1980年代、躍進する日本企業の原動力として世界に称賛された「ジャパニーズ・マネジャー」。しかし、バブル崩壊を経て2000年代に入ると、日本企業の人材開発上の最重要課題の一つに「マネジャーの育成・強化」が挙げられるようになる。いったい何が変わってしまったのか。なぜ、これほどマネジャー育成は難しくなったのか――。そこで今回は、「マネジャー育成を科学する 弱さからの出発、自分流マネジメントの発見」と題し、東京大学 大学総合教育研究センター 准教授 中原淳氏が講演。さまざまな研究結果が示され、参加者全員でこれからのマネジャー育成について考えた。
マネジャーとは何か――中原氏の講演は、根本的な問いかけから始まった。「これまで、マネジャーとは何かについて、学者がいろいろなことを言っています。ミシガン大学のリッカート教授は、組織を構成する小集団の『連結ピン』。また、クーンツ&オドンネルは“Getting Things Done Thorough Others” つまり、自分で行わずに、他者を通して物事を成し遂げることですね。ヘンリー・ミンツバーグは『対人関係の調整、情報伝達の調整、意思決定の調整』。加護野忠男先生の言葉は名言だと思いますが、マネジメントとは『任せて、任せ切らないこと』。矛盾がある言葉ですが、これが一番わかりやすいかもしれません」
「連結ピン」「他者」「調整」「任せて、任せきらない」。これらのワードから見えてくるのは、マネジャーの仕事は、他者の狭間(はざま)にあり矛盾を生きるということだ。「マネジャーの仕事とは『割り切れない』『ややこしい』『終わりがない』もの。そもそも簡単ではない、難しい仕事なのです」
1980年代、ジャパニーズ・マネジャーは世界的に賞賛を浴びていた。さまざまな文献にも、米国のトップダウンとは違って、ミドルマネジャーが水平方向にも垂直方向にも狭間で活動したことで日本企業は躍進できたとある。「しかし、2000年代に入ってから、旗色が悪くなります。日本企業の人材開発上の課題のトップ3に『マネジャーの育成・強化』が入り始めたのです。マネジャーはただでさえ難しい仕事なのに、これまで以上にマネジャーになることが難しくなってきたのです」中原氏は、その理由となる三つの仮設を上げた。
かつてマネジャーになることは、「段階的移行」だった。職場には多くの階層があり、自分より少し上の人がその職に就くとその人を観察学習し、忙しいときには仕事を代行して、経験学習で成長できた。しかし、今は状況が異なるという。「1990年代から、意思決定のスピードアップや人件費削減により、組織のフラット化が起きました。すると、突然マネジャーになるわけです。加えて急激に管理人数も増加。ギュリックは『スパン・オブ・コントロール』で一人が管理できる人数は5、6人と言っていますが、今はすでにその人数を超えています」
かつての職場は均質で、『日本人男性、正社員』が唯一のTribe(部族)だった。「しかし、最近は職場のダイバーシティ化が進んだため、日本流の組織開発、コミュニケーションができなくなっています」
成果を求める風潮の中で、課長が「ポジション」から「役割化」しつつあると、中原氏は言う。「私と日本生産性本部さんは、共同で、2012年にある調査を実施しました。『実務担当者からマネジャーへの役割移行・発見に関する調査』という調査です。その結果に寄りますと、プレイング時間を持たないマネジャーは、531人中たった14人(2.6%)。ほとんどの人は目標を持っていることがわかりました。またさらに分析を進めていくと、この役割移行に失敗し、プレーヤーに固執するとかえって業績は出ないことがわかっています」
自分が走りすぎると、疲れてしまう。マネジャーの定義は他者を使うことだが、その点ではマネジャーになることで、再び「役割を仕切り直すこと≒学び直すこと」が求められる。学びと内省の場が必要だ。
一方で、マネジャーには会社に深く思うところがある。経団連の2012年アンケートによれば「会社はマネジャーに多くを期待するのに、支援がない」と思っている。項目別満足度では「やりがい、誇り、成長実感」はポジティブでありながら、「教育訓練機会は少ない」「知識、ノウハウが得られていない」と答えている。
「期待される割には、ちょっと冷たいですね。組織を回す要としてのマネジャーに期待をし、『経営のフロントライン』を彼らに選び、委ねたのなら、彼らの育成に本気で取り組むべきときではないかと思います」
ここで中原氏は、マネジャー育成の三つのポイントを挙げていった。
中原氏は、「ある日突然、マネジャーになるのではありません。マネジャーは『長いキャリア』の果てにあります」と言う。その対極となる考え方は「≠ マネジャー育成とは階層研修である」「≠ マネジャー育成は着任前少し手前からはじめればよい」ということだ。
「特に3年目以降にどんな仕事を担ったかで、マネジャーとしての力量が決まります。『視野を広げる仕事』『管理職の代行経験』をいかに持たせるか。その点では、長期的に考える必要があります」
もちろん、3年目までには押さえなければならないものがある。「経験→振り返り→持論化→業務」という、経験学習サイクルの習慣化だ。「少しだけ能力を超えたことを経験し、その後に振り返りを行う。そこから持論化しノウハウを得る。特に重要なことは内省です。それらが事業戦略に沿ったもので、挑戦が評価される制度がある。そしてセーフティーネットもあって、会社が望む方向に学べれば、適切な資質が得られます」
マネジャーは「マネジャーになった当初」に「底知れぬ不安や課題」を抱える。不安で当然であり、できないこと(課題)があって当然。まずは「弱さを受容」することが大切で、それにより学びを求め、早く走ることを考えるようになる。
「先ほどの『実務担当者からマネジャーへの役割移行・発見に関する調査』によれば、経験の浅いマネジャーの抱える不安は四つあります。業務量不安(こなせるか)、板挟み不安(上を納得させ、下を動かせるか)、目標達成不安(目標を達成できるか、前任者・同僚同期との比較)、現場離脱不安(自分は現場で通用しなくなるんじゃないか)です。これらの不安を抱え、心理的にも動揺し、できないこと(課題)も抱えるわけです」
マネジャーの抱える課題のトップ3は「部下育成」「戦略・目標咀嚼」「プレマネバランス」。やはりマネジャーになってみて、わかることは多いのだ。
一国一城の主であるマネジャーだからこそ、特に必要なのは「内省すること」。ただし、独りで内省していても、らちがあかないこともある。
「このようなときに、助言や気づきをくれる他者がいると強いし、応援があると心強い。実は、孤独なマネジャーでは、なかなか成果を出せません。王道のないマネジメント修行だからこそ、客観的なコメント、意見(緊張屋)で内省支援してもらい、メンタルケア(安心屋)で精神支援してもらえると、バランスのよい育成ができます」
マネジャー育成のポイントは理解できてきたが、具体的には何をすればいいのか。中原氏は三つのアプローチ方法を上げる。(1)組織・制度の変革、(2)方針とツールの提供、(3)場の創造だ。これらを必要に応じて、統合的にアプローチしていく。
組織フラット化を見直し、段階的な役割移行を果たす。事例を見てみよう。
たとえば、OJTマニュアルの提供。悩みやすい「部下育成」に関して全社のナレッジや事例を集め、マネジャーも議論して、OJTマニュアルを提供する。「OJTマニュアルをつくる過程が重要であり、マネジャー同士が議論するプロセスが内省となり、学びになります」
さまざまなメンバーで対話する場を設ける。「某IT企業はミドルマネジャー同志で対話する場をつくりました。部下に思いを伝えるには、仕事に真面目でない部下をどうするかなど、悩みを話すことが精神面のケアになります。某化粧品会社はトップと従業員の対話の場を設けています」
中原氏が今注目している手法は「フォローアップワークショップ」だ。着任後数ヵ月のマネジメント経験をもつ新任マネジャーが集まり、着任後に起こった「現実」を見つめ、ゆっくり考え、内省、対話し「これからのアクションストーリー」をつくっていく。
「このように考えるようになったのは、仲間のある言葉がきっかけです。私に『今までの延長上にマネジャーはあると思っていたけど、そこから見える光景は全く違った』と言うのです。そして、『早く前任者のようになりたくてあせった』と。経験してこそ、わかることがあるのです」
中原氏は「マネジャーは、他者を使って何かを達成できたときや、部下が成長したときにこそ、一番能力が伸びる」と語る。最初の定義に戻るようだが、やはりキーとなるのは他者なのだ。
「マネジャーとして、やりがいや働きがいを得るには、他者との関わりが欠かせません。それだけにマネジャー育成は、型がなく難しい。皆さんの職場でも、話し合いながら進めていってほしいと思います。本日はありがとうございました」