ほんの少しの工夫で行動が変わる
イトーキのオフィスにあふれる健康づくりの仕掛け
株式会社イトーキ Ud&Ecoソリューション開発部 健康ソリューションチーム チームリーダー 髙原良さん
株式会社イトーキ 人事部 人事課 人事管理チーム チームリーダー 植田真理さん
必要だと分かっていても、食生活の見直しや運動習慣といった「健康のためにやるべきこと」をつい後回しにしがちな方は多いのではないでしょうか。健康経営を推進していく企業にとっても、その意識をどう変えるかが、成功の大きな鍵といえます。快適なオフィス空間づくりをサポートする株式会社イトーキでは、身近なオフィス内で「仕事にも健康にも良い行動」をする「Workcise」(ワークサイズ)の考え方に基づき、従業員が健康づくりに取り組みたくなるさまざまな仕掛けづくりを行っています。どのように工夫し、どんな効果があったのか、同社の髙原良さんと植田真理さんにうかがいました。
- 高原 良(たかはら りょう)さん
- 株式会社イトーキ Ud&Ecoソリューション開発部 健康ソリューションチーム チームリーダー
2010年入社。オフィスワーカーの働き方と健康問題に関する研究業務や働き方改革、オフィスづくりのコンサルティング業務などに従事。また省庁や自治体と連携したセミナーや講演会などを通じて、健康的なオフィス環境の普及啓発にも努めている。
- 植田 真理(うえだ まり)さん
- 株式会社イトーキ 人事部 人事課 人事管理チーム チームリーダー
1998年入社、新入社員として人事部に配属。給与・賞与、社会保険、労務ならびに健康診断といった福利厚生の基幹業務を担当し、2014年に社内での視野を広げたいとの思いが叶い、営業部門へ異動。中央区の民間ユーザを担当し、2017年に再び人事への辞令を受ける。現在は本社スタッフ部門と営業の両経験を活かし、労務管理と合わせて、健康経営推進委員会の事務局を務めている。
「長時間座っていられる椅子」が、日本人の寿命を短くしている?
疑問から始まった「Workcise」
まずは貴社が提唱されている「Workcise」について教えてください。
髙原:Workciseは、「Work」と「Exercise」をあわせた造語です。スポーツジムなどの特別な場所ではなく、一日の大半を過ごすオフィスの中でも、ちょっとした工夫をするだけで健康活動につなげることができます。私たちはオフィスで働く人の健康問題を大きく四つ、「メタボ系」「ロコモ系」「ニューロ系」「パンデ系」に区分し、それぞれを改善できるよう、オフィスの仕組みをつくっています。
四つの区分について、詳しく教えていただけますか。
髙原:「メタボ系」は消化器や循環器、血液状態など内臓に関わる問題、「ロコモ系」は筋肉や関節などの運動器、眼や耳鼻といった感覚器に関する問題、「ニューロ系」は脳・神経の病気や神経症など心に関わる問題、そして「パンデ系」はインフルエンザや食中毒など、感染によって起こる問題です。
植田:例えばメタボ系であれば、積極的に歩いたり立って仕事をしたりすることが改善につながります。座り方を工夫したりストレッチをしたりすることでロコモ系の改善に、リラックスしてコミュニケーションすることでニューロ系の改善につながるといった具合に、「オフィス内でどんな行動をすれば健康にいいのか」を考えています。
「オフィス内での行動を変える」という発想に至った経緯をお聞かせください。
髙原:私たちが、働き方に関する課題にオフィスづくりという面から取り組みはじめたのは、2012年からです。こちらのオフィス(イトーキ東京イノベーションセンターSYNQA、以下SYNQA)を、実験拠点として作ったころにまでさかのぼります。健康という要素をオフィスに盛り込むきっかけとなったのが、2010年に『ニューヨーク・タイムズ』に掲載された一つの記事でした。その書き出しには“Your chair is your enemy”、つまりあなたの椅子が健康上の敵だ、と。その記事では海外の大規模疫学調査の結果から、「長時間座っている人は寿命が短い」ことが指摘されていました。私たちにとって、大きな衝撃でした。
植田:もともとイトーキはずっと座っていても苦痛を感じないような、「長時間座っていられる椅子」を作ってきた会社です。しかしこの記事を見て、多くの従業員が「長く座れる椅子を作ることで、もしかしたら日本人の寿命を短くしているのではないか?」と感じたようでした。そこから、オフィスは働く人の生活習慣やメンタルなど、健康面に与える影響も考慮すべきではないか、と考えるようになったんです。
オフィス家具のメーカーだからこそ、オフィスでの健康な過ごし方に向き合っていかなければならないと考えたのですね。具体的には、どのような取り組みからスタートしたのでしょうか。
髙原:まずは社内の、あらゆる職種の人を集めてワークショップを行いました。個々の健康に関する課題を吐き出して、その解決策を議論する場です。二日間行い、一日目に腰痛や肩こり、肥満、やせ過ぎ、メンタル不調など約300の課題を洗い出し、二日目には課題に対する100の解決策を話し合いました。それをもとに、ちょうど準備を進めていたSYNQAの施設を使ってできることを考えたんです。
植田:私もこのワークショップに参加し、改めて健康を考える良い機会となりました。この時のワークショップやWorkciseがきっかけとなり、2017年2月には新たな健康経営宣言が制定されたり、また社長を委員長とした「健康経営推進委員会」も立ち上がりました。現在は、会社・健康保険組合・労働組合が一体となって本格的な健康経営に取り組んでいます。
そうした社内ワークショップはよく実施するのですか。
髙原:最近ではよく開催していますね。しかし当時は珍しかったように思います。ましてや「健康経営」をテーマにしたのは初めてでした。商品開発ではなく、純粋に働き方への課題提起と解決に向けた議論の場所として実施したのも新鮮でした。
複合機を減らしたら、歩数だけでなくコミュニケーションも増えた
貴社のオフィスでは、実際にWorkciseの観点でさまざまな工夫が行われているそうですね。
髙原:はい。例えば、立ったまま仕事をすることができるように、昇降式のデスクを取り入れたり、通路脇のキャビネットでちょっとした打ち合わせができるようにしたりしています。
植田:SYNQA3階のオフィスでは、複合機の設置数をあえて減らし、従業員が意識しないうちに長い距離を歩いている状態をつくっています。1周約120メートルあるので、複合機まで往復するだけでも体を動かせるんですよ。
髙原:厚生労働省の「健康日本21」における調査データには、1997年から2009年までの10年あまりで日本人の歩数ががくんと減り、「1日約1000歩を失った」ことが示されています。オフィス設計を工夫することで、この1000歩を自然な形で取り戻したい。歩数計を持たせて測定する方法だと、どうしても「やらされ感」が出てしまいます。そうではなく、いかに自然にできるようにするかが大切なんです。
効率だけを考えるなら、複合機は多く設置されていたほうがプラスになるような気もします。「非効率だ」と反発する人はいませんか。
植田:それは「慣習」があるかないかによっても変わってくるのではないでしょうか。いきなり何も説明せずに複合機を減らせば不満が出るかもしれませんが、ここは新しい実験的なオフィスとして立ち上がったこともあり、反発の声はほとんど聞かれませんでした。私自身も以前はSYNQAとは別のオフィスに勤務していたので、このオフィスに来てから歩く距離は格段に増えたと思うのですが、特に違和感はありませんでしたね。
髙原:逆に、複合機を減らすことで効率化できる部分もあるんですよ。たとえば複合機を「営業部」と「デザイン部」の間など、部門の境界にあたる場所に設置すると、コピーを取りに来たついでに違う部署の人同士で「あの件はどうなった?」といった会話が、自然と生まれるんです。わざわざ打ち合わせの時間をおさえて会議を行わなくても、その場で話ができるので、無駄な会議も減ったように思います。
植田:もちろん、すべての工夫がうまくいったわけではありません。複合機の前に体重計を置いて「プリント中に体重を測りましょう」と呼びかけたこともありましたが、これには不満の声が集まりました(笑)。さまざまなアイデアを実行し、見直しながら現在に至っています。
オフィス内の仕掛けで、従業員のみなさんから特に好評なものは?
髙原:「ナッジサイン」でしょうか。床に「推奨歩幅」を示す白いシールを貼り、何となくそれに合わせて歩くだけで健康につながるという仕掛けです。「ここはストレッチができる場所です」というシールが壁に貼ってある場所もあります。「みんなの前では恥ずかしくてできない」という人も多いのですが、仕事中にちょっとしたストレッチを行うことが大事なのだと想起させるには非常に良い仕掛けだと思いますね。実際、トイレに行くとストレッチをしている人をよく見かけます。
絶対に必要で大切な「健康」は、躊躇せずに発信していくべき
健康経営を推進する上で、どのような課題を感じていますか。
従業員全員が、楽しみながら健康増進のための取り組みに関わってほしいと思っています。とはいえ、健康に関する知識は人それぞれですし、「私のことは放っておいて」という意識の人がいるのも事実です。そこで、健康に関心の薄い人でも考えるきっかけになればと、今年は社内で健康に関するeラーニングを始めました。第一弾は「健康経営と健康診断」をテーマにしています。簡単なテストなどを交えて考えてもらう内容で、10分程度でできるようにしました。
植田:入社後の研修にも健康に関するコンテンツを盛り込んでいます。例えば若い人のほうが朝食を抜きがちなのですが、それが仕事にどのような悪影響を及ぼすかといったことも伝えていきたいですね。
髙原:「健康を自分ごと化できない」状態では、会社主導で施策が走っても付いていけません。実験的な取り組みとして、「ITOKI健康白書」という社内広報媒体も作りました。健康課題の多い部署のランキングや、他社と比較したイトーキの傾向、お悩み相談コーナーなど、興味を持ってもらえそうな内容を盛り込んでいます。身近で、かつ客観性のあるデータなので、上司から若い人へ健康について語りかけるときにも役立つんですよ。今後はこうしたデータも、施策立案に役立てていきたいと思っています。
今後は、どのように健康経営を推進していきたいとお考えですか?
髙原:ざっくりと「メタボ改善」などを追いかけるのではなく、健康増進の取り組みが従業員の生産性向上にもつながっているかどうかもしっかり考えなければならないと思っています。局所的に「立ち仕事を習慣にしたら1ヶ月半でお腹周りがマイナス0.8センチ」といった結果は出ているのですが、そうしたことが生産性にどう影響するのかの検証はこれからですね。
「健康になった」だけで終わらせてはいけないということでしょうか。
植田:はい。一過性の取り組みではなく、経営に良い影響を与えてはじめて健康経営と言えるのだと思います。生産性が向上する、ワークエンゲージメントが高まるといった部分まで検証できないと、経営としても投資しづらいですよね。 同時に、従業員に「自律性」を持ってもらうための取り組みも、より一層強化していきたいと思います。「施策はたくさんそろえたけど、いざ職場へ行くと社員が笑っていない」。そんな健康経営にはしてはいけないと思うんです。
私は一度人事を離れたことがあるのですが、そのとき、客観的に施策を見ることができました。人事として様々な発信をしていたころは、「社員のためを思って施策を行っているのに、どうして取り組んでくれないんだろう」と感じたこともありました。でも、主役はあくまでも従業員で、施策を「良いものだ」と思えば動いてくれる。そんな姿を目の当たりにしました。人事がやるべきなのは、そう感じてもらうためのサポートなのだと思うようになりました。
健康経営施策に行き詰まりを感じていたり、これから新たに取り組もうと考えていたりする方々に向けて、最後にアドバイスをいただけますか。
植田:人事などの限られた部署だけで進めるのではなく、「積極的に多くの従業員を巻き込んでいく」ことが重要だと思います。健康は、人が幸せに生きていく上で大切なもの。だからこそ、取り組みに共感してくれる人は自分が思っている以上に多いと感じました。誰かを巻き込んでいけば、その人に影響されて活動に参加してくれる人も増えていきます。「健康無関心層」はどんな会社にもいると思いますが、健康は絶対に必要で、大切なことを進めていくのだから、躊躇せずに発信していくべきではないでしょうか。
髙原:私は事業として、いろいろなお客さまの健康経営や働き方改革をお手伝いしています。その中で、良いオフィスとは「従業員の方々が笑っているオフィス」だとつくづく感じるようになりました。良い人事制度がたくさんそろっているのに、従業員が笑っていない。そんな会社も実際にあります。そこでは、人事や総務が社員の声を聞かず、施策を押しつけるような状態になっていて、従業員側も参加意欲を持てずにいる。「社員の声を聞いて、施策に反映していく」というのは当たり前のことだと感じるかもしれませんが、案外難しいことです。世の中のトレンドも大事ですが、それ以上に社内の声を聞き逃してはいけない。そんな意識が大切だと思います。