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基調講演

「社員の働きがいを生み出す新・人事戦略」

守島 基博氏
一橋大学大学院商学研究科教授
守島 基博氏(もりしま もとひろ)
プロフィール:1980年慶應義塾大学文学部社会学専攻卒業。86年米国イリノイ大学産業労使関係研究所博士課程修了。人的資源管理論でPh.D.を取得後、カナダ国サイモン・フレーザー大学経営学部助教授。90年慶應義塾大学総合政策学部助教授、98年同大大学院経営管理研究科助教授・教授を経て、2001年より現職。近著に『人材の複雑方程式』(日経プレミアシリーズ)がある。

「働きがい」を奪ってきた成果主義

守島 基博氏日本の企業は、バブル崩壊以降20年間に渡って、コストダウンや効率化などを目的にしながら、「戦略人事」を行ってきました。どちらかといえば、経営サイドに視点を置きながら人事の仕事を行ってきました。ただ、現在、そのしわ寄せが働く人たちに及んでいます。このままでは、企業の人材や組織は弱くなるばかりです。そこで今回は、「企業に新たな人事戦略が求められている」という話をしたいと思います。

これまでの日本の人事の歴史を振り返ると、戦後から三つの時代を経ていることがわかります。まず第1期は、戦後から1960年ごろまでの「年功人事」の時代です。当時は人材がいませんでしたから、「人材を確保する」という意味では合理的な方法でした。

続く第2期は、1960年頃からバブル崩壊までの「職能主義」の時代です。企業には国際化や人材の高齢化への対応、企業成長に合わせた人材配置など、状況の変化によって、個々の能力を職能として評価する制度が活用されました。

第3期は、バブル崩壊以降から現在までの、いわゆる「成果主義」の時代です。企業は成果に基づく評価制度を導入し、コストダウンや人材に関して柔軟性を高めることに専念してきました。非正規雇用、中途採用・即戦力人材の活用も盛んになりましたが、日本の職場ははっきりと変わっていきました。その結果、企業の業績は向上し、人事管理も効率化されましたが、逆に「働く人は元気になったのか」「生き生きした職場になったのか」と問われると、これからもこのままの方法で企業が強くなっていけるかどうかは疑問です。

成果主義のウラで何が起こっていたのかを、人事は一生懸命考えなくてはいけない時代になってきたと思います。人事はもっと働く人の「働きがい」について、本格的に扱うべきでしょう。そういう意味では、人事も原点回帰の時期に来たのではないでしょうか。

職場機能の弱体化がすべてに影響

守島 基博氏/講演では、成果主義の時代だった過去20年間に、企業にどのような事態が起きていたのか。私は3点指摘できると思います。一つ目は「人材育成の弱体化」です。

人材育成は、研修などの人事が行うメニューももちろん影響しますが、ほとんどの部分は現場で行われます。先輩が後輩に、上司が部下に、といった現場で起こっている自然な作業によって育成は行われてきました。そこが変質してきたのです。

例えば、人はどういうときに一番成長できるかというと、できるかできないかわからないようなボーダーラインにある仕事を与えられたときです。周囲のサポートも受けながら、それができるようになったときに成長できるのです。これは職場において、もっとも重要な機能です。しかし今は、成果主義により、仕事ができる人に「成長できる仕事」が集中し、ナンバー2、3といった人たちにはこのような仕事が回ってきません。

また、人を育てた経験を持つ人材が少なくなっている点も弱体化の要因のひとつです。いびつな新卒採用の結果、現場の社員に年齢差が生まれ、自然な教え合いの風土が失われているのです。

他に、人材育成投資の傾斜配分という要因もあります。トップクラスの人材育成には一生懸命でも、それ以外の普通の人たちへの投資が減っているのです。

成果主義のウラで起きていたことの二つ目は、「職場寒冷化」です。「寒冷化」というのは、職場機能の衰退と考えてください。

日本の企業にとって職場は、「育成」「協働」「癒し」といったオモテ機能を持つ大事なインフラでした。しかし、成果主義のなかで、「選別」「競争」「ストレス」といったウラ機能が強くなってしまっています。

世の中にいろいろな調査がありますが、そのほとんどは個人の満足度ばかりで、職場の健康度については調べられておらず、多くの人事は職場に関するデータを持っていません。また、経営上、職場は現場のリーダー任せというところが多いのですが、そのリーダーも忙しすぎて、人事からのコントロールも利かなくなっています。

最後に、成果主義のウラで起きていたことの三つ目は、上記も背景の一部ですが、「働きがいの低下」です。今まで人事が大前提としてきた職場機能がもたらす、仕事を共有する喜び、成長できる喜びといったものを社員は感じられなくなっています。この働きがいの喪失こそが、もっとも大きな問題です。

働く人を「その気」にさせ、喜びを与える

守島 基博氏ここまで見てきたように、過去20年間、人事は経営サイドに寄ってきたといえますが、これからは人のサイドに寄った人事を行わなくてはいけない時期になってきています。そもそも人材マネジメントとは、経営の視点と働く人の視点の間で、永久にバランスをとっていくものであり、このバランスを保つことこそ、人事の役目です。

人事の仕事の本質は、働く人の視点に立ちつつ、経営に寄与する人材を育てていくこと。平たく言えば、働く人たちを「その気にさせ」、「育てる」ことに尽きます。つまり、働きがいを提供することで、働く人をその気にさせ、成長を促すのです。

「一人ひとりを見ていること」を伝える努力

ではそのために人事は何をすべきでしょうか。二つポイントがあります。まず第一が、社員が働きがいを感じられる環境を作ることです。そのために、私は人事の皆さんに、もっと社員一人ひとりに可能な限り対応してほしいと思っています。もっと一人ひとりを「見てあげてほしい」のです。

今の人事は「制度人事」というべき面が大きくなり、そこから上がってくる情報で意思決定をしがちで、「個別人事」が難しくなっています。しかし、私は個別人事こそ、人事のベストな形ではないかと思います。

実は日本の企業の人事は、個別人事をこれまでもやっていました。特に人事異動の時です。「この人にとって、次のベストなポジションは何だろう」と考えながら、丁寧に情報を集め、それに対応していました。人が納得して動けていたのも個別人事のおかげです。

ある大手飲料メーカーの人事部長から聞いた話ですが、この会社は一時期、成果主義を強く推し進めたために、社員が働きがいを失う状況になったそうです。そこで、人事部長は、人事異動に活かすために、人事部員が全国を行脚し、社員一人ひとりに会って情報を集めるという作業を行いました。そのとき主に聞いたのは、(1)働きたい場所、(2)働きたい仕事(職種)、(3)異動が起こってほしい時期の3点です。この三つの希望のうち、最低でもどれか一つの条件はクリアすることを人事のミッションとして、全体の90%以上の希望をかなえることができたそうです。

一つの例ですが、人事が社員一人ひとりにコミットしている姿勢を見せたり、方針を伝えたりして行動していけば、広がっていた個人との距離も詰めていけるのではないでしょうか。

また、最近は「ダイバーシティ」という言葉をよく聞きますが、人の働きがいに対する多様性も増加しています。私は、現時点で、働きがいを生み出す源泉は「成長」「達成」「安心」「公正」がキーワードになると考えていますが、これからは、働きがいや意欲の源泉もますます多様化していくのではないでしょうか。

そして、難しいのは、日本のダイバーシティは、主張もあって見えやすい海外に比べると、目に見えない、主張しないダイバーシティだといえます。そのため、日本の人事の場合は、個別の主張を把握していくためにも、コミュニケーション力や話す力が必要になります。

それに加えて、人事はもっと現場に顔を出すことが大事になってきます。私もいろいろな現場で働く人たちと話をする機会がありますが、そのとき感じるのは「自分たちは人事に見られていない、ケアされていない」と思っている人が多いことです。現場に出るようになると、自分なりの相場感やといったようなものができてきます。彼ら・彼女らがどんな人たちで、どんなことに喜びを感じているのか、そのことを理解するための努力はより必要になるでしょう。

人事は「経営のエキスパート」であり、「人のエキスパート」です。ときにこの二つは対立することもありますが、これからしばらくは、人のエキスパートに重心を置いて活動すべき時代ではないかと思います。

人事は、これから10年がおもしろい

もう一つ、個人に加えて、職場の手当てをしていくことも急務です。私は、職場寒冷化に歯止めをかけるには、四つのポイントがあると思います。一つは先ほど述べたような個別管理へのシフト、二つ目は人と人のつながりを作るコミュニティとしての職場再生、三つ目は現場リーダーへのプレイとマネージのバランス回復、四つ目は現場での育成復活です。

守島 基博氏今、職場には、いろいろな仕事をふられすぎて、いっぱいいっぱいの状態にある現場リーダーがいます。彼ら・彼女らについては、早急なケアが必要です。現場リーダーについて、さまざまな調査が行われていますが、「本当にやりたいのにできていないことは何か」という質問に対し、「部下の育成」という答えが圧倒的多数を占めています。部下の育成ができる環境を整えることは、職場の問題を考えるうえで重要なポイントです。

こう考えてくると、結局、人事が今後一番注力すべきなのは、「人を強くして、組織を強くすること」なのです。

昔は人を集めれば、自然と組織もできていきましたが、今の組織は、一人ひとりの意欲や働きがいが低下し、組織も弱っている状態です。なかでも、「組織開発」という言葉も最近ではキーワードとなっているように、組織は、作りこんでいく時代なのです。ます。個人に軸足を置きながら、個を強くして、職場を強くして、組織を強くする。これこそが人事の根源的なミッションではないでしょうか。

過去20年間のコストダウン、効率化といったやや後ろ向きだった仕事に比べれば、これから10年ほどは人事が本来やるべき仕事に戻っていきます。これからの人事はきっとおもしろい時代になるはずです。

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