最近、さまざまな場面でビジネスマンが「教養」を高めることの重要性について聞くようになった。そこで本セッションでは、「人事が社員の教養を高めるにはどうすれないいのか」をテーマとして取り上げ、「社員にどう説明すれば、教養の重要性を理解してもらえるのか」「具体的にはどんな教養が必要なのか」などについて、川上真史氏の講演(実演)と参加者によるディスカッションを実施。いまビジネスマンに求められる教養について、参加者全員で考えた。
まず、川上氏が「教養とは何か」「教養が求められ背景とは」をテーマに、講演を行った。「いま、なぜ企業の中で、社員の教養を高めることが求められているのでしょうか。社会人なら、教養は自分で身に付ければいい、わざわざ会社がコストや労力をかけてまで取り組むべきことなのかと、疑問を持つ人もいるでしょう。しかし現在、いろいろな場面で教養が必要となっているのは間違いありません。ただし、これから説明する教養は、一般的な知識重視型の教養ではありません。教養が世の中で見直されてくると、いわゆる教養を語る人が出てきます。そういう人が語る教養は、こういうことを知らなかったら恥ずかしい、という類の話です。また、それを知っている人が教養人であると言います。あるいは、良書を読めば教養が高まるとも。しかし、そういった教養が今後、企業の中で必要になるとは、あまり考えられません」
企業が教養が求められている理由は、大きく二つある。グローバル化とIT化という、急激な変化だ。まずは、グローバル化。自社が海外に展開していなくても、顧客はどんどんグローバル化していて、否応なくグローバル化に対応せざるを得ない状況に置かれてしまう。そして、IT化。IT技術の進化のスピードは大変な早さで進んでいる。スマホが世に出たのが2009年、タブレット端末は翌2010年のことだが、わずか数年で一気に世の中に広がった。このようなグローバル化とIT化の急激な進展が、教養が注目されていることの背景にある。
「グローバル化について言うと、いま、日本では明治維新の頃と同じ状況にあります。江戸時代までの日本人に教養がなかったと言えば、そんなことはありません。一般の町人にも俳句や川柳をたしなむ人がいて、教養のある人は数多くいました。しかし、明治時代になって開国したことで、状況は大きく変わりました。今までは閉じた日本の中に教養がありましたが、世界の中の日本という立場に置かれて、これまで日本人が持っていなかった教養(知識・技術)を身に付けなければならなくなったのです。明治政府から海外に数多くの人が派遣されましたが、彼らはいろいろな知識や技術を学び、それを日本に持ち帰ってきて、日本の教育の中に組み込んでいきました」
そのような状況が、また日本に起きている。これまで国内を中心に動いていた企業が、グローバル市場に進出するようになり、教養の拡大が求められているのだ。海外では、さまざまなトラブルや衝突が起こる。そのとき、何が原因なのかわからなければ、ビジネスはできない。そのために企業は、社員の教養を高めることが必要だと考えるようになったのだ。
では、ITの進化がなぜ教養を高めることに関係してくるのだろうか。「いま、IT技術は日進月歩で進化しています。例えば、あと5~10年もすると、音声入力・音声出力の自動翻訳技術の進化によって、英語などの外国語を学ぶ必要性がなくなると言われています。このような画期的な技術が、どんどん開発されています。では、それによって何が起きるのかと言うと、人間のやることが少なくなっていきます。実際、論理的思考などは、人間が考えるよりもビッグデータを基にコンピュータで計算した方が、間違いなく行うことができます。このような状態になった時に、人間のやるべきことは何でしょうか。それは、『創造性の発揮』です。創造性の発揮は、機械やコンピュータではまだできません。そして、他者との大きな差別化要因ともなります。より広い視野、認知による判断や意思決定、そして創造的思考の促進。これこそが、いま、私たちに強く求められているものなのです。IT技術に振り回されていること自体が、人間として創造性がないと言えます。私たちには創造力を持って、ITをうまく使いこなしていくことが求められているのです」
「リベラル」は「変化に寛容、個人の自主性を重視、自由」、そして「アーツ」は「(技)術」ということから、「人生を自由に自分で生きていくために必要な、基本的かつ実践的な技術」ということになる。身に付けることによって、変化や困難、葛藤などにも対応できるようになるのだ。例えば、プレゼンテーションのうまさや論理的思考。これらは古くギリシャ、ローマ時代から言われているものである。一方、日本語の「教養」の場合、「知識」と「人格」を掛け合わせたものである。つまり、知識が人格に影響を与えなければいけない、ということである。知識のみを向上させても、それは教養とは言えない。知っていることで「自分は偉い」と思うことも、教養ではない。知識を豊富にし、その知識の豊富さが自分自身の人格をより安定させ、周囲からの信頼につなげることが教養の基本である。
「先々が見通せない世の中において、自分が主体的、自主的に動き、セルフマネジメント的に仕事をやっていきながら、会社や世の中に貢献ができている。しかも、自分の意思で自分の人生を過ごし、ちゃんと仕事をしている。こういうビジネスパーソンになるために、必要となる基本的な知識や技術は何なのかを整理すれば、それが教養になると捉えてください」
ここで、「自社の中で、今のようにリベラルに生きて仕事をしていけるようになるには、どのようなアーツが求められるか」というテーマで議論する、グループワークが行われた。
「グループワークでの意見を聞くと、『自分』をしっかりと持つことが大切だと分かります。自分を確立することによって、他者との関わり、会社のビジョンやコアバリューがしっかりと実践できる、ということでしょう。また、教養が大事と言われながら、それが何なのか定まっていないという意見がありました。今後、この点については相当議論していく必要があると思います」
「教養」についての議論を行うと、「わが社の社員には常識がなく、あまりにもモノを知らない。そこで教養を高めて、人材の底上げをしたい」という話がよく出てくる。基本的な部分から教養を身に付けさせたいと考える企業は多い。そのようなレベルの場合、川上氏は社内サイトなどを使う方法を推薦している。「社内サイトの中で知識や教養に関するコーナーを作って、『これを知らなくて恥をかいた』『これを知っていたから、相手がすごく信頼してくれた』といった情報を蓄積していき、共有するという方法です。人事がやりがちなのは、社員に教養や一般常識がないから教育しようという、上から目線のやり方。こういうやり方は、社内から反発を受けます。そうならないためにも、まずは人事の人たちが最初に自ら恥をかき、まるで笑い話のように知識や教養の話を盛り込んでいくやり方がいいでしょう」
では、創造性が教養とはどのようにつながっていくのか。「教養と創造性」の図で示したのは、今から100年以上前、精神分析家のユングが提唱した「タイプ論」を整理したものである。ここでは、「思考」⇔「感情」、「直観」⇔「感覚」という人間が判断する際の軸をタテ・ヨコに設けている。
「思考」は「論理」による判断。それに対して「感情」は「好き―嫌い」による判断である。この二つが対の概念となる。もう一つの対になる概念として「直観」と「感覚」がある。これは、人間だけでなく動物でも持っているもの。「直観」は「ひらめき」による判断であるのに対して、「感覚」は「観察(データ)」による判断である。これらを統合的に判断して行うのが人間である。ちなみに、日本では「感覚」と「感情」による判断をする人が少ないと川上氏は言う。これら四つの判断軸の掛け合わせから、「科学的」「芸術的」「信条的」「推論的」という、教養を高めるために必要となる四つの領域が示される。
四つの領域の構成要素を見ると、科学は「思考」と「感覚」から成り立っており、芸術は「感情」と「感覚」、信条は「直観」と「感情」そして、推論は「直観」と「思考」から成る。これら四つの領域を統合して考え、判断が下していく中から創造性が醸成されていく。
なお、この中で日本人が得意とするのは、「感覚」と「感情」が関わっていない「推論」である。経営やマネジメントも、この世界で判断されることが多い。ビジネスでは論理的思考が重要だと言われているが、日本ではその基となるのが自分のひらめきによる「直観」だったりするからだ。逆に苦手なのは、その対極にある芸術的な判断である。ちなみに、「推論」は歴史、「信条」は宗教・政治などに関わる領域である。
「このようなマトリックスで示すことで、教養という言葉をあえて使わず、創造性を高めるために四つの軸と領域を学ぶとして、教育研修などで問題なく適用できます。四つの判断軸と領域による判断を統合的に高めていくことによって、多角的な判断ができるようになります。それが、創造性が高まるということなのです」
川上氏は、グローバルで必要となる教養の領域には、「守りの教養」と「攻めの教養」があると言う。「守りの教養」とは、「歴史」(自国+相手国)、「宗教」(世界宗教+相手国+日本の宗教)、「政治」(自国+相手国)などで、ダイバーシティに関わる領域である。先ほどの四つの領域で言うと、「推論的」(歴史)「信条的」(宗教・政治)に該当する。「国や民族によって違うので、何かあった時にこれらのこと知っていなければ問題があると考えられるものです。グローバルで活動する人は、これらを学ぶ機会を意図的に作る必要があります」
一方、「攻めの教養」は「科学」(自然科学、社会科学)、「芸術」(文学、美術、音楽)、「スポーツ」(世界に広まっているスポーツ)などである。個人差はあるが、世界共通(ルール)のものとして認識されるものである。「攻めの教養」なので、このことを知っていることによって、自分から積極的に話すことができ、その結果、相互関係を作ることに寄与する。四つの領域で言うと「科学的」「芸術的」に該当する。「必ずしも、全ての領域を押さえておく必要はありません。どれか一つでも自分から話すことができる領域を持つことが大切なのです。そういった点でも会社からのサポートがあると、海外赴任などにも安心して行くことができます」
後半は、川上氏が用意したさまざま分野の資料・音源などを用いて、四つの領域での教養を高めるための「実演」を行った。実際に参加者が体感することで、四つの領域の特性を肌で実感し、理解を促す場となった。四つの領域で教養を高めていくためには、以下のようなアプローチが有効である。
「科学的判断」は、自分の推測、意見、信条、感情を一切排除し、客観的なデータ・論理のみから真実を特定すること。そのためには、データによる判断のケーススタディー、より多くの「パラダイム」の理解、感情や思いを排除した判断の練習を行うことである。
「芸術的判断」を妨げるのが、「正解主義」「羞恥心」「周囲と同じでないと不安」といった心理である。これを排除するためには、感情と感覚を向上させることが必要だ。感情は事象を経験することによって情動(感情の動き)を発生させ、そこから感情へと発展させていく、といったプロセスにより生まれてくるものである。何より、実際に触れてみると(聴いてみると)、とても楽しく面白く感じられるものである。そうした自己の感情を率直に表出することによって、他者の感情を受容することができるようになる。
「信条的判断」は、時間がない中での意思決定や、根源的な善悪の判断、複雑系での重大な意思決定で有効となるものである。ただ、直観(ひらめき)と感情(好き―嫌い)からなるものであるため、あくまで「自分の信条」であることをしっかりと理解することが大切である。そこに無理やり「論理」を入れてはならない。また、他者に「自分の信条」を押し付けたり、他者の信条を否定しないことが重要である。
「推論的判断」が求められる状況とは、歴史など既知と未知を確実につなぐ情報が存在しない事象、あるいはどのようなキャリアが最も幸せかを考える転職など、科学的に事実を集め、論理的に結合させることのコスト対効果が極めて低い事象などである。このような「推論的判断」を行う場合には、「いまは推論を行っている」ということを明確に認知(メタ認知)することである。そして、人間が行うのだから認知のゆがみがあることを認識する、もっともらしいことをベースに論理を展開するといった、詭弁(きべん)に陥っていないかを検証することも大切である。
ビジネスパーソンに求められる教養というのは、その道のプロフェッショナルが実践しているようなものではない。「守りの教養」「攻めの教養」で示した領域において、まずは知識として記憶し、理解していることである。その上で、その知識について、自分の論理などを入れて、応用や周囲への興味深い解説をすることができる、という類のものである。
そして、教養を高めるために必要なスタンスとは、関係する領域や起きている事象について、まず興味・関心や疑問を持つこと(問題意識・好奇心を持つ)。そして、そのことをインターネットなどで調べて、新たな発見をすること(知見を得る)。さらに、自分なりにそのことをついて考えてみること(仮説を立てる)。そこで考えたことを、何らかの形で実際に体験してみること(応用・実践する)。誰かに語ってみる、仕事などに応用してみること(伝える・語る)、である。
「企業はこうした思考・行動のプロセスを研修の中に取り込むことにより、社員の創造力を高めていくことが可能になります。グローバル化、IT化への対応など教養が求められる背景を考えても、社員の創造性を高めることが今ほど求められる時代はないと思います」と教養の持つ重要性を改めて強調し、川上氏は講演を締めくくった。