健康経営はまず「できること」から
カジュアルな取り組みで健康意識を高める東急電鉄の変化
東京急行電鉄株式会社 人材戦略室 労務厚生部 統括部長 下田雄一郎さん
東京急行電鉄株式会社 人材戦略室 労務厚生部 労務課 主事 小松原岳さん
鉄道をはじめ、商業施設の運営や街づくりなど、都市の産業や生活を支える事業を広く展開する、東急電鉄。その社内では、さまざまな職種、多様な人材が働いています。「健康づくりに関心が低い人にも興味を持ってもらえるよう、肩肘を張らずにカジュアルに参加できる取り組みを進めている」という同社。スニーカーでも通勤できる「Walk Biz」(ウォークビズ)や「職場対抗ウォーキング大会」などを実施し、関連会社や沿線地域にも健康メッセージを発信しています。これらの施策を推進する下田雄一郎さんと小松原岳さんに、東急電鉄が目指す健康経営のあり方をうかがいました。
- 下田 雄一郎さん
- 東京急行電鉄株式会社 人材戦略室 労務厚生部 統括部長
1993年、東急電鉄入社。労働組合専従、人事・労務の各課長職を経て、2017年7月より現職。企業立病院である東急病院と連携して「健康経営」に取り組む。
- 小松原 岳さん
- 東京急行電鉄株式会社 人材戦略室 労務厚生部 労務課 主事
2009年、東急電鉄入社。東急スポーツシステム出向、東急電鉄・生活サービス事業部を経て、2015年12月より現職。労務担当として、主に本社勤務員の働き方の検討と並行して「健康経営」に取り組む。
※部署名・役職名は取材日(2018年9月26日)時点
安全・安心を担う従業員とその家族の「健康」こそ、最重要事項
東急電鉄では、「健康」をどのように位置づけているのでしょうか。
下田:当社の健康推進の歴史は、創業者・五島慶太の「熱誠メッセージ」にさかのぼります。「人の成功と失敗のわかれ目は第一に健康である。次には、熱と誠である。体力があって、熱と誠があるならば、必ず成功する」というものです。これを経営の根幹において、脈々と受け継いできました。
何よりも安全と安心が求められる鉄道事業だからこそ、従業員の健康が重要です。例えば「睡眠時無呼吸症候群」の改善など、疾患につながる可能性をできる限り低下させられるよう、努めてきました。また、従業員が健康的に働き続けるためには、その家族が健康であることも重要でしょう。家族の介護や看護が長く続けば、社員自身の心身の負担にもつながります。介護や看護に向き合う可能性は誰にでもあり、避けられないものでもありますが、その期間をなるべく短く、あるいは程度を小さくしていくことが大切だと考えています。
下田:創業30年目に設立された「東急病院」を中心に従業員の健康管理を徹底してきたのも、そうした考えに基づいています。現在、東急病院は地域医療に貢献する機関として尽力していますが、もともとは従業員とその家族の健康のために作られたものです。病院では社員本人だけでなく、家族の介護・看護のフォローも行うことができる。健診から治療まで行える医療機関があるということは、現在の健康経営施策においても大きなプラスとなっています。
2016年には「健康宣言」を制定し、大々的に発信されています。
下田:背景には、2015年からの中期3ヵ年経営計画で重点施策として示された「ライフスタイル&ワークスタイル・イノベーションの推進」があります。「働きがいがある会社と働きやすい環境」「生産性向上とイノベーション向上」という大きなテーマのもと、健康経営を定着させ、誰もが健康に就業できる会社にすることを明示しました。
こうした流れの中で、2015年から2016年にかけて、「職場対抗ダイエットプログラム」を実施したんです。これはBMI値がワースト1位・2位の職場を対象に180日間のダイエットプログラムを実施するというものでした。こうして健康機運を盛り上げ、2016年にはCHO(最高健康責任者)を設置し、同時に健康宣言を掲げました。
下田:健康宣言では、冒頭でお伝えした熱誠メッセージをもとに、安全・安心を担う従業員とその家族の健康は最優先で取り組む重要事項であると位置づけました。また、当社の従業員だけでなく、東急線沿線にお住まいの方々が健康に暮らせる環境づくりを進め、健康増進に資することで社会へ貢献していくことを誓っています。
キーワードは「わかめ」。
若手のうちから健康を意識してもらうための工夫とは
貴社では「Walk Biz」や「ウォーキング選手権」など、「歩く」という身近な運動を推奨しています。その背景を教えてください。
180日間のダイエットプログラムでは一定の成果は出たものの、率直にいうと期間中は対象者の「中だるみ」を感じることもありました。健康はずっと追いかけていくべきものだし、一部の従業員だけでなく、誰でも継続的に実践できるようにしていく必要もありました。そうした背景から、2016年度以降は全社的にウォーキングを推進しています。
従業員にウォーキングを呼びかけるために、どのような工夫をされていますか。
「Walk Biz」は、歩きやすいスニーカーや機能的な革靴を履いて通勤・勤務してもらうという取り組みです。今では、年代にかかわらずカジュアルな靴で働く従業員が社内にたくさん見られるようになりました。また、年3回「職場対抗ウォーキング選手権」を開催し、CHOから表彰しています。職場一丸となって健康増進の文化を醸成することが目的です。さらに年1回、労使共同で開催するウォーキング大会も実施しています。こちらは、家族も一緒に参加できるんです。
下田:こうした取り組みは、健康への意識があまり高くない「低関心層」を動かすことにもつながっていますね。
「低関心層」とはどういう人たちですか。
下田:病気のリスクを身近に感じにくい若手は、低関心層の一つのボリュームゾーンといえるでしょう。国の施策ではメタボ対策や生活習慣病対策を40歳から取り組むような形で位置づけていますが、実際には40代からのダイエットや体質改善は、なかなか難しいものがありますよね。そこで私たちは「わかめ(若いメタボ)」をキーワードにして、30代のうちから健康意識を高めなければいけないと考えています。
早い段階で運動習慣を身につけたり、食事を見直したりすることが大切だということですね。30代までの「わかめ」対策として、どのようなことを行っているのでしょうか。
例えば駅の設備保守などを行う人の場合、どうしても電車が止まっている夜中に作業をする必要があるため、生活が不規則になりがちです。そこで、保険師や管理栄養士といった専門家が職場や職種ごとに不健康につながる要素を洗い出し、個別にアドバイスしています。
下田:乗務員や駅係員などは制服を着ていることもあって、なかなか外へ食事に行きづらいという事情があります。そこで弊社には以前から、若手社員が「まかない飯」をつくって、駅舎の先輩たちと一緒に食べるという文化があります。この「まかない飯」でも、特にBMI値に課題のあった駅を対象に、管理栄養士が監修した独自のメニューを作るという取り組みも行っています。
「まかない飯」は、健康面だけでなく、職場のコミュニケーションにもつながっています。中にはほとんど包丁を持ったことがないような新人もいるので、親くらいの年齢の上司が一から料理を教えていきます。一緒に料理をする中で、交流が生まれ、新人も打ち解けることができます。
これは良い伝統ですね。健康に役立つ料理の仕方を学ぶことは、普段の暮らしの中でも生かせるのではないでしょうか。
下田:おっしゃる通り、仕事を離れても役に立つスキルを学べていると思います。職場からは「ヘルシー食についてもっと深く学びたい」という声も上がり、それに応える形で管理栄養士による「ヘルシー食講座」を開催しています。これは今後もぜひ続けていきたい取り組みの一つですね。
「現場に入っていく産業医や保険師」を中心に健康状態をチェック
日々、不特定多数の人が行き交う駅での業務をはじめ、交通インフラを支える事業だからこその「気苦労」も多いのではないでしょうか?
下田:そうですね。最前線で働く乗務員や駅係員を中心に、東急病院に所属する産業心理学の専門家や保険師がメンタルヘルスケアを行っています。「現場に入っていく産業医や保険師」がいることは、東急電鉄の特徴かもしれません。産業医は東急線の駅すべてを、年2回訪れてチェックしているんです。また、駅長の下でマネジメントを担う助役は、従業員に何か変化があればすぐ産業医に相談できる体制にしています。
メンタルヘルス対策という意味では、独自のストレスチェックシートによる実態把握も年1回実施しています。さらに、入社後3ヵ月の新入社員や、新たな部署に配属されて3ヵ月が経過した従業員にも個別のメンタルヘルスチェックを行っています。「3ヵ月後」が最も悩みが深くなる時期だといわれているので、このタイミングでのフォローを重要視しているんです。
定期的な健康状態のチェックを重視されているのですね。
下田:今年度の健康診断からは「TOQ健康スコア」という指標も導入しました。これは、自身の健康状態を可視化し、スコア化することでわかりやすく理解できるようにするための仕組みです。健康診断の結果を見るとき、従業員はどうしても「肝臓には問題なかった」「血圧は正常だ」と、項目ごとに見て満足してしまいます。そうではなく、トータルで自分の健康がどういう状態にあって、何が課題なのかをわかるようにしたいと考えているのです。スコアは、前回との比較や、社内の年代別平均値との比較などもできるようにしています。
さまざまな健康施策を進めてきて、現時点での手応えはどのように感じていらっしゃいますか。
健康施策による成果は、まだ取りきれていないデータも多く、目に見えるかたちにまとめられていないのが実情です。しかし、反響の広がりは確かに感じています。例えば、職場対抗ウォーキング大会には毎年650名程度が参加してくれるのが恒例となりました。昨年は約750名の参加応募があり、健康増進に向けた意識変容が起こりつつあるようです。
数字ばかりにとらわれず、定性面での影響をとらえながら続けていく
現在、健康対策において課題に感じていることは何ですか。
下田:特に強化したいのは喫煙対策です。まずは本社の喫煙所を撤去しました。現場で働く従業員からの反発も予想されるので、本社から取り組みを始めたんです。さらに、「健康禁煙」をキーワードに、受動喫煙防止も兼ねて、小さな駅は事務所内完全禁煙としました。
「意識を変えて行動につなげる」ということに、粘り強く取り組んでいく必要があると思っています。本来健康とは、会社が強制力を働かせて推進するものではありません。あくまでも目指す姿は「自走」なのですが、そうした状態にもっていけていない場合も多いことが課題です。まずは、意識変容と行動変容につながる仕掛けを作っていくことが重要だと考えています。
一方で、健康増進に向けた取り組みは東急グループ全体にも広がりつつあるとうかがいました。
連結子会社を対象に健康経営の取り組みを募集し、表彰する「健康経営推進賞」が起爆剤となっています。グループ全体で健康経営の機運を醸成し、取り組みを横展開して、各社にも取り入れてもらいたいという思いから実施しました。受賞した取り組みの事例集も各社に共有しています。弊社はグループ内でさまざまな事業を展開しており、会社によって事業も働き方も全く違うため、全社で同じ取り組みをするのは難しい。「何から始めていいのかわからない」という声も多く聞かれていました。同規模の関連会社の事例を知ることで、その悩みを解決する第一歩になると考えています。
下田:その上で、やはり私たちは「街づくりの会社」なので、沿線の方々に向けても健康を啓発するメッセージを発信していきたいですね。
企業という単位を超え、地域全体で健康増進を図っていくと。
下田:はい。成熟した街をさらに活性化させていくには、そこに住まう方々が健康であることが欠かせません。例えば東急病院がある大岡山駅周辺では「健康ステーション大岡山」と題して、商店街のみなさんや近隣の東京工業大学の学生さんと連携した活動を行っています。地域で健康にまつわる標語を募集した際には、予想を大きく上回り、700以上の応募がありました。その他にも、東京工業大学の学園祭で健診・体力測定コーナーを設けたり、東急ストアの店内に「健康食材コーナー」を作ったりと、さまざまな取り組みを進めているところです。
ありがとうございます。最後に、健康経営に取り組む経営者や人事担当者へ、応援のメッセージをいただけますか。
健康経営を実施して、どんな成果が出たか。それを数字で証明することは難しいかもしれません。でも単純に考えて、「スニーカーに履き替えて歩数が減る」ことはないはずですよね。カジュアルな雰囲気で、肩肘張らずに仕事ができるという効果も感じています。あまり数字ばかりにとらわれず、こうした定性面でのプラスの影響も考えながら続けていくことが大切なのではないでしょうか。
下田:そうですね。健康経営に取り組んできてつくづく感じるのは「できることから進める大切さ」です。物事をいきなり大きく変えようとすると反発が起こりますが、目の前のすぐにできることから手を付けていけば、意識や行動は確実に変わっていくのではないかと思います。弊社もまだまだ道半ばなので、他社から多くの学びを得て、もう一歩先へ進めていきたいですね。