「日本企業の「強い組織力」はもう通用しないのか
ーサービス業化の現代に必要な「学び合い」と「OFF-JT」
高橋 俊介さん(慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科 特任教授)
これまでの日本の強みであった製造業に代表される人材の育成方法、マネジメントが有効に機能せず、組織の強みが失われてきたと言われています。日本のモノづくりの現場が海外へと移り、産業構造が変化するに従って、企業のサービス業化が進んできたことが、その傾向に拍車をかけています。さらに若い人を中心に、働くことへのモチベーションも以前とは大きく変わってきました。環境変化の激しい時代に生き残るために、企業はどのような組織をつくればいいのでしょうか。また、そのための制度・仕組みをどう構築すればいいのでしょうか。人と組織の問題に関する研究の第一人者・高橋俊介先生にお話を伺いました。
たかはし・しゅんすけ/1954年生まれ。東京大学工学部卒業、米国プリンストン大学工学部修士課程修了。日本国有鉄道(現JR)、マッキンゼー・ジャパンを経て、89年にワイアット(現タワーズワトソン)に入社、93年に同社代表取締役社長に就任する。97年に独立し、ピープルファクターコンサルティングを設立。2000年には慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授に就任、11年より特任教授となる。内閣府沖縄振興審議会委員として、那覇シティキャンパスを立ち上げる。バブル経済崩壊後の90年代半ば、「成果主義」「キャリア自律」「自由と自己責任」など、新しい概念を人事マネジメントの分野に広めたことで知られている。近年は、サービス業化する日本の人材育成戦略についての考察が、産業界で大きな注目を集めている。主な著書に『21世紀のキャリア論』(東洋経済新報社)『人が育つ会社をつくる』(日本経済新聞出版社)『自分らしいキャリアのつくり方』(PHP新書)『プロフェッショナルの働き方』(PHPビジネス新書)『ホワイト企業』(PHP新書)など多数。
変化に対応できていない日本の「強い組織」
これまで日本企業の強みは、組織の力だと言われてきましたが、最近はその様相が違ってきているように思います。厳しい変革の時代に生き残れる「強い組織」とは、どのような組織だとお考えでしょうか。
「強い組織」の定義は、経営環境やビジネスモデルによって変化します。そこで考えなくてはならないのは、以前と比べて経営環境やビジネスモデルがどう変わったのかということです。その変化には大きく分けて四つあるのですが、まず、そのうち二つを説明しましょう。一つ目は「グローバル化」です。それも製造拠点のグローバル化ではなく、マーケットのグローバル化。二つ目は、「働き方の変化」です。少子高齢化、女性活用、育児・介護、正社員と非正規社員の格差などの問題があり、さらには「制約社員」といった言葉が出てくるなど、現在のビジネスパーソンは働き方を大きく変えざるを得なくなっています。
問題は、これまで日本の強みであった「組織」が、この変化に対応できなくなってきたこと。その背景には、日本人の労働観の形成の歴史があります。この二つの変化が表面化する前は、輸出型製造業を中心とした日本企業の強い組織は、非常にうまく機能していました。
世界の資本主義化、産業化の中で、経済的に豊かになったのは、主に米国・西欧と日本です。米国は少し違いますが、労働観の刷り込みが何百年にも渡って安定的に行われた地域だからです。欧州では『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に象徴されます。「一生懸命働くのはいいことだ」と刷り込まれてきたわけです。それが資本主義の発展に寄与し、工場労働者を大量に生み出しました。 一方、日本で労働観が形成されるきっかけとなったのは織田信長の登場です。一向一揆の鎮圧、キリスト教や旧宗教の勢力の弾圧を徹底して行い、世俗権力が宗教権力を完全にコントロールできる地位を得ました。その上で豊臣秀吉は検地を行い、重商主義から農本主義へと経済のあり様を変えていきました。そして、人事・組織に関連するものとして大きいのが「奉公構(ほうこうかまえ)」。これは武士の転職禁止令ともいうべきもので、流動的だった武士の世界に安定した主従関係の基盤が確立されていきました。
江戸時代に入り、徳川幕府が行ったのが、儒教(朱子学)の導入です。その中で人事・組織に関係するのが、「忠」と「孝」です。「忠」は、君主に対して忠誠を尽くすこと、「孝」は親・家族・家を大切にすることです。儒教の発祥である中国を含めて、多くの儒教の影響を受けた地域では、「孝」のほうが「忠」よりも重んじられます。ところが、日本ではそれが、逆。家族よりも君主、雇い主を大事にします。織田信長が宗教と世俗権力の力関係を変化させたこともあり、武士をコントロールする上で都合のよい形の儒教が形成されました。 明治時代には、庶民も武士化していきます。「孝」よりも「忠」を大事にする考えが、庶民にも徹底して刷り込まれていきました。富国強兵のための教育の中で、「忠」が強烈に刷り込まれ、それが国や雇用主に対する忠誠心となりました。
戦後の日本型組織の大きな転換点となったのが、占領軍によって行われた「公職追放」です。これにより、オーナー層が皆、追放されました。そして、これまでたたき上げてきた番頭、つまり社員だった者が社長となったのです。社員でも社長になれるという一大事件が起き、今度は雇用主がオーナー個人ではなく、会社、つまり組織にすり替わっていきました。そこで、会社のために一生懸命に頑張る、という考えが出てきたのです。 日本人の労働観は、雇用主に対するコミットメントであり、それが戦後、会社に対するコミットメントへと変わっていったのです。ベースにあるのが「孝」よりも「忠」を重視する考え方だから、会社のために一生懸命に働くわけです。
このように数百年かかって、会社組織に対してコミットメントするという刷り込みが完成することになりました。この完成した会社組織に対するコミットメントが、戦後の輸出型の製造業の発展に大きく寄与していきました。これが、これまでの日本企業における「強い組織」です。
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