私は若いころから「組織開発(organization development)」というテーマに関心を抱いていましたが、どのように研究してどう実践に活かすべきなのか、いつも頭を悩ませてきました。組織開発の手法を用いて、職場や組織全体、もう少しマクロな視点で言うと、地域、あるいは国を変革に導くようなことができないものかとも考えてきました。そんな中から、今日はある程度焦点を絞り、一つの企業の大きな方向付けを行ったり、会社全体の戦略的ビジョンをきちんと練り上げたりする場面で、組織開発という手法や、その背景にある考え方をどう使うべきかをお話してみたいと思います。
おそらく組織開発というテーマに興味を抱いているのは、企業内では人事の方たちが大半でしょう。というのも日本において組織開発は、QC活動やZD運動のような職場改善の施策として捉えられがちだったからです。実際、米国では1970年代ごろから組織開発の手法が注目されるようになりましたが、当時日本で翻訳された専門書には、「職場改善」といったニュアンスのタイトルがつけられていました。しかし、もともと組織開発の黎明期にはトップマネジメントの一つの方策と考えられていたふしがあります。事実、組織開発のコンサルタントが企業のトップに対して、どんなビジョンでどんな組織を構築していくかをアドバイスし、大きな成果を残した事例がいくつかあります。
その代表が米国ディジタル・イクイップメント社のケースで、創業社長であるケン・オルセンは、自身がエンジニア出身で経営面には疎かったため、組織開発の第一人者とも言うべき存在で、現在はマサチューセッツ工科大学名誉教授であるエドガー・H・シャインの手を借りて、組織づくりを行いました。また、英国の組織開発の中核的機関ともいえるタヴィストック人間関係研究所も、企業のトップの要請に応え、多くの実績を残しています。とくに犬猿の仲と言われていた二つの企業の合併に際する案件はよく知られていて、両社の役員を集め、丸一週間議論させるという方法で、ソフトランディングを成功させました。一週間にわたった「バーフォード会議」は組織開発の成功事例として、のちに大きな影響を残しました。
こうして考えると、経営トップを巻き込んで企業全体にかかわる将来の構想を練り上げる上でも、組織開発の手法はきわめて有効といっていいでしょう。
みなさんは「ホールシステム・アプローチ」という言葉をご存じでしょうか。聞き慣れない方もいらっしゃると多いと思いますが、複数の事業を手掛ける企業で、将来の構想を練る場合、本来なら各事業分野の代表が全員集まって議論すべきですよね。シングルビジネスの企業でも、研究開発、製造、生産技術、営業・マーケティングなど、それぞれの部門に詳しいスタッフが顔を揃えるべきです。このように、かかわりのあるすべての人が一つの部屋に集まって、抱えている課題や将来の構想などを話し合う手法を、ホールシステム・アプローチと呼びます。これは組織開発の欠かせない手法の一つです。
どんなテキストにも載っている有名な事例なのですが、高名な心理学者であるクルト・レヴィンは、第二次世界大戦のころ、米国人が好んで食べることがなかったレバーや肝油などを食べるように食習慣を変えるにはどうすればいいかというテーマのもと、一般の人々を対象に実験を行いました。ある人々には講師が「体にいいのだからと積極的に食べよう」とレクチャーし、別の人々にはグループごとに議論してもらい、食べようと申し合わせをしました。結果はどうだったかというと、後者のほうがはっきりとした成果を残しました。単にレクチャーしただけでは行動に移そうとしなかった人々が、お互いに議論し合った結果、長年の習慣を変えようとしたのです。言うまでもなく、食習慣とは一つの文化でもあり、そう簡単には変えることができないものです。それが数時間話し合っただけで、変わることになったのです。
こうしたことは企業組織にも起こりえます。経営トップが「当社の組織文化を変えよう」と呼びかけても簡単には変わらないでしょう。しかし、大勢の社員で話し合って「みんなで組織を変えよう」という結論に至った場合は、徐々に変わっていく可能性が高い。組織開発の手法であるホールシステム・アプローチを用いれば、すぐに会社が生まれ変わるというわけではないかもしれませんが、文化や風土を変えることができる。長い間変えられなかったようなことでも、変えることができるのです。
ところで、言うまでもなく組織とは個人で成り立っています。したがって、組織が変わる、集団が変わる、事業部が変わるというのは言葉のあやであって、実際には個人が変わるわけです。私は、その組織の7割か8割以上の人の発想や考え方が変わったときに初めて、組織が変わったと言えるのではないかと思っています。そういう意味で、組織開発には個人を変えるというアプローチが必要です。では、個人を変えるスキルが優れているのはどんな人たちかというと、代表的なのは臨床心理学者やセラピストです。実際、多くの専門家は、組織開発の理論的、技法的基礎は臨床心理学にあると明言しています。つまりは、組織開発には臨床心理学アプローチがきわめて有効なのです。
実を言うと、私は若いときに臨床心理学を学び、臨床心理学者を目指していた時期があります。それもあって組織開発に強い関心を抱いたのですが、皆さんもより組織開発を知るためには、臨床心理学の基礎を学んでみるといいでしょう。
ここで組織開発に取り組むと、どのような成果をもたらすかについてまとめておきます。今のところ厳密な意味での定義はありませんが、イーガンという専門家は多くの学者の指摘を整理して、次のようにまとめています。
このように組織の文化や風土ばかりか、収益性の改善や問題解決の糸口にもなると分析されています。組織開発はいろいろな側面から企業の変革を手助けすることができる。事実、米国では多くの企業が導入し、さまざまな成果をあげているのです。
私はQC活動やZD運動など、職場ぐるみの運動によって問題を解決していく手法も非常に重要だと考えています。そうした努力の積み重ねによって、世界のどこにも負けない品質をつくりあげたことは高く評価されるべきでしょう。しかし、グローバル化や雇用の多様化など、多くの難題を抱えている日本の現状を考えると、そのやり方だけではいずれ限界がくると感じています。いえ、もうすでに身動きの取れない状況に陥っていると言えるかもしれません。その意味でも、これからの企業社会ではホールシステム・アプローチの手法を用いた組織開発が求められるはずです。その問題を考える上で必要な人がすべて顔をそろえて議論すれば、より強くコミットしますし、戦略やビジョンができあがったとき、誰もが高いモチベーションをもって挑むようになるからです。今はたしかに厳しい、でもみんなで決めたことなのだからその目標に向かって邁進していこう、誰もがそんな思いを抱くようになるはずです。
これまでの日本の状況を見ると、組織開発はあくまでも人の心の問題や集団・組織の問題などに興味をもつ人事、組織関係者の関心事であり、経営者や経営企画、戦略策定にかかわる人たちはあまり興味を示しませんでした。経営戦略や事業戦略を策定する上では人の問題や組織の問題はさほど重要ではないと考えていたわけです。しかし、企業とは、業務やタスクといった仕事にかかわる要素と人や組織といった要素が両立していて初めて、健全に機能するものです。そういう意味では、今後は経営層にもぜひ関心をもっていただきたいと思います。
今日は組織開発の要点を述べてきましたが、組織開発の全体像までは見えてこなかったという方もいらっしゃるかもしれません。そういう方はホールシステム・アプローチを用いたミーティング手法や、ホールシステム・アプローチの一つの技法であるオープン・スペース・テクノロジーを解説した専門書が翻訳されていますので、まずは一冊手に取っていただきたいと思います。さらに昨今では、ホールシステム・アプローチを体験できるイベントなども開催されていますので、そうした告知をご覧になったら、参加されるのもいいかもしれません。
今日お見えになった皆さんの会社における立場は、さまざまだと思います。もし経営トップや経営戦略を策定する人に直接提言できる立場であれば、組織開発の意義を説明し、導入を進言してみてください。「おもしろそうじゃないか」と役員会に上げてもらえる可能性もあるでしょう。また、いきなり全社的な活動として導入するのが難しければ、自分が置かれているポジションよりもワンレベルくらい上の立場の相手に話し、まずは事業部単位などで検討してみてはいかがでしょうか。本日は、ご清聴ありがとうございました。
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