不規則な生活のバス乗務員が自発的に生活習慣を変える
最先端のIoT導入と健康経営を生かしたWILLER EXPRESSの行動変革施策
WILLER EXPRESS株式会社 代表取締役
平山幸司さん
従業員の健康管理や健康づくりを「福利厚生の一環」と捉える企業も多いなか、企業経営に直結する重要ミッションと位置づけて取り組んでいる企業があります。高速バス事業を手がける、WILLER EXPRESS株式会社です。生活リズムや睡眠、食事などが不規則になりやすく、一人ひとりが本社から離れて働くバス乗務員の健康を同社はどのように管理し、サポートしているのでしょうか。WILLER EXPRESS株式会社の代表取締役 平山幸司さんにお話をうかがいました。
- 平山幸司さん
- WILLER EXPRESS株式会社 代表取締役
大学卒業後、旅行代理店などを経て、2008年にWILLER株式会社へ入社し、2010年取締役に就任。2016年にWILLER EXPRESS代表取締役に就任すると、快適かつ感動的な移動の提供に取り組み、都市間を結ぶ高速バス「WILLER EXPRESS」や、空港シャトル「成田シャトル」、移動と食をかけ合わせた「レストランバス」など移動に新たな価値を創造。さらに、健康経営とIoTによる運行サポートを強化し安心・安全なサービスをお客様へ提供している。
経験や勘だけに頼らない 業界に先駆けて健康管理に最先端のIoTを導入
健康経営を始めたきっかけについて教えてください。
当社は高速バス事業を手がけています。お客さまを目的地まで「安全に」お届けすることは私たちの事業の根幹であり、社会的使命です。
絶対にあってはならないのは「事故を起こす」こと。どのようなときに重大な事故が起きるのか、専門家を交えてメカニズムを分析した結果、大きく二つの事象に起因することがわかりました。一つ目は、走行中の居眠り。二つ目は、突発的な運転不能を引き起こす脳梗塞や心筋梗塞などの疾患です。
安心・安全な移動サービスを提供する事業者として、乗務員の健康管理や健康促進は避けて通れない使命です。近年、公共交通の安全性が問われる事故がたびたび起きており、健康経営がダイレクトに経営に直結する重大ミッションであることを強く感じています。
2016年に運転者の眠気を検知するウエアラブルセンサー「FEELythm(フィーリズム)」を導入されていますね。事故を防ぐために、いち早くIoTを活用されている点が非常に特徴的だと感じます。
健康管理や健康促進を「事故を起こさない」という結果につなげていくには、一時的な啓蒙(けいもう)や管理で終わらず、「仕組み化」することが大切だと考えています。運輸・運行業界は歴史が長く、経験や勘に頼って運営をしてきた側面があります。ただ、属人的な方法では、やはり事故は防げないでしょう。私たちは、確かなデータに基づいた判断や施策を行うデータ経営を志しています。
「FEELythm」は、走行中の運転手の脈波を計測し、眠気の予兆を検知するウエアラブルセンサーです。眠気の予兆を検知すると振動で本人に知らせ、同時に本社の運行管理者にもリアルタイムで通知します。運行管理者は、走行車両の撮影動画をリアルタイムで視聴できるほか、必要に応じて乗務員に休憩などの指示を行うなど遠隔からの適切な指示が可能です。導入後、前年と比較し、事故による車両損傷額は74%も低下しました。
重大事故につながる走行中の事故を大幅に減少させる効果があったのですね。そのほかにも、IoT導入のメリットを感じることはありますか。
IoTによって得られたデータを業務改善に生かせる点もメリットの一つです。乗務員のデータを収集して分析すると、いろいろな傾向が見えてきます。例えば、人間は夜に眠くなるイメージがありますが、人によっては気温の高い昼間のほうが眠気を感知しやすいこともわかりました。あるトンネルに入ると眠気を感じる乗務員が多い、という発見をしたこともあります。そのようなデータをシフト作成や運行ルート・休憩ポイントの改善などに役立てています。
また、乗務員には、一日の乗務が終わったタイミングで、運行中に検知した眠気のデータを渡しています。「休み明けには眠気が出やすい」「午後2時頃に眠気を感じやすい」など個々人で自分の特徴を把握できれば、改善もしやすいですよね。気になるデータが出ている乗務員には、運行管理者や保健師が声をかけ、面談を行うようにしています。「最近、疲れてる?」「何か心配なことでもあるの?」などと、早めに話を聞くことができれば、解決に向けて動くことができます。感覚ではなく、データという確かな根拠をもとに話ができるため、面談もしやすいと聞いています。
IoTを導入する前は、乗務員が事業所を一旦出ると、帰ってくるまで状況がわかりませんでした。本社から離れ、かつ移動しながら働いている乗務員の状態を「見える化」できるようになったことが一番の変化です。バスは今、どのルートを時速何キロで走行していて、乗務員の健康状態に異変はないかということが、常に把握できるわけですから。急ブレーキを踏んだ、車両がふらついたなどの危険を察知し、車載カメラで車内外の様子を確かめられます。運行サポートの精度も向上していると思います。
生活や仕事とのつながりを知ると、従業員の行動が変わる
IoTを導入する際、従業員の理解を得ることに苦戦する企業もあると聞きます。貴社の場合、ウエアラブルセンサーを装着することや個々人のバイタルデータを収集することへの反発などはなかったのでしょうか。
導入当初はやはり大変でした。「センサーをつけるなんて面倒だ」という意見や、「管理されたくない」という声もありました。乗務員は、運転のプロとしてのプライドがありますから、「監視されなくてもちゃんとやっている」と言うわけです。ただ、事故を起こしたいと思っている乗務員はいません。「監視ではない」「事故を起こさないようにサポートしたい」と何度も繰り返し説明しました。
一方で、「センサーを装着すると耳が痛い」などの声に対しては、開発メーカーに改良を重ねてもらいました。耳たぶを挟む器具のサイズが合わない人向けにアジャスターをつけるなど、問題が発生するたびに一つずつ解決に向けて動きました。
丁寧な説明と製品改良を繰り返し、1年半が経ったころ、装着率は100%に。導入3年目の今は、「FEELythm」をつけることが当たり前の状態です。
乗務員の声に耳を傾けながら、IoTの導入が仕事に役立つことを粘り強く伝えていったことが、着用率100%を成し遂げた秘訣(ひけつ)でしょうか。
IoTの導入が、なぜ経営にとって重要なのか。それがひいては、従業員の生活とどうつながっているのかを、しっかりと理解してもらうことが大切だと考えています。
乗務員と話すと、いろいろな不安を抱えていることがわかります。特によく聞くのは「自分はこのままずっとドライバーの仕事を続けられるだろうか」「いつまで働けるだろうか」という将来への不安。彼らの幸せを考えたときに、「安心して長く仕事を続けられること」はとても重要なんです。誰かが「FEELythm」をつけずに運転して、重大な事故を起こしてしまったら、当然ながら会社は大きなダメージを受けます。つぶれてしまうかもしれません。
一方で、安全安心を追求しているサービスには、お客さまが相応の対価を払ってくれる時代でもあります。IoTの導入や健康経営が事故の軽減やサービス・接遇の向上につながり、その結果、ブランドイメージが高まって業績が向上していく。それが乗務員の給与アップや安心して長く勤められる環境づくりにつながる。この経営サイクルを理解してもらうことがとても大切です。当社では、このサイクルを全営業所に共有しています。私も各経営陣も、事あるごとに話をします。今取り組んでいるのはどういうことなのか。なぜ、やるのか。まずは従業員に理解してもらう。共通認識を持ってもらうことが重要です。
生活習慣を変革 世界一を自負する健康診断
「FEELythm」は走行中の居眠りを未然に防ぐための施策ですが、もう一つの事故原因として挙げられた脳梗塞や心筋梗塞などの疾患についてはどのような対策をされているのでしょうか。
脳梗塞や心筋梗塞といった健康起因による事故をどう防ぐか。これは非常に難しい問題です。まず当社では、年2回の詳細な健康診断に加え、「脳ドック」「心不全診断」「眼底検査」「睡眠時無呼吸症候群」の検査を行っています。メディカルチェックスタジオと協業する脳ドックでは、「ケア」「治療」の前段である「チェック」の領域にフォーカスし、スマートフォンやPCで予約から問診、検査結果の通知・管理まで一貫して行える「スマート脳ドック」をバス事業者のなかで初めて導入しています。
ドライバーには健康診断が義務づけられているとはいえ、ここまでの検査項目を網羅している会社は少ないのではないでしょうか。
そうですね。バス業界だけでなく、航空や、鉄道業界の皆さまからも、他にはないと注目をいただいています。確かな効果も出ているんです。最近、「肺・心血管ドック」といってCTで首から下の肺・心臓部を撮る検査を始めました。血栓の種を見つけるには、これが一番いいとわかったからです。すると、受診者の63%に何らかの問題が見つかったのです。なかには数年後に心筋梗塞を起こす可能性のある人や、ステージ0のがんが見つかった人もいました。何らかの疾患を抱えていることがわかった人は、精密検査をして、投薬治療やカテーテル処置をすることができたのです。
疾患を発見した従業員やご家族は「この会社に勤めていて本当によかった」と喜んでくれますし、生活習慣が明らかに変わります。現時点で何らかの疾患があるわけではない人も、血管が詰まりやすいなどの傾向を知れば、生活を見直してみよう、野菜を食べよう、などと意識が変わります。従業員の意識を変えるうえでも、詳細な健康診断や人間ドックは有効だと感じます。
健康診断に加えて、生活習慣病の予防にも取り組んでいるそうですね。
脳ドックやCT検査では、先天性や慢性的な疾患を発見することはできますが、急性の脳梗塞や心筋梗塞を見つけることは難しいといわれています。では、これらの疾患を予防するためにはどうすればいいのでしょうか。医師や専門家に意見を求め、一概にはいえませんが「生活習慣病を予防することが最善だろう」という見解を得ました。
高速バスの乗務員は、どうしても睡眠や生活リズムが不規則になりがちです。加えて、食事に偏りがあることも気になっていました。夜間の乗務後に早朝から開店している牛丼チェーンやコンビニでさっと食事を済ませたり、決まったものばかりを食べていたり。サービスエリアでカップラーメンを買って、ご飯を入れて残り汁まで完食している人までいました。これでは、お世辞にも健康にいい生活とはいえません。
そこで2016年、乗務員の健康を促進することを目的に乗務員宿舎棟「新木場BASE」を建設。以前、夜間運行を終えて早朝車庫に戻ってきた社員は、片道30分程度かけて借り上げアパートに移動し、仮眠を取っていました。新木場BASEはバスの運行管理をしている本社のすぐ隣にあるので、乗務後すぐに宿舎棟へ行って、身体を休めることが可能になりました。
「新木場BASE」の目玉は、栄養士監修の食事を提供しているカフェテリア「新木場Dining」です。従業員に温かく、健康的で、おいしいものを食べる習慣をつけてもらいたいというのが、新木場BASEをつくった目的でもあります。カレーや丼ものなどの定番メニューに加え、毎食提供されるヘルシーメニューは、500キロカロリー台で、野菜量は約230グラム、脂質約22%、塩分は3%以下。朝、昼、晩、日替わりで提供されます。ヘルシーなだけではなく、食べたときの満足感や見た目のよさにもこだわっています。三食のうちの一食だけでもヘルシーメニューに変えることで、健康づくりを意識するきっかけになればと願っています。この施策には、何より乗務員のご家族が喜んでくださっているようです。「こんなごはんを食べたよ」と乗務員が家族に送った写真を見て、「ちゃんと野菜も食べているのね」と安心されているとか。ご家族が喜んでくださることが本人のモチベーションにもなり、いいスパイラルにつながっていると感じています。
「わかっているけど、できない」を減らす行動変革の施策
「従業員の健康づくりをサポートする新しい施策を企画しても、なかなか社内に浸透しない」という悩みを抱えている企業もあります。貴社の場合は、いかがでしょうか。
「健康にいい生活をしましょう」と呼びかけるだけでは、なかなか人の意識や行動は変えられないと思います。「わかってはいるけれど、目の前においしいものがあったら食べたいし、身体を動かすのはおっくうだ」というのが正直なところではないでしょうか。ですから、生活スタイルを見直し、生活習慣病を予防するという点においても、仕組みをつくることはとても重要です。当社では「意識改革から行動改革へ」をキーワードに、従業員が「健康にいい生活をしよう」と思えるきっかけづくりに力を注いでいます。
最初に行ったのは、座学での教育でした。まずは健康についてみんなで勉強しようと、当社に在籍している保健師を講師に、研修を行ったのです。「糖尿病ってどんな病気?」「タバコは身体にどんな影響を及ぼすの?」などをテーマに話をしてもらい、病気の怖さを伝えました。1年ほどかけて、従業員全員が受講。この研修で危機感を持ってタバコをやめた人やダイエットを始めた人は、全体の1~2割という印象でした。
みんなの行動を後押しするためにはもう一つ別の仕掛けが必要だと考え、次なる施策を企画しました。それが「健康になろう!社内キャンペーン」です。乗務員は年2回健康診断を受け、当社独自の健康ランクに振り分けられます。生活習慣病にかかわる4項目「体重」「血糖値」「血圧」「脂質」が標準値であればAランク、一つ基準値から外れていたらBランク、二つ以上外れていたらCランクです。「Aランクを維持した人」「ランクを一つ以上あげた人」「体重を減らした人」には、1万円を現金でプレゼントするキャンペーンを行っています。該当する社員を営業所で表彰し、その場で1万円を贈呈。現金で受けとれることや報奨金が給与明細には載らないことなどの工夫も奏功し、キャンペーンは大成功しています。キャンペーンに参加するかどうかは希望制にしているのですが、現在はほぼすべての従業員がエントリーしています。
このキャンペーンを始めてから、食生活を見直す人や運動をする人が一気に増えました。仕事が終わるとランニングウェアに着替えてジョギングに出かけたり、近くのスイミングクラブに通ったりしているほどです。一度でも報奨金を受けとったことがある人は従業員の半数以上。多くの社員が健康になっています。何かしらのきっかけを会社側がつくることで従業員の行動を変革することができる、という確かな手応えを感じています。
貴社では2016年から本格的に健康経営に取り組まれてきたわけですが、健康経営を行う前と比較して、組織にどのような変化があったと思われますか。
社員の顔つきが変わりました。以前に増して、いきいきと仕事に取り組んでいると感じます。3年ほどをかけて、IoTの導入や新木場BASEの新設、スマート脳ドック、健康づくりを促進するキャンペーンなど、多面的に従業員の健康管理・健康サポートに取り組んできました。そのことで結果的に、対外的な注目度も上がっています。メディアなどに取りあげていただく機会も増え、認知度や採用力も向上。最近ではバス会社だけではなく航空会社や鉄道会社の方々も視察にいらっしゃいます。最先端といえる健康経営に取り組んでいることが従業員に伝わり、それが会社への信頼や誇りにつながっているのではないでしょうか。これからも健康経営を推進し、会社と社員とお客さまがwin-win-winの関係になれる新しいチャレンジを続けていきたいですね。