「従業員の健康」は「業績」に直結する 企業に求められる健康経営とは
特定非営利活動法人健康経営研究会 理事長
岡田邦夫さん
近年、従業員の健康増進への取り組みを経営上の「コスト」ではなく「投資」として位置付け、生産性の向上や医療費負担の削減を実現、成長性のある企業として社会的価値の向上を目指す「健康経営」を推進する動きが活発化しています。いま「健康経営」はどのような状況にあり、企業が戦略的に取り組みを進めていくにはどうすればいのでしょうか。同分野に関する第一人者である、岡田邦夫さんにお話をうかがいました。
*「健康経営®」は、特定非営利活動法人健康経営研究会の登録商標です。
- 岡田 邦夫さん(おかだ・くにお)
大阪ガス株式会社人事部大阪ガスグループ健康開発センター統括産業医。大阪経済大学人間科学部客員教授、プール学院大学教育学部教授、同健康・スポーツ科学センター長。 大阪市立大学医学部卒業後、大阪ガス産業医、健康開発センター健康管理医長、関西学院大学社会学部非常勤講師、大阪市立大学医学部非常勤講師、同志社大学スポーツ健康科学部嘱託講師、大阪市立医学部臨床教授、日本陸上競技連盟医事委員などを歴任。大阪陸上競技協会理事などの役職を務める。著書に『判例から学ぶ従業員の健康管理と訴訟対策ハンドブック』(法研)『産業医学実践講座』(南江堂)『行動変容を可能とする特定保健指導のすすめ方』(社会保険研究所)『「健康経営」推進ガイドブック』(経団連出版)『これからの人と企業を創る健康経営』(健康経営研究会・共著)ほか多数。
「健康」は「業績」に結びつく 企業に求められる健康経営
企業が「健康経営」に取り組む意義についてお聞かせください。
企業が従業員の健康増進に注力すれば、「業績の向上」につながります。なぜなら、従業員の健康は生産性に直結しているからです。心身に不調を感じていると、仕事に集中することはできません。「労働の質」を高めるにはまず、「健康の質」を高めることが必要なのです。労働の質が高まれば、生み出される「商品・サービスの質」も高まります。「健康の質」「労働の質」「商品・サービスの質」という三つの要素が連鎖し、業績が向上するのです。ですから、経営者がどれだけ「商品・サービスの質」を高めようとしても、そもそも従業員の「健康の質」が低ければ、成果は得られません。
私たち健康経営研究会が、「人の健康が企業のイメージに極めて大きな影響を与える」と考え始めたのは、今から15年ほど前です。かつて資本主義社会では、「従業員の労働力」には対価を支払っても、その「健康」に対価を支払うという考え方がありませんでした。しかし、働く人の健康に関する基盤をきちんと整えておかなければ、企業の骨組みは緩んでいきます。それが、近年多発している「過労死事件」などで明らかとなってきました。
商品・サービスの価値を高めるため、これまでもOA化、FA化、IT化などの投資が行われてきました。それと同様、働く人の健康価値を高めるには投資が必要です。経営者は、労働生産性を高めて利益を出すために投資を行いますが、人に対する投資も必要不可欠。そこから、健康経営という考え方が生まれてきたわけです。
15年以上も前に、健康経営に着目された理由についてお聞かせください。
話はもっと以前にさかのぼります。当時、私は医師として病院に勤務していたのですが、健康診断を受けない人がかなり多かったのです。一方で、人はケガや病気になれば、誰もが自発的に病院に行こうとします。日本人は、特に体に悪いところがなければ、健康維持に関してあまり関心を持たないのです。
ところが、がん検診未受診者対策で職場の上司が「健康診断を受けるように」と言えば、一気に受診率は上がります。組織の中に確固たるヒエラルキーがあるので、経営者や上司が業務の一環として言葉を発すれば、従業員はそれに従うからです。そういう意味では、日本企業のラインケアは非常にうまく機能しているといえるでしょう。
このような職場慣行・風土の下、毎年健康診断を受けて、早期発見・早期治療をしていけば、退職後も元気で有意義なセカンドライフを送ることができます。逆に言うと、このような施策を行わなければ、これからの高齢社会で日本経済は破たんしてしまいます。平成7年(1995年)に「高齢社会対策基本法」ができた時、日本社会の急速な高齢化はすでに予測されていました。そこで、従業員の健康を担うという、企業の役割がクローズアップされるようになったのです。
その頃から、岡田先生は健康経営への課題意識を強く持っていたのですね。
平成9年(1997年)に厚生労働省から委託されて行った研究の結果、「経営者自らが健康に関心のない場合、従業員も自分の健康に関心がない」ということがわかりました。従業員が健康でいるために誰が指導力を発揮できるかと言うと、それは経営者あるいは職場の上司なのです。そういう意味では、私たちのような医療関係者は無力です。
産業医などの医療関係者が行うのは、病気になった後の対応であり、常に「後手」に回ってしまいます。これに対して、経営者や職場の上司は「先手」が打てます。病気が発症しないような職場環境を創り出すことができるのです。これはマネジメントの力であり、医療の力ではありません。
経営者や上司に求められるのは従業員の「健康」を見る視点であり、「病気」を見る必要はありません。例えば、医師から従業員に「残業禁止」という診断が下された場合、法的効力があるので、会社はその決定に従わなくてはならない。そのためにも会社は、そのような状態になる前に、従業員が元気で働くことができる手を打つ必要があります。
繰り返しになりますが、従業員が元気で働くことができていれば、労働生産性は高くなります。そうすれば、経営者も相応のアウトプットを得ることができ、医療費も削減できます。このようにコストを抑え、生産性の高い会社組織をつくっていくことが、健康経営なのです。
健康経営は「投資」であり、一つの「事業」である
岡田先生が健康経営に着目され始めた頃から、これまでどのような変化がありましたか。
当初は、健康経営の考え方を、なかなか受け入れてもらえませんでした。健康経営に関するセミナーを開催しても、企業の関心は低かった。参加者も経営者ではなく、一般従業員が多かったように思います。健康経営は経営者のトップダウンの下で行わなければならないのに、肝心の経営者の関心が低かったのです。
ところが、風向きは少しずつ変わっていきました。日本は近い将来、高齢社会となり、労働力人口が減少して、定年延長が求められます。そこで問題となるのは、従業員の体力と健康。70歳になった時に元気で働ける人と、そうでない人がいますが、「差」が生まれる大きな要因は、企業が体力・健康という視点で従業員をケアできているかどうか。そのため、健康経営が注目されるようになったのです。
経営トップは自社の未来の姿を見据えて、これから何をすべきかを常に考えていなくてはなりません。経営者から「健康経営を進めていくために、我が社は健康診断100%受診を目指す」といったメッセージが発せられたら、従業員がそれに応えて、自身の健康管理に対する意識をより高めるようになる。それが、ヘルスリテラシー(健康を決める力)です。「社長が言っているけれど、自分は受けない」と考える従業員がいるようでは困るのです。従業員の未来への投資という視点がなければ、従業員は付いてきません。そういった点を踏まえて、経営者が従業員とコミュニケーションを図りながら、健康経営を進めていく姿勢が求められます。
日常的に、上司は部下の仕事の進捗状況を把握することが大切
企業における健康経営に関する取り組みで、実際に効果があったものや興味深い内容のものがあれば、お聞かせください。
社長の方針で「長期経営方針」の中に健康経営の考え方を取り入れ、昭和50年から中高年の健康づくりに取り組んでいる企業があります。具体的には、勤務時間内に「体力テスト」を実施。取り組みを始めた頃は、実際の年齢と体力年齢に大きな「差」がありましたが、従業員に「運動指導」などを行い、10年間かけてその差をなくしました。このような地道な取り組みを継続して行ってきたことにより、従業員の健康状況が目に見えて良くなり、ヘルスリテラシーも向上。従業員一人ひとりの健康に対する自己管理能力を高めることに成功しました。
これも、トップダウンの発信があったからこその結果です。定期健康診断は法定事項ですが、実はこの中にも改善のチャンスがあります。そこに着目し、その上に自社独自の対策を盛り込んでいけば、従業員の健康度は上がっていくはずです。
健康経営に関する施策を実行しても、本当に参加してほしい人ほど、なかなか重い腰を上げないと聞きます。従業員が主体的に参加するようになるには、どうすればいいでしょうか。
健康に関する取り組みを、業績評価の中へと取り込むといいでしょう。健康状態が悪ければ、当然、出勤状況やアウトプットも悪くなります。疾病や体調不良が原因で、出勤しているにもかかわらず、能力や・スキルを発揮できていない「疾病就業」の状態(プレゼンティーイズム)になったり、満足のいくパフォーマンスが発揮できずに労働生産性が低下したりすることもあります。このような状態になって評価が下がることのないよう、従業員に意識させる必要があります。
今後、企業における健康経営はどうなっていくとお考えですか。
労働力人口が急激に減っていく中、人の問題に関する経営責任が強く問われています。現在は、従業員の健康管理の問題に適切に対応できなければ、社会から大きな非難を浴びる時代。そうならないためにも、健康経営に関するトップからのメッセージを発すると同時に、それを周知徹底する社内体制を敷く必要があります。トップから現場へと至る「業務上のライン」を、いま一度見直し、整備する必要があるでしょう。
例えば、上司が部下の業務遂行の状況をしっかりと見る。日常的に業務の状況(アウトプット)を見ていれば、健康の状況を推し量ることができます。そこで健康上の問題が分かれば、すぐに対応しなければならない。問題は、上司が忙しく、またプレイングマネジャー化して部下の状況をしっかりと把握できていないこと。また、部下の健康に対して無関心な上司が多いことです。それでは、部下の体調の変化に気付くことができません。
上司は部下の仕事の進捗をしっかりと確認し、その健康状態を知ることが重要な役目であると認識するべきです。部下が仕事に行き詰っている時はサポートし、良いアウトプットを出せる状態に導いて、プロフェッショナルへと育てていく――。それがしっかりとできていれば、部下が仕事で悩んだ末にメンタルに不調をきたすようなことは、起こらないはずです。
社内にヘルスリテラシーを高める仕組みを導入する
では、ボトムアップによる健康経営はあり得るのでしょうか。
ボトムアップというのは、まさにヘルスリテラシーのことです。例えば、健康診断で血圧が180あったとします。その時、「今のところ元気だから、特に何もしなくていい」と感じるのか、あるいは「これはまずい。病院に行かなくては」と感じるのか。ヘルスリテラシーが高ければ、このまま放置することが健康面で悪い、と自ら判断できます。しかし、ヘルスリテラシーの低い人はそのまま放置し、仕事中に倒れてしまうかもしれません。あるいは運転中に、脳出血を引き起こすようなことがあるかもしれない。こうした事態を招かないためにも、従業員のヘルスリテラシーを高める仕組みをつくる必要があります。
例えばバスの運転手に対してアルコールチェックだけでなく、血圧チェックを加える。「血圧が180を超えたら、運転をさせない」と決めれば、運転手は自分の健康に気を配るようになります。このような健康管理に関する仕組みを導入することにより、健康でなければ働くことができないと社内に周知徹底させるのです。そうすれば、従業員の健康に関する知識は増え、ヘルスリテラシーも高まります。また、組織風土として、健康経営が浸透していくことになります。
最後に、企業内で健康経営に取り組んでいる経営者、現場で推進している人事の方々に向けてメッセージやアドバイスをお願いします。
これからは、日本でもアメリカと同じように、健康とアウトプットが問われる時代になるでしょう。そのために企業は従業員の健康管理を徹底して行い、企業価値を高める必要があります。また、一人ひとりのアウトプットが高くなるような人材育成を行い、プロフェッショナル人材を創り出していかなくてはなりません。
同時に、人材の流動化が進み、パラレルキャリア、雇用から契約へという流れがある中で、働く人たちも自己責任として、一人ひとりが高いアウトプットを出して、自らの商品価値(能力・スキル)を示していく必要があります。そのため、個人にも意識的に健康へ投資することが求められるでしょう。
日本の人口動態を考えると、今後、人手不足倒産が確実に増えていきます。それを回避するには、人を大切に育て、人が集う魅力的な企業を作り出さなければいけません。そのためにも、これからは健康経営の考え方が必要不可欠なのです。
(取材は2017年11月1日、大阪市・北区の健康経営研究会オフィスにて)