパフォーマンスにどう影響するかを、よく考える必要があります。実際にその観点で、私の元を訪れるビジネスパーソンも多いですよ。

QOLの向上が仕事の成果にも直結する時代

花粉症の症状はとても複雑ですが、花粉症ではない人が、その苦労を理解することはなかなか難しそうです。

言うなれば、ダイバーシティです。花粉症の諸症状やそれによるパフォーマンスの低下は、根性や気合でどうにかなるものではありません。障害やセクシャルマイノリティもそうでしょう。好むと好まざるとにかかわらず、一緒に仕事をする関係なのですから、理解の促進と共生がポイントになります。スギ花粉に限らず、他の花粉症やアレルギーに悩む人もいるはずです。そうした人たちを排除せずに能力を生かすことが組織の成長につながることを前提に、支援を打ち出していく必要があります。

昔とは違い、プライベートと仕事の境界は薄れつつあります。かつては出社することが大事で、パフォーマンスが出しきれていなくても、ある程度許されていました。しかし今は、「仕事の時間」を切り離して考える時代ではありません。人生の満足度、つまり気持ちが平穏で体の動きのよい状態が、仕事の成果にも直結してきます。いわばWell-Beingの時代なのです。

ダイバーシティやWell-Beingにつながるということは、経営の理解がまず重要といえそうです。

経営者の中にも、花粉症の人はいるはずです。鼻水や鼻づまりによるパフォーマンスの低下は、本人がよく理解しているのではないでしょうか。中には最新の治療薬であるゾレアを利用して、症状を抑えている人もいます。

ゾレアは薬価が高く、1ヵ月当たりの費用が本人負担だけで10万円を超える場合もあります。治療を受けるには条件がありますし、医療費を踏まえるとすべての花粉症患者に適したものではありません。しかし、判断一つで会社の将来が左右されるのであれば、経営者にとっては決して高くはないでしょう。今述べたことは、QOLの向上を組織の成長につなげる一例です。何かしらの理由でパフォーマンスを発揮できない環境にあるなら、経営者はその障害を取り除くのが重要な役目といえます。

花粉症の症状は、仕事もプライベートも関係なく襲ってくるものです。マスクやメガネ、ヨーグルトにアロマといった、一見仕事とは関係のないような施策であっても、それによってQOLが上昇し、巡りめぐって生産性につながってくるはずです。そこまで考えてケアする企業には、従業員もポジティブな感情を抱くはず。つまりはエンゲージメントの向上や、リテンションにもつながってくるのです。

1日24時間のうち、仕事が占める割合は大きいものです。仕事に充てる時間の充実を、経営者は考えなければなりません。そういった考えを経営者に促すのは、人事の重要な役目といえます。

大久保公裕さん

取材は2020年2月3日、東京・文京区の日本医科大学にて

企画・編集:『日本の人事部』編集部

Webサイト『日本の人事部』の「インタビューコラム」「人事辞典「HRペディア」」「調査レポート」などの記事の企画・編集を手がけるほか、「HRカンファレンス」「HRアカデミー」「HRコンソーシアム」などの講演の企画を担当し、HRのオピニオンリーダーとのネットワークを構築している。


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