「しんどさ」に共感し、楽しく自発的に取り組める仕掛けを
健康増進のための社内通貨「ARUCO」を
導入したロート製薬の思い
ロート製薬株式会社 人事総務部 健康経営推進グループ リーダー
西脇 純子さん
社内コミュニケーションの活性化やモチベーションアップを目的として、社内通貨制度を導入する企業が増えています。独自決済ルールを設け、企業ごとにさまざまな用途を設定できる社内通貨。ロート製薬でも2019年から社内通貨「ARUCO」(アルコ)の取り組みがスタートしましたが、その目的は「従業員の健康増進」でした。日々の歩数や運動、非喫煙といった健康的な生活習慣の実施状況に応じてコインを付与し、同社が運営するレストラン・カフェやEC サイトなどで利用できるほか、特別休暇取得にも使えるという大胆な制度です。これまでにも従業員の健康増進に向けてさまざまな施策を進め、健康経営のフロントランナーと目されるロート製薬は、なぜ社内通貨を導入したのでしょうか。その背景と思いをうかがいました。
- 西脇 純子さん
- ロート製薬株式会社 人事総務部 健康経営推進グループ リーダー
にしわき・じゅんこ/1990年、ロート製薬株式会社入社。マーケティング、経営企画部、人事、広報PR・IRを経て、2年前より現職にて、健康経営を推進中。社内Wジョブに手を挙げて経理財務部IR・SRグループと兼務を行っている。また、社外チャレンジワーク制度(副業)を活用して児童養護施設で次世代育成に取り組んでいる。
運動会は真剣に 120年受け継がれてきた健康への思い
貴社は「HRアワード」受賞以前から、健康経営に関するさまざまな取り組みを行われています。まずは、貴社にとっての「健康」の位置づけをお聞かせください。
当社は、製薬会社として人々の健康に奉仕することを事業としています。「健康」はまさに、ロート製薬という会社の根幹にあるものと捉えています。
創業者の山田安民が「信天堂 山田安民薬房」として1899(明治32)年に創業してから、今年で120周年を迎えました。当時からすでに「お客さまを健康にするためには従業員が健康であれ」という考え方でした。健康経営は当時から変わらない弊社の経営方針であり、健康な人材を育成していくことを経営目標としてきました。
会社を構成している社員一人ひとりが心身ともに健康でいてほしい。また、前向きに成長し、挑戦していく人であふれた組織にしたい。そんな思いでさまざまな施策を打ち出しています。社員自身が健康になれば、その成果を身近な家族・親戚や、地域の方々に広げていくこともできます。さらに、グローバルでもロート製薬の存在意義が広がっていくはずです。
世間ではここ数年で健康経営の考え方が注目されるようになりましたが、貴社ではいつ頃から取り組みを始めたのでしょうか。
歴史の長いものでは、1970年頃から「朝の体操」を全拠点で行っています。この体操は一律ではなく、長く続けても飽きないよう拠点ごとに考え、毎朝違う体操を実施しています。例えば三重県伊賀市にある当社のメイン工場の一つ「上野テクノセンター」で行っているのは、地元で幼稚園や保育園でも取り入れられている「忍にん体操」。忍者の街であることにちなんだ、伊賀ならではの体操ですね。その様子が社内で評判となり、今では大阪の拠点でも取り入れるようになりました。
1980年代からは運動会を開催しています。3〜4年に一度開催され、グローバルメンバーも参加する大規模なイベントです。「レクリエーションではなく、仕事の一環として真剣に取り組む」という位置づけで、人事総務部が公募制でスタッフを集め、プロジェクトチームとして企画から当日の運営までを行います。その真剣度合いから「毎年開催するのは大変」ということになり、現在のペースとなりました。ちなみに、全社員参加の体力測定は毎年実施しています。
また、ロート製薬には「ARK」(あしたの・ロートを・考える)プロジェクトという取り組みがあります。社員が自由にテーマを発案し、社内に呼びかけてメンバーを募るのですが、2005年にはその一環で全社禁煙プロジェクトが始まりました。2014年にもARKから健康プロジェクトが立ち上がり、同じ年に副社長のジュネジャ・レカ・ラジュがCHO(Chief Health Officer)に就任しました。2016年には人事総務部内に健康経営推進グループが生まれ、健康経営に向けた取り組みをさらに本格化させました。
「健康が自分や家族へのインセンティブになる」仕掛け
「HRアワード」を受賞された「ARUCO」も、そうした歴史の中で生まれたものなのですね「ARUCO」とはどういう施策なのか、あらためてお聞かせください。
「ARUCO」は、従業員の健康増進を目的に導入した「健康社内通貨」です。従業員の日々の歩数や早歩き時間、スポーツ実施や非喫煙など、健康的な生活習慣の実施状況に応じて独自の社内通貨(健康コイン)を付与します。獲得したコインは当社が運営するカフェ・レストランなどでのヘルシーランチチケットや、社員向けサイトでの買い物、リラクゼーション施設でのリフレッシュ体験、健康に関する社内セミナーや自己研さんにつながる社内研修への参加、心身のリフレッシュを目的とした特別休暇取得など、さまざまな用途で利用できます。2019年1月から運用を始めました。
コミュニケーションの活性化やモチベーションアップを目的として、従業員が社内で利用できる社内通貨を導入する企業が増えていますが、当社では「健康」をコンセプトにして制度設計しました。
なぜ健康経営推進に「社内通貨」を導入したのでしょうか。
先ほども申し上げたように、ロート製薬ではこれまでにもさまざまな健康施策を進めてきました。しかし、取り組みを進めても「健康意識がものすごく高い人」と「お尻を叩いてもなかなかやってくれない人」に分かれてしまうことが課題だったんです。
例えば「とこチャレ」(トコトコ歩くチャレンジ)として、日々の歩数を拠点やチームごとに競い合う施策を行っているのですが、実施中は全体的な盛り上がりを見せるのですが、イベントが終わると熱が冷めてしまう人も多く、毎日変わらない熱量で健康を考えてもらう必要がありました。
健康意識がなかなか高まらない人に対して、どのようなアプローチをしていくべきか。「そもそも、楽しくないと取り組めないのでは?」と考え、ゲーム性のある楽しい仕組みを設けることになりました。
そこで着目したのが、以前から実施していた「1日8000歩、早歩き20分を目標に歩こう」という取り組みです。当社では従業員が活動量計を身につけていて、1日8000歩という目標に対する全員の結果を毎日集計して「見える化」しています。この数値を使った仕組みができないかと考えてたどり着いたのが、「歩数を社内通貨のコインに換算して利用できる」というアイデアでした。
短期的に健康への熱を高める仕掛けだけではなく、日々の意識を高めていく「楽しい仕掛け」も必要だということですね。
はい。加えて、福利厚生の仕組みを受け身で利用するだけでなく、「自分から取りに行く」というスタンスを広められるのではないかという期待もありました。制度や仕組みは与えられることが当たり前ではなく、健康になるために自分から活用しに行くというスタンスですね。
健康につながるアクションによって社内通貨が貯まるという仕組みは、「健康になることが自分や家族へのインセンティブになる」ことを意味しています。日々のモチベーションにつながる要素があることで、健康への取り組みが循環していくのではないかと考えました。
新たに社内通貨を設定して利用用途を広げていくための原資は、決して安いものではないと思います。社内で反対意見はなかったのでしょうか。
「ARUCO」については、経営トップの意志で一気に進めていくことができました。
ロート製薬のオフィスはオープンな作りになっていて、経営陣も同じフロアで仕事をしています。ある日、私たち健康経営推進グループでこの取り組みについて検討していたところ、会長と社長が話を聞きにきて、一言「面白いやん!」と(笑)。そのまま一気にゴーサインを出してくれました。役員陣も労働組合もこのアイデアを歓迎してくれて、どんどん具現化に向けて進んでいきました。
一方では、社内ポータルサイトなどのシステムは内製し、社内通貨がどれくらい利用されるかを綿密にシミュレーションした上で予算化するなど、コストを最小限に抑えるための工夫も行っています。
健康に取り組むのは「しんどい」。事情を理解し、共感しながら巻き込んでいく
健康経営を推進する側の立場として、「ARUCO」の導入で具体的に狙っている効果は何でしょうか。
当社が現在最も力を入れているのは「卒煙」です。これはハードルの高い目標ですが、「2020年4月までに喫煙率を0%にする」と掲げています。
卒煙については、1996年から社内禁煙にするなど、早い段階から取り組みを開始していました。しかし営業部門のメンバーなど、外出先でタバコを吸う機会のある従業員も多く、かつては20%近い喫煙率で推移していました。
そこで「ARUCO」は、「卒煙で1万コイン」「非喫煙者なら自動的に毎月500コイン」という大きなインセンティブを設定しました。そのかいもあって、2019年の冒頭に約7.7%だった喫煙率が、9月ごろには6%、12月時点で1.3%にまで下がりました。卒煙に向けた努力は惜しみません。禁煙外来も会社が全額負担します。もちろん、本人もかなり努力していると思います。残りわずかとなった喫煙者の従業員にも、何とか卒煙してほしいと思っています。
最近は加熱式タバコの普及などもあり、昔のように「匂いであからさまに喫煙者だとわかる」ケースも減ってきていると思います。大きな額の社内通貨を付与するにあたり、本当に卒煙できたかどうかの見極めはどのように行っていますか。
私たちは性善説に基づき、従業員の自己申告によって「ARUCO」を支給しています。過去には検査によって、喫煙の有無を判別したこともありました。しかし、効果的に卒煙にはつながりませんでした。自らの意志で、自らの健康のために卒煙のためのアクションを取ることが大切だと考えています。
2019年12月末には、CHOのジュネジャが喫煙者の従業員一人ひとりに対して手紙を書きました。それは「タバコにはさまざまな害があります。私はあなたの体のことを本当に心配しています。あなたが卒煙できるよう、心から応援しています」というメッセージでした。この思いが、どうか届いてほしいと思っています。
これまでもさまざまな「きっかけづくり」を行ってきた中で、うまく生活習慣の見直しや改善が図れなかった従業員には、どんな傾向があったとお考えですか。
一言で表すなら、「しんどい」だと思います。例えば肥満傾向の方は、運動しようと思ってもしんどくて、なかなかできない。しかし、運動をしないとさらに太って、ますますできなくなってしまう。そうして負の連鎖が続いていきます。この連鎖をどこで断ち切るべきなのか。最も取り組みやすい入り口は「歩くこと」です。その入り口のハードルをできるだけ下げて、寄り添っていかなければいけないと考えています。
なかなか健康増進に取り組めない人には、事情があります。その事情を理解し、共感しながら、うまく巻き込んで健康のためのアクションへ踏み出していくことが大切なのではないでしょうか。
例えば「とこチャレ」のようにみんなで歩く取り組みでも、普段から運動している層に目標を合わせるのはしんどい。だから、同じようにゆっくりちょっとずつ歩く中間層を基準に目標を作り、ほとんど運動しない層に寄り添って、ペースを作っていく。そうした工夫が必要でしょう。
逆に、従業員のみなさんの行動変容を感じた瞬間はありましたか。
体力測定を実施した後のことです。20代の女性社員数人から健康経営推進グループに連絡がありました。測定では体力年齢とともに健康年齢も算出するのですが、彼女は「40代」と判定されたというのです。「実際に40代になったら足腰にいろいろと影響が出てしまうかもしれない」と考えた彼女たちは、結果を受け取ってからすぐにパーソナルトレーニングに登録しました。
社内には睡眠に対して悩みを抱えている人も多いのですが、その悩みを解決するための「睡眠改善プロジェクト」も立ち上がりました。「朝は眠くても、頑張ってカーテンを開けて太陽の光を浴びる」「朝食をしっかり摂ることで体内時計が整い、昼間に眠くなりにくくなる」といったアクションが共有され、参考にしている従業員も多いようです。
「みんなで『ARUCO』を貯めて卓球台を!」
仲間がいるからこそ続けられる取り組み
「ARUCO」がスタートして、コインはどのように活用されているのでしょうか。特に社内通貨で「リフレッシュ特別休暇」を取得できる仕組みは特にユニークだと感じました。
リフレッシュ特別休暇の取得をはじめ、「ARUCO」の用途を発表した際には社内から感嘆の声が上がりました(笑)。ただ、現状では「『ARUCO』による休暇の前に、有給休暇が残っている」という従業員も多く、実際の利用歴はまだ確認できていません。
このリフレッシュ特別休暇には狙いがあります。制度を考えているときに、「有給休暇を使い切る人にはどんな傾向があるのか」を確認しました。すると、その多くはママさん社員など、子育てをはじめとした家族の事情で有給休暇を使わざるを得ない人だったんです。言い換えれば、「自分自身のために有給休暇を使えていない」可能性がある。そういう人たちが、自分のために休暇を使ってほしい。そんな思いもあってリフレッシュ特別休暇を盛り込みました。今後は介護など、さまざまな事情から活用する人が出てくるのではないでしょうか。
実際に「ARUCO」が利用されている用途として、多いものは何でしょうか
最も多いのは「ロート通販」で使うケースです。特に人気なのは「オバジ」シリーズをはじめとしたロート製薬の化粧品。化粧水など、比較的高価なものを「ARUCO」を活用してお得に購入している女性従業員は多いですね。女性にとって、日々使う化粧水をグレードアップできることは大きいと思います。
また、健康診断の際にプラスアルファの健診メニューを選んだり、スキルアップのためにeラーニングの講座を申し込んだりする人も増えています。
あとは卓球台ですね。なぜかロート製薬には昔から卓球好きの従業員が多くて、独特の卓球文化があるんです。社内に卓球台が設置されている拠点も多く、昼休みには会長や社長も一緒になって卓球をしています。2018年に大会を企画したところ、全社から約400人の参加者が集まって驚きました。
ただ、小規模な拠点には卓球台がないところもあり、彼らから「ARUCOの交換商品に卓球台を入れてほしい」と要望がありました。卓球台を目標に、拠点メンバーでポイントをためています。
卓球は、楽しく健康経営を推進するための一つの文化なのですね。「ARUCO」の取り組みを通じて、従業員の生活習慣の変容や健康へのアクションを後押しするために、どのような考え方が大切になると感じていますか。
習慣を変えるのは、とても難しいことだと思います。楽しめないことは、何事も長続きしません。その意味で「ARUCO」は、非常に分かりやすいツールとなりました。また、卓球台のケースもそうですが、できれば仲間がいたほうがいいですよね。仲間がいるからこそ、「しんどいこと」も続けられるのではないでしょうか。
例えば「若い従業員の中には朝食を抜く人が多い」という課題がありました。しかし、「朝食を食べて出社しよう」と呼び掛けても行動は変わりません。そこで会社が朝食メニューを用意し、朝ヨガなど楽しめる時間をセットにして、一人ではなくみんなで朝食をとる場を設けました。このように誰かと一緒に始めて「調子がよくなったな」「眠くなくなったな」と実感してもらうことで、個人レベルでも少しずつ習慣が変わっていく。そうした考え方が大切なのだと思います。
私自身もそうでしたが、若いときはどうしても朝食の優先順位が低くなりがちです。「ぎりぎりまで寝ていたい」という気持ちもよくわかります。そうした理解と共感の上で、今後は「ARUCO」にも朝食に関するテーマを絡めていきたいですね。
貴社では今後、健康経営のさらなる推進に向けてどのような展望をお持ちですか。
まずは「2020年4月、喫煙率0%」の達成に向けて卒煙に注力していきます。それが達成できたら、次は睡眠改善にも力を注いでいきたい。貧血や不定愁訴など、更年期女性従業員に多く見られる悩みにも応えていきたいですね。
また、「ARUCO」をさらに便利に使えるよう、イントラネットだけではなく、スマホアプリで手軽にコインを確認したり、活用したりできる仕組みの導入も検討しているところです。ゆくゆくは電子決済のような使い方ができるようになるかもしれません。
「HRアワード」受賞をきっかけに、他社から「ARUCO」に関するお問い合わせをいただくようにもなりました。他社ともどんどん連携して、「ARUCO」の活用の幅を広げていきたいですね。