健康経営 powered by「日本の人事部」 人生100年時代の働き方を考える

「上司が怖い」「成長が実感できない」「やりたい仕事がわからない」
産業医・大室正志さんに聞く、働く“不安”への処方箋

大室産業医事務所 産業医

大室 正志さん

大室産業医事務所 産業医 大室 正志さん

近年、「安全・安心な職場づくり」への関心が高まっています。産業医の大室正志さんは、こうした言葉が注目される背景には、多くの人が「不安」を抱えながら働いている実状がある、と語ります。「自分のスキルは他社でも通用するのか」「自分の本当にやりたいことは何なのか」「上司に怒られるのは、自分の能力が低いせいでは」……。さまざまな不安を抱える従業員に、企業はどのように向き合うべきなのか。大手から外資系、ベンチャーまで、さまざまな企業の健康管理を担う大室さんに、日本企業における課題と、施策導入のポイントをうかがいました。

プロフィール
大室 正志さん
大室 正志さん
大室産業医事務所 産業医 

医療法人社団同友会 産業保健部門顧問。産業医科大学医学部医学科を卒業したのち、ジョンソン・エンド・ジョンソン株式会社で統括産業医を務める。現在は日系大手企業や外資系企業、ベンチャー企業など、約30社の産業医業務に従事。悩みを抱える多くの従業員をサポートし、健康管理を担っている。

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自分は他社でもやっていけるのか? 若手社員が感じている「不安」

数々の企業で産業医をされている大室さんは、近年なぜ、職場の安全・安心が注目されているのだと思われますか。

まず、「安全」と「安心」の二つの言葉は区別して考える必要があります。安全はある程度客観的に示すことができますが、安心は気持ちの程度であり、個人差が大きい。ということは「安心な職場」は人によって違うし、追求しようとするときりがないわけです。

そのうえで「安心」が注目されている理由を考えるのであれば、多くの企業が安心な環境を実現できていないという実状に目を向けなければなりません。すべての企業が実現できていれば、安心が注目されることはありませんからね。

では、なぜ企業には「不安」がまん延しているのでしょうか。その根底には、長らく日本の雇用慣行だった終身雇用や年功序列が揺らいできていることがあると思います。高度経済成長の時代は、一度企業に就職すればよほどのことがない限り、老後まで安定が保障されました。だから多少の不満では会社を辞めないし、各地への転勤も受け入れる。そんなふうに、会社に人生を捧げる働き方をする人がほとんどでした。

ところがバブル崩壊以降、会社は従業員の人生を背負いきれなくなってきています。それは企業の規模に関係ありません。大企業に就職しても、安泰とは限らない。だからこそ、若い世代を中心に、「不安」を感じる人たちが増えてきたのです。

大室産業医事務所 産業医 大室 正志さん

この「不安」は、「自分は他社でも通用するのだろうか」という思いにつながっています。いくら待遇や制度が充実していたとしても、ぬるま湯のような環境で気づかぬうちにゆでガエルとなり、いざというときに他社では通用しなくなってしまっては、意味がない。このように考えて、外資系のコンサルティングファームへの入社を希望する学生も増えています。こうした企業は「結果が全て」で、生き残るのが厳しい環境ですが、それでも人気があるのは、三年間勤めれば転職先に困らないくらいのスキルと経験を身につけることができるからです。エントリーする人たちにとっては、「転職に有利なこと」が働くうえでの安心なのです。

とはいえ、すべての人がそこまで割り切れるわけではありません。環境や待遇の安定によって、働くモチベーションを感じる人が多いことも確かです。企業のビジネスモデルや培ってきたカルチャーなどによっても、従業員が何に安心を感じるのかが、少しずつ異なります。ですから、企業には「自社にとっての安心とは何か」をきちんと定義することが求められるでしょう。そのうえで、自社の安心に共感できる人材を採用する。理念と施策と採用を一気通貫させることが、従業員の安心につながってくるのではないでしょうか。

近年では、「心理的安全性」といった言葉もよく聞かれるようになりました。

心理的安全性とは、周りの評価や反応を気にすることなく、自然に振る舞える状態のことです。Googleが「心理的安全性こそ、チームの生産性を上げるもっとも重要な要素だ」とするレポートを発表したのをきっかけに、一気に注目度が高まりました。

しかし、「それならうちの会社でもやってみよう」という前に、立ち止まって考えてみる必要があります。というのも、Googleでは生産性が上がったからといって、まったく同じことが別の会社にも当てはまるとは限らないからです。Googleは実行力と課題解決力に優れた、世界でも優秀な人材が集まる組織です。また、外資のようにボスの意見が絶対で、解雇される可能性もある環境下においては、心理的安全性が能力開花のうえで重要だったとも考えられます。

そうなると、元々解雇規制が強い日本の職場で心理的安全性“だけ”を確保しても、生産性が上がらない可能性もあり得るわけです。もちろん、パワハラがよくないことは大前提。でも、ある程度厳しく上司が部下を管理するやり方のほうが、うまくいく組織もあるかもしれません。流行におどらされず、自社には何が必要かを見極めなければならないのです。

緊張の強すぎる環境では、ヒューマンエラーが起こる

安全・安心の捉え方は、世代によっても違いがありそうですね。

もちろん、時代の取り巻く環境が変われば、感じ方も変わってきています。インターネットが発達していなかったころ、他社の働き方や仕事の内容などを知る機会は多くありませんでした。そのため、入社した会社に独特なルールがあっても、疑問を持たずに従うことができたんです。しかし、現代ではネット上で他社の情報が簡単に手に入り、SNSで他社に入社した友人の様子なども見える。自分の会社と他社を比較して、「このままこの会社にいていいのか」と不安に感じても、不思議ではありません。

さらに、今の若い世代は昔に比べて、人間関係がフラットになってきています。友達のような親子も珍しくありませんし、学生の部活やサークルでも学年の違いで扱いが変わることは少なくなりました。しかし会社という場は、上下関係が比較的はっきり残っています。上下関係においては、下の立場のほうがストレスや疲れを感じます。裁量権を奪われ、相手に合わせなければいけないからです。今の若い人はそうした経験が少ないですから、上司や先輩が思う以上にストレスに感じている可能性があります。「何でこんなオジサンに、気を遣わなければならないんだろう」と思っているかもしれません。

厳しい上司や先輩に、委縮する若手も出てきそうです。

大室産業医事務所 産業医 大室 正志さん

ひと昔前、板前修業で弟子が親方にゲンコツを食らうなんて話はいくらでもありました。ただ当時、多くの人はそれでもやっていけたんです(無論、今ならアウトです)。なぜなら、弟子もそのことを承知で門をくぐったわけですから。つまり、期待値のギャップが少ない状態といえます。でも今は違うでしょうね。

多くの企業が会社説明会などで、「うちはフラットな社風です」とアピールしていますが、それを聞いて入社した新入社員が、「思っていたのと違う」と驚くことがあります。企業は自社の従来比で見て、現状を「フラット」と表現するのですが、若い子にとっては上下関係でガチガチに感じるんです。上の世代から見ると「昔より優しくされてるはずなのに、何が不満なのか?」と思うかもしれません。しかし、人は過去と比べるのではなく、自分の期待値と比べるのです。そのギャップが強すぎるとメンタルの調子を崩してしまうことも考えられます。

また上司が怖すぎて報告や相談ができない状況は、トラブルの原因にもなります。適度なプレッシャーは生産性を高める効果がありますが、緊張が大きくなりすぎるのは考えものです。医療の現場でも、医師が急いで書いたカルテの字が分からないのに質問すると怒られそうだからと研修医や看護師が適当に判断した結果、処方を間違えた事例があります。ヒューマンエラーは緊張感がなくなり過ぎても、あり過ぎても起こりやすいんです。

そうはいっても、これまで厳しい指導を行ってきた上司がマネジメントを変えるのは、なかなか難しいのではないでしょうか。

いきなり「キャラクターを変えろ」と言っても、無理でしょうね。一つの方法として、変わらざるをえない環境に置いてみるのは有効だと思います。

私の知り合いに、新聞社出身のWebメディアの編集長がいます。先日その人に会った時に、「今の職場に移ってからというもの、夜の10時にメールを送っても部下が即レスしてくれない」と嘆いていました。それどころか、「夜中に連絡してくるなんて非常識だ」と言われたそうです(笑)。新聞社では当たり前だったことが通用しないわけで、そうなると態度を改めるしかないですよね。

「やりたい事」が分からず、選択できない日本人

終身雇用があたりまえではなくなる中で、会社に決められたレールを歩くのではなく、自分自身でキャリアを選択することが求められるようになっています。

そうですね。しかし、主体的に自分のやりたいことを選択するのは、実はとても大変です。起業家やアスリートのように、目指すものや好きなことがはっきりしていて、「何が何でもこれをやる」というような覚悟を決められるならいい。でも大抵の場合、そうではありません。「やりたいことは特にないけれど、何となく不安だし、働かないわけにはいかないから今の仕事に就いている」という人がほとんどではないでしょうか。

この「不安」は、社会人になってからのものではありません。私たちは小さな頃から、高卒よりも大卒、それもできるだけいい大学に入ったほうがいいと教えられ、育ってきました。「なぜ?」と子どもが聞けば、大人は「選択肢が広がるから」と答えます。でも、「自分が何者なのか」とか「何をしたいのか」を考え、 選択する方法については、ほとんど教育を受けません。

だから、大人になって、周りから見ればエリートそのもののような経歴を持っていたとしても、なんとなく不安を感じている人が多いのです。ベンチャーに飛び込むほどの勇気は持てなくて、安定した大企業や公務員を選んでも、やっぱり不安は解消されない。「自分は何をやりたかったんだろう」と焦り出し、30歳くらいでビジネススクールに通い出す、なんていう人も少なくありません。

何かを決めるということは意外と難しく、小さな頃からトレーニングを積み重ねていないと、なかなかできないものです。特に日本人は、選ぶこと自体に気恥ずかしさを感じるところもある。「選択すること」自体がストレスでもあるんです。だから、会社に言われた仕事をする。そうすれば思考を深めることから免れるし、とりあえず働けているのですから。

考えずに済むことは、確かに楽ではあります。

大室産業医事務所 産業医 大室 正志さん

ただ組織の状態としては、健全ではないですよね。何となく会社にいて、何となく仕事もこなして、というのでは、新しいビジネスも生まれないでしょう。外資系企業では、「あなたはなぜこの仕事を選んだのか」とか「何になりたいのか」といったことが必ず議論になります。本来の理想的な組織の姿は、「いつ辞めても食っていける」というような能力のある人材が、自らその職場を選び、そこで働くことを望んで仕事に邁進するかたちです。それは、エンゲージメントの高い状態ともいえます。

これまでの日本の大手企業では、従業員はいろいろなものから守られすぎて、逆に身動きがとれなくなっていたのだと思います。しかし現代は、一つの組織にすべてを捧げることが、会社にとっても働く人たちにとっても危うい時代です。副業解禁なども話題になっていますが、こうした制度を活用して、自分のやりたいことを考える機会をつくることが必要なのではないでしょうか。

「ホワイト企業」になったら、達成意欲の低い人が集まった

「安全・安心な職場」づくりに向けては、メンタルヘルス不調などに対するセーフティーネットの整備も求められると思います。何に気をつけるとよいのでしょう。

予防医学には、一次予防から三次予防までの三つの観点があります。一次予防とは、病気になることを防ぐこと。みなさんがイメージする予防医学です。二次予防とは、不調の早期発見です。がんも定期的な検診で早めに発見できれば、完治が見込めます。そして三次予防は、すでに病気にかかっている人を、それ以上悪化させないためのケアです。

一言にセーフティーネットといっても、企業としてどのフェーズを重視させるかは会社によって違ってきます。昔聞いた話ですが、ある成長企業の健康保険組合では、メンタルヘルス不調の対策として、当初、一次予防に力を入れていたそうです。しかし、多少労働時間が長くなっても全力で仕事をしたいと考える社員が多く、毎日お祭りのようなワイワイした社風が成長の原動力になっていたその企業では、一次予防に力を入れすぎると、かえって強みが失われてしまう可能性がありました。

そこで、同社では早々に二次予防への注力へとスイッチしました。不調者の早期発見や、休職してしまった場合のフォロー、スムーズな復帰のサポートなどを行うことで、症状の悪化や、不調による退職を防ぐことができたそうです。法令遵守は大前提となりますが、自社にとってどのような対策が一番いいのかを、改めて考えてみるといいでしょう。

「安全」の定義と同様、自社に合った施策を考えることが大事なんですね。

そうですね。加えて、メッセージの出し方にも注意が必要です。あるベンチャー企業の例ですが、従業員の健康を考えて夜8時にオフィスを消灯することを決めました。会社に泊まり込んででも、仕事を成し遂げようとするような人が多かったからです。ところが会社が成長し、ある程度の規模になると、「過剰な残業をさせない、従業員に優しい会社」を求める、達成意欲のあまり高くない人たちが集まってくるようになったといいます。伝え方を間違えると意味をはき違えられて、意図しない結果を招いてしまうのです。

二次予防の早期発見では、上司や管理者側が早めに気づくことも必要ですが、本人がSOSを発信することも重要だといえます。

製造業と比べて、三次産業は適正なリソース配分が難しい側面があります。仕事にかかる工数や時間も見えづらいし、お客さまとのやり取りの際には、5秒で終わる相手もいれば、数十通にもわたるメールでやっと理解してもらえるケースもあります。ただ、そのあたりを上司が把握しきることは、おそらく無理でしょう。本人が何かしら発信しない限り、分からないものです。

とはいえ無理が生じていることを、自身で判断するのは難しいのも確かです。「自分の能力が低いのではないか」とか「やり方に問題にあるのではないか」と、ひとりで抱えこんでしまう。特に男性は、自分の弱さを口にしたり人のせいにしたりすることができない人が多いように思います。

例えば、上司との相性が悪くて体調を崩していると分かる場合でも、産業医面談の場では「上司が原因だ」とは言わない人も多いんです。「今日は頭痛で会社に行けませんでした」「今日はお腹が痛くて」と、体の不調を言い訳にして、無意識的に自分を押し殺している。逆に、「あー、あいつムカつく!」とどこかで吐き出せる人なら、そうはなりにくいのですが。

ですから本音で話せる場を設けることは、ひとつの方法だと思います。あと、同じ職種同士での横のつながりも効果的ではないでしょうか。人事の方であれば、例えば会社の垣根を越えた、人事部のネットワーキングなどですね。近い境遇にいるだけに、苦労を理解し合えるんです。

はやりで取り入れた制度は、やがて「二千円札化」する

安心して働ける環境づくりに向けて、企業には何ができるでしょうか。

制度や施策は、始めること以上に運用し続けることが重要です。私はよく、「はやりで取り入れた制度は、やがて二千円札になる」と話しています。二千円札が発行されて二十年近く経ちますが、ほとんど流通していませんよね。企業にも、「あの制度はなくなったんですか」と聞かれて、「あるんだけど、動いていない」というような施策がよくある。形骸化してしまっているんです。

相手は人間ですから、やはり施策に対する熱量や想いというのを感じ取ります。例えば私がかつて在籍していた外資系企業では、二年に一度、クレドサーベイを全世界で実施していました。その結果を受け、役員たちが次年度以降の計画を本気で考えるんです。そして「サーベイの結果がこうだったから、来年はこうします」と従業員に公表します。役員たちがサーベイにコミットしていることが伝わって来るし、クレドが組織の根幹を支えていると誰もが理解できました。

ストレスチェックは、活用に積極的な企業とそうでないところで二極化しています。国が実施を義務化したからやっているだけ、という会社も少なくありません。しかしストレスチェック後の面談では、対象者が同じ部署やチームに集中しているケースをよく見かけます。その場合、個人の問題というよりも、働き方やリソース配分など組織の問題に目を向ける必要が出てきます。本来ならセルフチェックの域を越え、職場の環境改善につなげていくような仕掛けを設計することが望ましい。そこは企業としての姿勢が問われる部分だと思います。

「働き方改革」が話題となってから、人事分野の注目度は一気に高まりを見せています。しかしながら、心理的安全性にしろ副業解禁にしろ、マジックワードとなっている部分もあります。ですから世の中の流れをつかんだうえで、トレンドと自社のフィロソフィーを照らし合わせる作業を丁寧に進めてほしい。導入する・しないの理由を第三者にも説明できるくらい、議論と検討を重ることです。

大室産業医事務所 産業医 大室 正志さん

(取材は2018年12月18日 東京都・港区 大室氏が顧問を務める株式会社 メディカル・サーバント 本社にて)

企画・編集:『日本の人事部』編集部

Webサイト『日本の人事部』の「インタビューコラム」「人事辞典「HRペディア」」「調査レポート」などの記事の企画・編集を手がけるほか、「HRカンファレンス」「HRアカデミー」「HRコンソーシアム」などの講演の企画を担当し、HRのオピニオンリーダーとのネットワークを構築している。


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