不健康をたたえる組織から、健康の大切さを語り合う組織へ
「個々の裁量」と「グループシナジー」を追求するアサヒビール流健康経営とは :アサヒビール株式会社 人事部 仲地 唯知さん
アサヒビール株式会社 人事部 仲地 唯知さん
「ビール会社なのだから、健康診断の結果が悪いことも勲章だ」。かつてのアサヒビールには、そんな「不健康」を自慢しあうような空気もあったといいます。こうした状況を変えるため、2007年に従業員の健康増進に向けた取り組みを開始した同社では、全国16ヵ所の事業場に専門家を配置し、組織ごとの課題に応じた健康施策を実施してきました。その努力は2015年、2016年と2年連続の「健康経営銘柄」指定につながり、現在ではその知見がグループ全体へと広がりつつあります。不健康をたたえる組織から、健康の大切さを語り合う組織へと変わっていった背景には、何があったのでしょうか。人事部の仲地唯知さんにお話をうかがいました。
- 仲地 唯知(なかち・ただとも)さん
- アサヒビール株式会社 人事部 担当課長
2007年1月入社。神奈川工場総務部にて安全衛生、勤労関係を担当後、首都圏統括本部総務部に異動し、有期雇用社員の採用や労務業務を担当。2016年9月より人事部へ配属となり、現在、健康管理や危機管理等を担当している。
「健康」を福利厚生の大きな柱として位置づけ、従業員の身近な場所に専門家を
以前のアサヒビールでは、従業員が健康に対して高い意識を持っているとはいえない状況だったそうですね。
「ビール会社の営業なんだから、ビールをたくさん飲んでなんぼ」「健康診断の結果が悪いことも、一つの勲章」といった雰囲気があったことは否めません。「入社3年で10キロも太ったよ」と、自慢話のように語る人もいました。
酒類を中心に扱う企業のメンバーとして、自社の商品に愛着を持つからこその考え方だったのかもしれませんが、この風土をそのままにしていては、将来的な会社の衰退につながりかねません。そこで意識改革をすべく、2007年に従業員の健康増進に向けて取り組み始めました。
世の中で「健康経営」が注目されるよりもかなり早い時期から、従業員の「健康」を意識されていたのですね。
弊社では、企業として従業員の「健康」をサポートすることを、福利厚生の重要な要素だと考えていました。そこで、会社が重点的に取り組む福利厚生の三本柱の一つとして、「自己成長」「ワークライフバランス」とともに「健康」を打ち出し、トップからメッセージを発信したのです。
2013年には労使間で取り組みの内容を見直し、個々の従業員へアプローチしやすいように体制を変えていきました。全国にある八つの工場と八つの統括本部、計16の事業場それぞれに健康指導の専門家を配置したんです。具体的には、各事業場に保健師・看護師を置いているほか、産業医やメンタルをフォローする精神科の顧問医もいます。
健康について相談できる人が身近な場所にいることは、従業員にとって心強いでしょう。専門家の立場からも、日頃の様子を見られたほうが健康状態を把握しやすくなり、気になることがあったときにも声をかけやすいというメリットがあります。長期にわたり休んでしまうような状況になる前に対処したり、配置転換などを検討したりといった「早期発見」も可能です。実際に2011年頃と比べると、現在は健康上の理由で長期休業に入る社員が半減しています。
早期発見に重きを置き、従業員の個々の健康をフォローしやすい状況を作る中で、特に問題視されたことはありましたか。
メンタル面での不調を抱えている人への対処は、特に優先順位の高い課題だととらえていました。フィジカルの不調と比べて、メンタルの不調は「突然倒れてしまう」リスクも高いんです。例えば生活習慣病であれば、生活の乱れなどから徐々に症状が悪化し、不調を感じるようになることが多いですよね。そのため、本人も周囲も異変に気が付きやすい。
それに対してメンタルの不調は、一見するといつも通りで、本人に自覚症状がなくても、積み重なったストレスである日いきなり症状が出るケースがあります。そのため、小さな異変を見逃さないよう、本人や上司へのアプローチも行い、職場内での連携を高めて対応できるようにしました。もちろん「メンタルの不調は他人に知られたくない」と考える人も多いので、プライバシーを最大限尊重しつつ、安全管理上の判断を行うようにしています。
また、部下の健康問題が起こったことで、それを思い悩んで上司がメンタルに不調をきたしてしまうこともあります。そのため、本人だけでなく、上司へのケアなども行っています。
グループ内の企業・事業場ごとに大きな裁量を持ち、知見を共有する場を持つ
事業場ごとに専門家を配置し、個々の状況に応じた対応を進めているということですが、健康増進への取り組みも拠点や職種によって異なるのでしょうか。
はい。工場と営業では働き方が違いますし、都会と地方でも課題は異なります。そのため、健康増進に向けた具体的な施策は各事業場の裁量に委ねています。
例えば動脈硬化測定や体組成測定、生活習慣病測定などの実施や、健康に関する講演会の実施をするなど、さまざまな施策を行っています。また、変わったところだと、遺伝子検査で「太りやすい体質かどうか」などを調べられる施策を行った事業場もありました。健康保険組合が主体となって予算を取ったり、事業場によって独自に予算を取ったりと、進め方もさまざまです。
事業場ごとに大きな裁量を持てるからこそ、多彩な取り組みが生まれているのですね。
はい。一方で、今後はこうした個々の知見を共有し、グループ内各社・各事業場で相互に取り入れていこうと考えています。グループとしてのシナジーを高めるため、2016年に「グループ健康推進会議」を立ち上げました。グループ主要企業の人事部長や労働組合、健保組合が集まり、一緒にグループ全体への推進体制などを協議しています。
企業や事業場ごとに取り組むことはもちろん重要なのですが、それだけでは動きがバラバラになり、グループ全体のレベル感を合わせることもできません。また、それぞれが持つデータを統合して活用することも大切です。グループ全体で健康経営を推進するために新たな統一指針を作り、データヘルスやコラボヘルスにつなげていこうとしています。
さらに、各事業場にいる保健師や看護師などの専門職は、一人仕事になりがちで他の従業員には分からない悩みを抱えていることもあります。そうした状況に対応するための研修会なども、グループ全体で行っているところです。
各企業の人事部長や労働組合、健保組合といったさまざまな立場の関係者が集う中で、意見の集約や調整などに苦労することはありませんか。
もちろん、細かな点で調整が必要となる場面は出てくるでしょう。ただ、グループ全体として「従業員の健康増進が大切なのだ」という意志は明確に共有されていますし、参加者それぞれの目的も共通しているんです。健保組合はもちろん、労働組合も「人生100年時代」に向けて、70歳や75歳までいきいきと働き続けられるよう、健康寿命を伸ばしていきたいという思いを持っています。
現場担当者間でのつながりから、ユニークな施策が続々と誕生
これまでの健康増進施策の中で、具体的にはどのような成果が得られていますか?
全体の成果としては、現在のところ四つの指標を取りまとめています。一つ目の「ストレスチェックによる高ストレス者の割合」は、2013年の6.3パーセントから2017年は3.1パーセントまで低下しました。二つ目の「喫煙率」は、2011年に37.9パーセントだったものが2016年は26.8パーセントまで下がっています。また、三つ目の「一人あたりの売上高で見た労働生産性」は、2011年の1億6000万円から2016年には1億7300万円へ伸びました。最後に、社員一人あたりの「年間医療費」は、2011年の31万7820円から2016年は30万円へと下がっています。
個別施策で特にユニークな取り組みだと感じられるものとして、どのような取り組みがありますか。
ウォーキングイベントや体力測定イベントなどは、各地の事業場で活発に行われていますね。健保組合が主催した取り組みでは、「マイヘルスアップキャンペーン」というものがあります。個人で目標を設定し、達成度合いに応じて景品がもらえるといった仕立てです。
また、ヘルシーメニューの開発・提供で知られるタニタさんから講師を招き、タニタ食堂のヘルシーランチを食べながら研修を受ける「タニタランチセミナー」や、お笑い芸人を招いた「笑いで健康セミナー」など、それぞれの会社の総務系メンバーが独自に企画するイベントも盛んに行われています。
独自にこれらの施策を企画できるのは、やはり裁量を持って取り組めることの強みですね。現場レベルでの情報共有や意見交換も行われているのですか。
各会社の担当者同士では、ゆるい感じで話し合ったり、一緒に食事に行ったりして交流しています。先ほどお話した「グループ健康推進会議」は部長職などが集まる場所ですが、担当レベルでの共有は四半期に一度くらいのペースで、自由に集まり気軽に進めていくという動きが定着していますね。
さらに、新たに社内表彰制度を設け、共有・賞賛する文化を作ろうとする試みも進んでいます。これまでは各施策を個別に評価することはありませんでしたが、現場レベルでの高い意識を持った取り組みを認めることで、ポジティブに全体へと共有していきたいと考えています。
健康施策が結果につながるのは5年後、10年後。
だからこそ従業員が「健康を自分ごと化」するためのアシストを
グループ全体としては今後、健康経営に対してどのような展望を描いていますか。
まずはグループ健康推進会議を中心として、ビジョン・方針をまとめたいと考えており、具体的に策定したら社内外へメッセージとして発信していきたいと思っています。その上で、各社・各事業場が持つ情報を集約したデータヘルス化に向けた取り組みを加速させていきたいですね。グループトップは「健康経営の推進」を引き続き重要な柱として示しています。この旗印のもと、各社が集まって積極的にアイデアを出し合い、最適な体制を作っていきたいと考えています。
また、健康経営には「働き方の見直し」も密接につながっていきます。生産性向上や効率化を通じて時間を捻出し、自分自身の時間を持ってもらうようにすることも大切。働き方を変えることが健康増進につながり、同時に自分自身の成果を高めることにもつながるというメッセージを発信し続けていきます。
他社でも健康経営に取り組んでいたり、これから新たに取り組もうとされていたりする人事担当者が多くいらっしゃいます。仲地さんからぜひメッセージをいただけますでしょうか。
私が常々考えているのは、「健康はすぐに結果が出るものではない」ということです。会社内での目標といえば、単年で立てて結果を求められるようなものが多いと思いますが、健康についてはそうはいきません。今行っていることが結果につながるのは5年後、10年後になるという覚悟が必要です。そうした意味では、地道に継続していくための体制や仕組みを構築することが何より重要だと言えるのではないでしょうか。
また、従業員個人が「プライベートも含めて健康をどこまで意識し続けられるか」を考えることも大切です。健康に向けたモチベーションを保つのは簡単ではありませんが、ときには目を引くような施策を打ち出していくことも必要でしょう。
何事も、「やらされ感」では続きません。健康経営を継続するために最終的に必要なのは従業員の自主性だと思います。私自身も40歳を過ぎて、「これから20年、30年と健康で働き続けるためには何をすべきか」を真剣に考えるようになりました。そんなふうに一人ひとりが健康経営を「自分ごと化」し、自身の中に根づかせていくためのアシストをするのが、我々の重要な役割なのだと考えています。