健康経営 powered by「日本の人事部」 人生100年時代の働き方を考える

常識にとらわれず、PDCAを回し続ける
生産性向上に直結したフジクラ流・健康経営とは

株式会社フジクラ CHO補佐

浅野 健一郎さん

浅野 健一郎さん(株式会社フジクラ CHO補佐)

生産性向上につながる健康推進施策とはどのようなものなのか。本当に経営上の効果が期待できるのか――。健康経営を推進するうえで、施策の企画と効果検証に悩む担当者は少なくありません。そうした中、徹底したデータ収集と分析による科学的な裏付けのもと、さまざまな取り組みにチャレンジしている企業があります。電気通信関連機器メーカーのフジクラです。同社では健康経営の概念が普及する以前から、元気に働ける環境づくりに着手。社員のバイタルデータや活動量などを測定し、仕事のパフォーマンスに与える影響を考察しながら、健康増進につながる数々のプログラムを実施してきました。健康経営におけるデータ活用と、社員の参加意欲を引き出す秘訣について、キーパーソンの浅野健一郎さんにお話をうかがいました。

プロフィール
浅野 健一郎さん
浅野 健一郎さん
株式会社フジクラ CHO補佐

1989年藤倉電線株式会社(現株式会社フジクラ)に入社。光エレクトロニクス研究所に配属され光通信システムの研究に従事。2011年よりコーポレート企画室、2014年より人事・総務部健康経営推進室。2017年12月よりCHO(Chief Health Officer)補佐。現在、経済産業省 次世代ヘルスケア産業協議会 健康投資WG専門委員、厚生労働省 日本健康会議 健康スコアリングWG委員、厚生労働省 肝炎対策プロジェクト実行委員他、経済産業省、厚生労働省等の委員を多数兼任。

病気にならないこと以上に“元気”であることが大事

健康経営を始めたきっかけを教えてください。

きっかけとなったのは、2008年ごろから社内横断的に行われていた、若手管理職たちによるプロジェクトです。私も、そのプロジェクトの一員でした。フジクラは130年以上の歴史ある会社で、光通信やケーブルシステムなど、国内の通信インフラの普及に伴って発展を遂げてきました。しかし社会が成熟し、国内需要も頭打ちとなる中で、新たな市場開拓が求められるようになりました。第三の創業期ともいえる時期に差しかかっていたのです。

「グローバル化や新規事業を展開するうえで必要なこと」を議論する中で、まず大事なのは社員が元気であることだ、という結論に至りました。いきいきと仕事に打ち込めなければ、新たなチャレンジは生まれません。そのため、会社として社員の元気をサポートしようと考えたのです。こうした考えから、2011年に健康経営を担う専門組織である「ヘルスケア・ソリューショングループ」を立ち上げ、2013年には「フジクラグループ健康経営宣言」を発表しました。

随分早くから、社員の「健康」に着目されていたのですね。

一連のプロジェクトを開始する頃は、まだ「健康経営」という言葉が広くは知られてはいませんでした。しかし、ここで注意してほしいのが、フジクラの取り組みが「社員を元気にする方法を考えよう」という視点から始まっているということ。「健康経営」というと、従業員の疾病の予防や治療を企業がサポートする福利厚生施策のように受け取られがちですが、本来の目的は違うはずです。

私たちは「健康」の定義として、WHOが定めている「肉体的、精神的および社会的に満たされた状態であり、単に疾病または病弱の存在しないことではない」という考え方を基準にしています。この定義から考えると、「病気にならないこと=健康」ではありません。

もちろん、病気をせず、できる限り健康であることが望ましいのは確かです。病気になると不安に駆られて、元気がなくなってしまうこともあるので、企業としてサポートすることも必要でしょう。しかし本当の意味での健康経営とは、いかにして従業員に活き活きと働いてもらうかを考えることだと思います。それを追及することは、企業の業績にも直結します。弊社が従業員の「健康」に向き合いはじめたのは、そうした思いがあったからでした。

実際に、どのような取り組みを行われてきたのでしょうか。

2013年より、個人の健康データをもとに健康活動を効果的に支援する「フジクラグループ健康増進プログラム」を開始しました。取り組みにあたって意識したのは、三つのステップです。

最初のステップは現状把握のための「モニタリング」。データを収集し、いろいろな観点から解析します。まずは従業員が元気に働けていない理由を、データから探ろうと考えたのです。次のステップは「モデリング」です。モニタリングの結果見えてきた課題がどのような経緯で生じているのかを、アカデミックな統計資料なども用いて、仮説を立てていきます。そして最後のステップが「介入」で、具体的な健康増進の施策を考えます。基本はこの三つのステップを繰り返しています。

フジクラでは、社員の同意のもと、健康と関連するさまざまなデータを集めています。健診データをはじめ、活動量計による歩数の情報、また社内に計測器を設置し、体重や体脂肪率などの体組成に心電図、脳波なども測れるようにしています。心電図や脳波は、疲労度やストレス度をつかむのに役立ちます。プログラムの参加者は「健康マイページ」で自分のデータを閲覧することができ、健康状態の推移をチェックすることができます。

こうしたデータをもとに事業所ごとの課題を洗い出し、施策を実施したり、健康意識を高めるコンテンツを提供したりしています。コンテンツは食事や運動、喫煙、飲酒、ストレスケアなど、複数のテーマを同時並行で実施しています。

なぜ、健康促進のためにデータを活用しようと思われたのですか。

浅野 健一郎さん(株式会社フジクラ CHO補佐)

そもそも、健康経営の施策を開始するにあたって、プロジェクトのメンバーの中に人事や総務の担当者がいたわけではありませんでした。プロジェクトを任されたのは、「従業員を元気にすべきだ」と会社に提言した若手管理職たちです。当時、研究開発部門に所属していた私はもちろん、営業や営業技術など、それぞれが別の部門に所属していました。

もしも、人事や産業保健分野の知識があるメンバーがいれば、「従業員に活き活き働いてもらうにはどうすればいいのか」という問いに、ある程度の仮説を立てることができたかもしれません。しかし、そもそもそれが分からない。それなら、データから分析するほかにない、と思ったのです。

このように専門的な知識のない私たちが施策を進めていっていったことは、かえって良かったのではないかと考えています。医学の世界では病気になった人に対する研究が進んでいますが、病気ではない人がどういう日常を過ごすと健康ではなくなるのか、あるいはパフォーマンスが低下するのか、といったことはあまり解明されていません。つまり、常識だと思ってやっていることが、実は健康を妨げている可能性もあるのです。固定概念にとらわれず、データをひも解いていくことで、見えてくるものもあると思います。

デスクに座って黙々と仕事することが、生産性を下げている?

どのようにしてデータを具体的な取り組みへと落とし込まれているのでしょうか。

例えば、継続的に行っている施策として、ウォーキングイベントがあります。これまで集めたデータやアンケートの回答を分析し、外部の統計資料なども検討した結果わかったのが、「活動量の不足が生産性低下を招く要因になっている」ことでした。そこで、社員の活動量を増やすべく、誰もがすぐに始められ、いつでも取り組める運動、すなわち歩くことを推進しようと考えました。

イベントでは楽しんで参加できるよう、イメージマップを作成

▲イベントでは楽しんで参加できるよう、イメージマップを作成

イベントは3ヵ月ごとに実施。一回当たり、3ヵ月の期間で行います。「四国のお遍路巡り」や「奥の細道巡り」など、毎回テーマを変えて、楽しみながら歩数を競えるようにしています。最初は個人エントリーのみでしたが、今では所属セクション対抗戦も設けていて、組織活性化にも一役買っています。

ポイントは、1回のイベントを終えたら3ヵ月空け、再び3ヵ月間のイベントを実施するというサイクルを繰り返すことです。イベント中は意識的に歩くので一時的に平均歩数が増えますが、イベントを終えるとその反動から歩数が落ち込んでしまいます。こうした結果を見て、「イベントのときだけ歩数が増えても意味がない」と、施策自体をやめてしまう企業は少なくありません。

しかし3ヵ月間歩くことで、体力や筋力は確実にアップし、歩くことにも慣れます。そのため、イベントの前よりも歩数は微増しているのです。関心が薄れる前に再びイベントを行うと、徐々に歩くことが当たり前になってきます。こうした取り組みを繰り返すことで、運動を習慣化させることができると分かりました。

どの程度の変化が見られたのですか。

社内では、社員一人の1日当たりの適正歩数を8000~8500歩に設定しています。公衆衛生的に、健康な人が疾病予防に効果のある運動量だといわれているからです。イベントをスタートした当時は日本人の平均歩数を下回る水準でしたが、今では適正歩数にかなり近付いています。

歩数はクリアしつつあるので、次は歩きの「質」を高めるフェーズに入っています。背中を丸め、下を向いて歩くよりも、背筋を伸ばして広い歩幅で歩くほうが活動量も増えますし、気分も高揚します。メンタルが前向きになれば、生産性アップにもつながってくるのです。そこで取り入れたのがノルディックウォーキングのイベントです。

ノルディックウォーキングイベントの様子(協力:株式会社キャラバン)

▲ノルディックウォーキングイベントの様子(協力:株式会社キャラバン)

ノルディックウォーキングは全身に効果があり、体幹を鍛える効果があります。両手にストックを持つだけで全身のおよそ9割の筋肉を使うといわれ、歩いているうちに背筋が自然と伸びてくるんです。このときの状態を体が覚えると、ストックなしでも歩く姿勢が美しくなってきます。さらに体幹が強くなればずっと立っていても苦しくなくなるし、座っていている時も背筋が伸びて疲れにくくなります。

オフィスワークにも、よい影響を与えそうです。

ええ、まさにそこが狙いです。例えば深川事業所では、ほとんどの人がデスクワークです。パソコンを前にずっと同じ席に座り、悪い姿勢で仕事し続けている人も少なくありません。この状態が続くと、背中が凝り固まって血流が悪くなり、肩こりや頭痛、目の疲れを引き起こすだけでなく、集中力は散漫になり、さらには腰痛や冷え性を招きます。本人は一生懸命仕事をしているつもりでも、生産性はどんどん下がってきてしまう。「仕事はつらいもの」と思いながらこなしていては、モチベーションも下がる一方です。

でもノルディックウォーキングで起立筋を鍛え、正しい姿勢や立っている時の心地よさを覚えれば、座り作業での疲れにも早めに気づいて「ちょっと歩いてみよう」「体を伸ばそう」と、自然と体を動かすようになるでしょう。それでは物足りないというのであれば、社内に設置した雲梯(うんてい)で体を伸ばしてもいい。雲梯につかまると、自分の体重で否が応でも体がしっかり伸びて呼吸も深くなるので、リフレッシュできるんですよ。

正しく歩く習慣が、仕事中のパフォーマンスにも影響するのですね。

はい。実はこれが、先ほど申し上げた「常識を覆す」ことにつながります。これまで、仕事は座った状態で行うのが当たり前で、立ったり歩き回ったりするとサボっているように見られがちでした。しかし生産性の低い状態で無理に働き続けるよりも、疲れた時は適度に体を動かしてリフレッシュしたほうが、高いパフォーマンスを発揮できる。それを実証するには、やはりデータで証明していく必要があります。そのためにも、データの収集が大事になってくるんです。

意識させずに健康維持能力を向上させる

取り組みの評価はどのように行っているのですか。

健康経営の取り組みそのものは、5年タームで評価します。中期経営計画と同じタイミングで、取り組みを継続するか否かを経営陣が判断します。いろいろな施策を行っていますが、単年度で判断するといったことはほとんどなく、経年変化を見て評価します。

施策のKPIは、いくつかのステップに分けて設定・評価しています。健康経営の最終目標は組織の生産性の向上ですが、ウォーキングイベントなどの各施策の効果を、いきなり生産性と直接結びつけて測るのは無理がありますよね。そこで、「行動が変容したかどうか」「身体機能や健康状態の変化」「活き活き度」「生産性」の四つを順に評価し、それぞれのプロセスでPDCAを回しています。

(1)行動変容の評価 施策によって従業員の行動は変わったか?
(2)身体機能や健康状態の評価 健診結果や体力テストの数値は変わったか?
(3)活き活き度の評価 従業員はいきいきしているか?
(4)生産性の評価 会社として生産性が上がったか?

▲健康経営を評価する四つのステップ

取り組みにあたって、「元気に働く」という意識を社内にどのように浸透させていますか。

実は社員に対して、「元気に働いてほしい」といったメッセージをあえて伝えていません。会社が「元気で働けよ」と言い始めたら、「大きなお世話だ」と思う人もいるでしょう。例えば特定保健指導で「食べ過ぎてはいけません」「毎日運動してください」などと指導されると、確かに正しいことではあるのですが、負担を感じる人もいます。元気になるためのアドバイスのつもりが、元気を失わせかねない。これでは、私たちの目指す姿と逆行してしまいます。

私たちがやるべきことは社員の健康維持能力の向上であり、自然と健康に近づくシステムを社内に組み込むことです。そのため、禁煙も含めて強制は一切していません。その代わり関心が向いたらすぐ始められるような環境づくりを徹底し、どのコンテンツも手挙げ式にしています。やりたいと思って参加するから、効果も得られやすい。そして効果を実感できると、継続したくなるものです。

手挙げで始めて、社内に広がっていった施策はありますか。

スタンディングデスクの導入支援は、面白い例かもしれません。最初に手を挙げたのは、腰痛持ちの部長でした。座り仕事はどうしても背中が丸くなり、腰に負担が来る。だから立っているほうが辛くない場合が多いのです。すると社内には腰痛持ちの人たち同士のネットワークがあるようで、「これはいい」と評判になり、スタンディングデスクにしたいという部長層たちがどんどん増えたのです。すると一般社員も手を挙げやすくなり、次第に広がっていきました。

今ではスタンディングデスクを全面導入したグループ会社もありますし、メンバー全員が使っている部署もあります。また会議スペースに取り入れた部署や、スタンディングのワークスペースを設けたところもあります。導入は職場単位で話し合って決めてもらい、柔軟に対応しています。徐々に広まりつつあるので、5年後、10年後には全社的にスタンディングデスクに変わるかもしれませんね。

こうした取り組みも、長い目で見ていくことが大切だと考えています。単年度で見ると「何台導入できたか」という評価で終わってしまいます。しかし本当に見るべきは、スタンディングデスク導入による行動変容と、健康度と活き活き度、生産性に対する効果です。長期的に企画して、測定し続けるからこそ意味がある。企画と評価の方針については、この例に限らず経営者とよく話し合い、目線をそろえています。

健康経営の取り組みは社員との信頼性で成り立つ

データをもとにした健康経営を続ける秘訣を教えてください。

分析にあたって、継続して生体データや行動データを計測することは大事ですが、体への影響が大きなやり方は考える必要があります。例えばパッチを体に貼りつける方法は確かに精度の高いデータが得られますが、シールで皮膚がかぶれてしまうこともあります。数日の調査ならいいかもしれせんが、ずっとデータを取り続けるのは現実的ではありません。

また、忘れてはならないのが、どんな小さなことでも100%同意を取った上で、従業員にデータを提供してもらうことです。データ活用はお互いの信頼感で成り立っています。ですからどのような目的でデータを集めるかを明言し、結果をフィードバックしたり環境改善に役立てたりするなど、必ず還元させること。「ちょっとだからいいや」と、必要なプロセスを省いてはいけません。不信感が生まれてしまったら、すべてが一瞬にして崩れてしまう。常に誠実であることを心がけています。

データ収集を始めた当初、実は協力に同意してくれた人は、全体の6割程度でした。しかしプログラムに参加した人たちから「参加してよかった」という声を聞き、その変化を目の当たりにすると、周囲の人たちも次第に参加してくれるようになったのです。今では、データ収集に賛同する社員の割合は、全体の96%に達しています。

取り組みが認知されたということですね。

おかげさまで、社内の健康リテラシーも向上してきています。それに応えるには、勉強が必要です。私も2ヵ月に1度はアメリカに渡り、テックベンチャーの開拓や大学の共同研究や最新知見の意見交換などを行っています。大変ではありますが、私たちのリテラシーを上げていかないと会社全体の健康レベルもストップしてしまいますから。こうした取り組みを継続し、今後も従業員がいきいき働ける環境づくりに取り組みたいと思っています。

浅野 健一郎さん(株式会社フジクラ CHO補佐)

(取材は2019年3月8日 東京都・江東区のフジクラ本社にて)

企画・編集:『日本の人事部』編集部

Webサイト『日本の人事部』の「インタビューコラム」「HRペディア「人事辞典」」「調査レポート」などの記事の企画・編集を手がけるほか、「HRカンファレンス」「HRアカデミー」「HRコンソーシアム」などの講演の企画を担当し、HRのオピニオンリーダーとのネットワークを構築している。


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