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部下の納得感と安心感を醸成――
「フェア・マネジメント」でメンタルヘルス対策を

北里大学大学院 医療系研究科産業精神保健学 教授

田中 克俊さん

部下の納得感と安心感を醸成―― 「フェア・マネジメント」でメンタルヘルス対策を

厚生労働省による令和5年労働安全衛生調査によると、過去1年間に「メンタルヘルス不調により連続1カ月以上休業・退職した労働者」がいた事業所は13.5%で、前年比0.2ポイント増となり、働く人のメンタルヘルス不調は増加傾向にあります。労働者のメンタルヘルスに関して研究しており、複数の企業で産業医の経験を持つ、北里大学大学院 医療系研究科産業精神保健学 教授の田中克俊さんは、従業員のメンタルヘルス不調を未然に防ぐために、上司がフェア(=公正)であることが重要だといいます。「フェア・マネジメント」とはどのようなものか、メンタルヘルス対策や健康経営推進に向けて企業や人事は何ができるのかを聞きました。

プロフィール
田中 克俊さん
北里大学大学院 医療系研究科産業精神保健学 教授

たなか・かつとし/1990年産業医大卒。92年株式会社東芝の本社産業医として勤務。昭和大精神医学教室を経て2003年北里大大学院医療系研究科産業精神保健学准教授、2010年より現職。産業精神保健に関する研究・教育および厚労省の指針・基準作成などに従事。日本産業精神保健学会副理事長の他、日本産業保健法学会、日本うつ病学会、日本ストレス学会の理事など。労働政策審議会障害者雇用分科会委員。

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雇用環境の変化で慢性的な不安感広がる

メンタル面で体調を崩す人が増えていますが、どのような背景があるのでしょうか。

30年くらい前までは、メンタルヘルス不調というと統合失調症や双極性障害といった精神疾患を扱うことが多かったのですが、治療法が進化し、それらの疾患は徐々にコントロールできるようになってきています。現在はむしろ、適応障害や軽いうつ状態を主訴にする労働者が増えてきました。

統合失調症や双極性障害などは生物学的な要因、いわゆる脳の機能障害によってメンタルヘルス不調を引き起こしますが、適応障害などは心理社会的要因が主なもの。本人の考え方や性格といった心理的特性と、仕事や環境とのミスマッチが原因であることが多く、改善のためには、こうした心理社会的な要因への介入が必要となります。

しかし、そうした対応が容易に進まないケースも少なくありません。本人の能力や特性に合わせて柔軟に仕事のやり方を変えたり、配置転換したりできれば良いのでしょうが、さまざまな事情で環境調整ができない場合もあり、とりあえずメンタルクリニックで治療を受けるという対応のみになりがちです。ただし、薬は生物学的要因が原因ならば効果がありますが、心理社会的要因で不調になっている場合はそれほど効果が期待できるわけではありません。また、本人の心理特性に合わせたカウンセリングや精神療法を上手にできる専門家もそれほど多くないのです。その結果、治療しているものの、なかなか改善しないケースが増えているのが最近の実情です。

心理社会的要因によるものが増えている理由は何でしょうか。

働く人を取り巻く環境が変化し、以前に比べて慢性的な不安感が高まっていることが理由の一つだと思います。これまでの日本企業には終身雇用制が広まっていたので、多少の問題があっても、労働者は職を失う心配がほとんどありませんでした。また、年功序列の賃金体系によって労働者個人と家族の経済生活が保証され、安心して将来設計を描くことができていました。

もちろん、今の日本でもすぐに解雇されることは考えにくく、年功序列もある程度残っています。それでも、実力主義が浸透し、従業員は常に成果を求められるため、以前ほど安心してはいられません。加えて、在宅勤務や兼業・副業の広がりなどにより、「職場」が持つ機能が低下しました。所属意識の希薄化や労働者の心理的孤独が強まっている傾向もあり、職場でのストレスやトラブルに対して敏感に不安を感じるようになっています。

不安や抑うつ、怒りが代表的なネガティブ感情ですが、抑うつや怒りの背景には不安があります。不安が高まっている状態でストレスを受けると、人は本能的に「fight or flight」、つまり「戦う」か「逃げる」の二者択一の行動をとりがちです。安心できる状況では、ストレスに直面しても状況を冷静に分析し、合理的で理性的な考えや行動を選択できるでしょうが、不安で余裕がなくなると、ちょっとしたことで攻撃的になったり、回避行動が普段より強くなったりします。そうすると対人関係のトラブルや課題を先送りするなど、さらなる問題を引き起こし、より不安やストレスを高めてしまいます。職場の心理的安全性という言葉が使われることが多いのですが、不確定要素が多く不安が惹起されやすい最近の職場では、安心できる状況を可能な限り作り出す工夫が必要になっています。

田中 克俊さん 北里大学大学院 医療系研究科産業精神保健学 教授

「公正」がストレス要因の認知を和らげる

従業員のメンタルヘルス不調を未然に防ぐために、会社としては何ができるのでしょうか。

従業員のメンタルヘルス不調を予防するためにはどのような職場要因に注目すべきか、これまでさまざまな研究が行われてきました。その中でも、「自分の上司はフェア(公正)だ」と認識している従業員の心理的安全性は非常に高く、また、そうした上司のいる職場では、メンタルヘルス不調者や休職者、離職者の発生頻度が明らかに低く、生産性が高いという報告が注目を集めています。心理的安全性を高めるためには、上司への信頼や相談しやすさが重要と言われますが、上司の公正性が大きな前提条件になっているわけです。

なぜ、公正さがそれほど重要かというと、人間の思考回路と関係があります。人は、見たり聞いたりしたことは、脳の後ろや横の部分でイメージをつくり、それを脳の前(前頭葉)に送ります。そこで関連する過去の記憶やイメージ、学習したことなどさまざまな情報を集めて総合的に判断し、最終的な解釈・意味付けを行い、その解釈・意味付けに従って、自動的に感情や行動が決定されます。つまり、人間の感情や行動は、見聞きしたことや出来事によって直接決まるのではなく、どう意味付けしたかによって決定されるのです。同じことでも、言われた相手によって気持ちが大きく違うのは、日常的によく経験すること。それは、相手に関連する記憶やイメージがそれぞれ違うことが影響しているからです。

指導・評価する立場の人は、どのような記憶・イメージが大切なのか。この答えが「フェアネス(公正さ)」です。相手にフェアなイメージを持っていない場合、その言動に対して「理不尽だ」「不公正だ」という解釈や被害的な意味付けが行われやすいことが知られています。こうした意味付けは、「怒り」を自動的に引き起こします。怒りという感情は、先に挙げた三つのネガティブ感情の中で最も厄介なものです。最もエネルギッシュで、何度も頭の中を駆け巡り、さらにネガティブな意味付けを強化してしまいます。

少し乱暴な言い方になりますが、メンタルヘルスにとって一番大事なのは、「あきらめる」ことと、「忘れる」ことです。どんなに慎重に生きていても、どうにもならないつらいことやストレスに直面してしまいますが、そのことにいつまでも執着していては前に進めません。結果を変えることができない問題や過ぎ去ったことを、いかに早く受け入れるかがメンタルヘルスを保つ大きなポイントです。しかしながら、フェアでないという認識や怒りの感情は、あきらめたり忘れることを遠ざけてしまいます。

一方で、部下が上司に対して「普段からできるだけフェアにやろうとしている」という記憶やイメージを持っていれば、不安や怒りの発生が最小化し、「仕方ない」とか「ここはあきらめてこうしよう」といった考えに落ち着くまでの時間が短くなることがわかっています。上司は時に、部下に対してネガティブなフィードバックを与えなければなりません。それは部下にとってストレスですが、必要以上にネガティブな感情を起こさず、こちらの言うことを受け入れてもらうためにも、普段からフェアネスを意識した管理態度、つまりフェア・マネジメントが重要になるわけです。

フェア・マネジメントとは、具体的にはどのようなマネジメント手法なのでしょうか。

フェア・マネジメントは欧米で重視されてきた考え方です。解雇や降給など、インパクトの大きいネガティブな評価を部下に伝えなければならない状況では、上司・部下間の心理的葛藤が非常に大きく、トラブルに発展する可能性も小さくありません。それを防ぐために、フェア・マネジメントをスキルとして強化するための教育研修が重視されています。

フェア・マネジメントを構成する要素は、「分配の公正」「手続きの公正」「情報の公正」「対人関係の公正」の四つです。「分配の公正」は、役割や給与などの分配が公正であるかどうかということ。人事制度などの影響もあり上司がコントロールするのは難しい部分もあるのですが、公正さを認識する上では、分配そのものよりも、その分配が公正なプロセスや基準によって決定されたのか、十分な説明を受けたかという「手続きの公正」がより重要と考えられています。「情報の公正」は、部下に必要な情報をすべて与えているかどうか。そして、職場のメンバー全員を一人の大人として尊重する「対人関係の公正」です。厚生労働省の調査でも、「職場の人間関係が好ましくなかった」が離職理由の大きな割合を示していますが、同僚同士の対人トラブルの影響を最小限にするために、上司の対人関係の公正さが重要な役割を果たすことが知られています。

田中 克俊さん 北里大学大学院 医療系研究科産業精神保健学 教授

ある病院での事例をご紹介します。看護師の離職率の高さが課題となっていました。特にNICU(新生児集中治療室)は、少しでも目を離すと新生児の容体が急変しかねない現場のため、上司からの指導も厳しく、職場もピリピリしていて仕方がないと、皆が半ばあきらめていました。そのため、これまで院内で最も離職率やストレス調査チェックの結果が悪かったのです。ところが、NICUの師長が替わり、急に結果が好転しました。

各部署の師長や管理者を集めて行われたフェア・マネジメント教育の場で意見を求められた新任師長は、自分なりに工夫した点をいくつか挙げました。例えば、看護師の日勤・夜勤日や休日を決める交替勤務表作りは師長にとって負担の重い作業で、希望がかなわなかった看護師から不満が噴出するのが常でした。師長は、メンバーの希望を全部聞くことはできないが、全員一律で第3希望までは必ず聞き、それ以外は師長が総合的に判断するというルールを示し(「分配の公正」、「手続きの公正」)、特に強い希望が寄せられる休日の指定についても、ベテラン・新人関係なく同価値として扱って尊重する(「対人関係の公正」)という判断基準をきちんと説明していました。

上司の姿勢や行動が変わったことが、職場のストレス軽減に大きく貢献したのですね。

新任師長の行動には、フェア・マネジメントのエッセンスが含まれていたわけです。ただ、フェア・マネジメントは決してセンスが必要なわけではなく、できるだけフェアに行動しようという意識や、部下にきちんと説明する行動です。

その病院の師長や管理者は、フェアネスを高めるためのアイデアや他部署の良いところを積極的に取り入れるとともに、「公正(公平)」という言葉を積極的に口に出す必要性を学び、各部署で実践し続けました。その結果、離職者は急減し、職場のストレス調査でも有意な改善が認められています。

「適切な」メンターの選任が重要

制度面で人事が取り組めることはありますか。

職場の心理的安全性を高めるために有効なものとして、メンターの存在が挙げられます。上司がフェアで信頼できる人だと感じていても、評価者である上司に自分の悩みや弱みをさらすことにはどうしても抵抗を感じる社員も少なくありません。その場合、気軽に相談できる先輩、メンターの存在は重要です。特に、新しく組織に入った社員の不安は大きく、その分、初めて密に接する先輩社員の影響はとても大きくなります。まさに、「朱に交われば赤くなる」のことわざ通り、メンターの会社・仕事に対する考えが、職場や仕事に対する第一印象として、その後も根強く作用します。

ただし、注意しなければならないのは、メンターには向き不向きがあるということ。向いていない人をメンターにつけては逆効果です。入社2〜3年目の社員を自動的にメンターにする会社も多いようですが、新入社員らを心理的・キャリア的に支援するというメンターの役割は意外と難しく、それなりのセンスとやる気が必要となります。それでも職場に一人はメンターにふさわしい人がいるものです。

私たちが行った介入試験では、職場で一番メンターにふさわしい人を一人選んでもらい、複数のメンティーを担当してもらいました。もちろん、メンターの負担を軽減するため、通常業務の一部を削減したり、メンターとしての活動を評価制度に組み込んだり、懇親会のための手当を出したりと、メンターへの支援も行われました。

その結果、メンターの知識や経験を通じてメンティーのスキルや知識が向上するとともに、上司以外にもメンターからのフィードバックや励ましを受けることで、自信やモチベーションが向上しました。特に、職場内の状況をよく知っている同じ職場のメンターからメンタル面のサポートを受けることはとても効果的で、この職場の早期退職者の数は有意な減少を認めています。

最近の研究でも、適切なメンタリング制度は、メンティーの成長だけでなく、組織内のコミュニケーションや協力を促進し、職場の文化を改善する効果があると報告されています。また、メンター自身もメンティーの指導を通じてリーダーシップスキルを磨くことができ、メンタリングは組織全体のリーダーシップ強化にも寄与することがわかりました。

質の高い睡眠で脳の疲労回復を

心の健康を守るためにできるセルフケアはありますか。

生物にとって食事と睡眠は不可欠です。最近は日本でも睡眠に対する関心が高まっていますが、睡眠時間については、OECD(経済協力開発機構)加盟国の中で最低水準です。睡眠は量だけでなく質も大事ですが、そのための対策も不十分と言えます。

睡眠は、神経系、免疫系、ホルモン系という心身の健康の基礎となる機能の保持に欠かせません。「病気は夜つくられる」と言われるように、睡眠の問題は心身のあらゆる不調のもとになります。特に脳を中心とした神経系は夜しか休む時間がないので、睡眠の質の影響を強く受けます。脳の疲労であるうつ病も、その多くが不眠をもとに生じることが広く知られています。

また、メンタルヘルスのためにはあきらめる・忘れることが重要だと言いましたが、この忘れる作業も睡眠中に行われます。どうしようもなくつらい体験をした場合、その痛みを癒やすのは月日の流れ、「日にち薬」しかありません。いつまでも鮮明に覚えていたら耐えられなくなるような記憶について、脳は睡眠中に薄皮を一枚ずつめくる作業をしてくれるのです。

睡眠の問題は、社員の健康だけでなく、労働生産性や安全性の問題にも大きく関係しています。脳が疲れた状態ではイライラしやすくなり、集中力やクリエイティブな発想力が損なわれて仕事の質も効率も低下します。日中のパフォーマンスの維持・向上のためには、良い睡眠が必須です。健康経営においても、従業員の睡眠をレベルアップさせることが第一優先だと思います。

質のよい睡眠をとるためには何が必要でしょうか。

昨年、厚労省の研究班で、「健康づくりのための睡眠ガイド2023」を作成しました。良い眠りのために必要なこと、例えば、体内時計を整えるための生活習慣や、カフェインやアルコール、ブルーライトに関する注意点、眠れない時の対応方法などが分かりやすく説明されています。中でも、ストレスで寝つきが悪くなりがちな方には、寝る直前のルーティンである睡眠儀式を持つことが大切だと思います。また職域での睡眠教育などで利用できるよう、「Good Sleepガイド(ぐっすりガイド)成人版」を作成したので、ぜひ利用してください。

また、最近の研究で、日本の男性の4人に1人、閉経女性の約1割が、治療が必要な中等症以上の睡眠時無呼吸症候群であることが示唆されています。睡眠時無呼吸症候群とは、睡眠中に舌が気道に落ち込み呼吸を邪魔してしまう病気です。

睡眠中に突然首を絞められるような状態ですから、睡眠がひどく阻害されるだけでなく、急激な心拍や血圧の上昇など、体のさまざまな部分に大きな悪影響を与えます。大きないびきや睡眠中の無呼吸を指摘されたことがある方は、睡眠クリニックの受診を勧めます。

メンタルヘルス対策に取り組む人事の方に、メッセージをお願いします。

上司のフェアネス向上や適切なメンター制度の運用、社員の睡眠の向上はいずれも、メンタルヘルス不調を引き起こす根本原因にアプローチできる施策です。健康経営推進を目指す人事の皆さんには積極的に取り組んでほしいですね。

田中 克俊さん 北里大学大学院 医療系研究科産業精神保健学 教授

(取材:2024年10月1日)

企画・編集:『日本の人事部』編集部

Webサイト『日本の人事部』の「インタビューコラム」「人事辞典「HRペディア」」「調査レポート」などの記事の企画・編集を手がけるほか、「HRカンファレンス」「HRアカデミー」「HRコンソーシアム」などの講演の企画を担当し、HRのオピニオンリーダーとのネットワークを構築している。


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