自己決定理論
自己決定理論とは?
自己決定理論(Self-Determination Theory)とは、人間が本来持つ内発的な成長意欲や動機づけ(モチベーション)に着目し、そのメカニズムを体系的に説明した理論です。心理学者のエドワード・デシ氏とリチャード・ライアン氏によって提唱されました。この理論の核心は、人間には生まれつき「自律性」「有能感」「関係性」という三つの基本的心理欲求があり、これらが満たされることで内発的な動機づけが高まってウェルビーイングや高いパフォーマンスにつながる、という考え方です。従来の「アメとムチ」に代表される外発的な動機づけだけでは、持続的な意欲向上は難しいとされています。

自己決定理論とは
自己決定理論は、単なるモチベーション理論の一つにとどまらず、個人の成長、社会的な行動、そして組織におけるパフォーマンスを理解するための重要なフレームワークを提供します。
自己決定理論の定義と概要
自己決定理論とは、人間の動機づけが「自己決定」の度合いによって異なると捉える理論体系です。他者から強制されたり、報酬のために行動したりするのではなく「自分自身で決定して」行動する場合に高い動機づけ(内発的動機づけ)が生まれ、その結果として学習効果や創造性、幸福感が高まることを示しています。
この理論の大きな特徴は、人間を「本来、好奇心を持ち、学び、成長しようとする能動的な存在」として捉えている点です。どのようにすれば生来の意欲を引き出し、維持できるのかに焦点を当てています。人事労務の文脈では、従業員一人ひとりが持つ潜在能力を最大限に引き出し、自律的に行動する組織文化を醸成するための理論的支柱として、近年ますます重要性が高まっています。
提唱者と歴史的背景
自己決定理論は、1985年にアメリカの心理学者であるエドワード・デシ(Edward L. Deci)氏とリチャード・ライアン(Richard M. Ryan)氏によって体系化されました。
当時の動機づけ研究では、報酬や罰則などの外部からの刺激(外発的要因)が行動を決定するという考え方が主流でした。しかし、デシ氏は実験を通じて、「パズルを解く」などの内的に面白いと感じる活動に対して金銭的報酬を与えると、逆に活動への自発的な意欲が低下してしまう現象(アンダーマイニング効果)を発見しました。
この発見は、外発的な報酬が必ずしも動機づけを高めるわけではないことを示唆し、人間の内的な心理プロセスである「内発的動機づけ」の重要性に光を当てました。自己決定理論は、アンダーマイニング効果を説明する理論として発展し、現在では教育、スポーツ、医療、経営・組織論など、幅広い分野で応用されています。
自己決定理論が注目される背景
現代のビジネス環境では、自己決定理論が提唱する「個の内発的動機づけ」の重要性が高まっています。
働き方の多様化と個人の価値観の変化
リモートワークの普及やジョブ型雇用の拡大などによって、働き方は大きく変化しました。組織が従業員を常に監視・管理することが物理的に難しくなり、従業員一人ひとりが自律的に業務を遂行する必要性が増しています。また、現代の働き手は、単に経済的な安定だけでなく、仕事における「やりがい」「自己成長」「社会への貢献」といった価値観を重視する傾向にあります。
このような状況において、指示命令型(トップダウン)のマネジメントや、金銭的報酬を中心とした動機づけだけでは、従業員のパフォーマンスを最大限に引き出すことは困難です。自己決定理論は、新しい働き方や価値観に適合し、従業員が自らの意思で仕事に取り組み、成長を実感できる環境をどのように構築すべきかに対する示唆を与えてくれます。
人材獲得競争の激化とリテンションの重要性
優秀な人材の獲得と定着(リテンション)は、多くの企業にとって重要課題の一つです。その実現には従業員の「エンゲージメント」向上が不可欠ですが、自己決定理論はまさにそのための有効な指針となります。
報酬などの外的な要因だけでなく、仕事そのものへの興味や関心といった「内発的動機」が満たされることで、従業員のエンゲージメントはより強固なものになります。そうして得られる「自らの意思で働き、成長できている」という実感こそが、組織への定着意欲を高め、ひいては採用・教育コストの削減やノウハウの蓄積へとつながるのです。
企業が持続的に成長するためには、従業員を単なる「労働力」としてではなく、共に成長する「パートナー」として捉え、内発的動機づけを支援する視点が不可欠です。
自己決定理論の「三つの基本的心理欲求」
自己決定理論では、人種や文化にかかわらず、人間には普遍的に三つの基本的な心理欲求が備わっているとされています。これらの欲求が満たされることで、人は精神的に健康で、内発的に動機づけられ、いきいきと活動できます。
(1)自律性 (Autonomy) の欲求
「自分の行動を自分自身で選択し、コントロールしたい」という欲求です。単なる「わがまま」や「孤独」を求めることとは異なります。他者からの指示や命令によって行動するのではなく、自らの意思で行動を選択しているという「感覚」が重要です。
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満たされる状態の例:
- 業務の進め方やスケジュールについて、一定の裁量権が与えられている
- 上司から目標を押し付けられるのではなく、対話を通じて納得感のある目標を設定できる
- 自らの意見やアイデアが尊重され、意思決定のプロセスに関与できる
- 人事施策へのヒント:権限委譲の推進、ボトムアップでの意見収集の仕組みづくりなどが挙げられます。
(2)有能感 (Competence) の欲求
「自分は有能でありたい、能力を発揮して、周囲の環境に効果的に働きかけたい」という欲求です。課題を乗り越えたり、新しいスキルを習得したりすることで得られる「できるようになった」という感覚が、欲求を満たします。
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満たされる状態の例:
- 挑戦しがいのある(簡単すぎず、難しすぎない)仕事に取り組む機会があり、実際にうまくいった
- 自分の仕事の成果に対して、具体的で建設的なフィードバックがもらえる
- 研修や資格取得支援などを通じて、自身の成長を実感できる
- 人事施策へのヒント:適切な目標設定(MBOやOKRなど)、定期的な1on1ミーティングによるフィードバック、能力開発プログラムの充実、成果を適切に称賛する文化の醸成などが考えられます。
(3)関係性 (Relatedness) の欲求
「他者と尊重・共感し合いたい、他者から価値ある存在として認められたい」という欲求です。組織やチームの中で「自分は一員として受け入れられている」「他者と信頼で結ばれている」と感じることで満たされます。
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満たされる状態の例:
- 職場の同僚や上司と、オープンにコミュニケーションが取れる
- 困ったときに助けを求められる、心理的に安全な環境がある
- チームの一員として、共通の目標に向かって貢献している実感がある
- 人事施策へのヒント:チームビルディング活動の実施、メンター制度の導入、社内コミュニケーションツール(SNSなど)の活用、心理的安全性を高めるためのマネジメント研修などが有効です。
動機づけの連続体
自己決定理論のもう一つの重要な点は、動機づけを「内発的」か「外発的」かという単純な二元論で捉えるのではなく、自己決定の度合いによって連続的に変化すると考える点です。これを「動機づけの連続体」と呼びます。
「やる気」の質の変化を理解する
連続体は、最も自己決定的でない「無動機づけ」の状態から、最も自己決定的な「内発的動機づけ」の状態まで、段階的に変化します。
- 無動機づけ:行動する意図そのものがない状態。「やっても無駄だ」と感じている
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外発的動機づけ:何らかの外部要因のために行動する状態。四つの段階がある
- 外的調整:報酬を得るため、あるいは罰を避けるために行動する(例:「怒られたくないから、言われた通りにやる」)。最も自己決定的でない段階
- 取り入れ的調整:罪悪感や羞恥心を避けるため、あるいはプライドを保つために行動する(例:「やらないと格好悪いから、やる」)
- 同一化的調整:行動の価値や重要性を理解し、自分にとって意味があると判断して行動する(例:「この仕事は自分のキャリアにとって重要だから、主体的に取り組む」)
- 統合的調整:行動が、自分自身の他の価値観や目標と完全に統合されている状態(例:「会社のビジョンと自分の価値観が一致しているので、この仕事に全力で取り組むのは当然だ」)。最も内発的動機づけに近い段階
- 内発的動機づけ:行動そのものが楽しく、面白く、満足できるから行動する状態(例:「この仕事は探求心を満たしてくれるから、夢中になってしまう」)
外発的動機づけから内発的動機づけへの移行プロセス
人事担当者や管理職にとって重要なのは、従業員の動機づけを、より自己決定的な方向へと促していく(内面化・統合を促進する)ことです。
例えば、最初は「給与のために」仕事をしていた従業員(外的調整)が、上司からの適切なフィードバックを通じて仕事の重要性を理解し(同一化的調整)、やがて仕事に自分なりの工夫を凝らすことに面白さを見出す(内発的動機づけ)というプロセスが考えられます。この移行を促す鍵こそが、前述した「自律性」「有能感」「関係性」の三つの欲求を満たすことなのです。
自己決定理論を人事施策に活用するメリット
自己決定理論に基づいたアプローチを組織に導入することは、企業と従業員の双方にとって多くのメリットをもたらします。
エンゲージメントの向上
自己決定理論の三つの欲求が満たされた職場環境は、エンゲージメントが高い状態を生み出します。自分の仕事に裁量があり(自律性)、成長を実感でき(有能感)、信頼できる仲間がいる(関係性)と感じる従業員は、おのずと仕事へのエンゲージメントが高まります。
生産性と創造性の向上
内発的に動機づけられた従業員は、単に与えられたタスクをこなすだけでなく、より良い方法を模索したり、新しいアイデアを提案したりするなど、創造性を発揮しやすくなります。困難な課題に対しても粘り強く取り組む傾向があるため、結果として組織全体の生産性向上につながります。受け身の姿勢ではなく、当事者意識を持って仕事に取り組む人材が増えるのです。
離職率の低下と人材定着
従業員が「この組織は自分の心理的欲求を満たしてくれる場所だ」と感じることは、組織への帰属意識や満足度を大きく高めます。待遇や労働時間といった外的条件だけでなく、仕事そのものの「やりがい」や「働きがい」という内的な報酬が得られている状態です。結果として、優秀な人材の離職を防ぎ、長期的な人材定着(リテンション)を実現できます。
注意点とデメリット・課題
自己決定理論は万能薬ではありません。理論を組織に根付かせる過程では、いくつかの課題や注意点が存在します。
全ての従業員に当てはまるわけではない
人間には個人差があり、三つの欲求の強さや、何を「自律的」と感じるかは人それぞれです。裁量がかえってプレッシャーになる従業員や、安定したルーティンワークを好む従業員も存在します。一律の制度を導入するのではなく、従業員それぞれの特性や価値観を理解し、対話を通じて個別にアプローチを調整する柔軟性が求められます。
制度設計と運用の難しさ
例えば、裁量権を与える(自律性を満たす)施策が単なる「丸投げ」になっていたら、従業員が不安を感じ、有能感を損なう結果になりかねません。適切な権限委譲には、明確な目標設定や十分な情報共有、失敗を許容しサポートする体制が不可欠です。理念だけが先行し、現場の運用が伴わないと、制度が形骸化し、かえって従業員の不満を高めるリスクがあります。
短期的な成果を求めすぎることのリスク
自己決定理論に基づく組織変革は、文化の醸成を伴うため、効果が現れるまでに時間がかかります。短期的な業績向上のみを目的として導入すると、うまくいかない場合、すぐに元の統制型マネジメントに戻ってしまう可能性があります。従業員の内発的動機づけを育む長期的な取り組みであることを、経営層と現場が共通認識として持つことが成功の鍵です。
自己決定理論に関連する人事施策の具体例
理論を実践に落とし込むためには、既存の人事制度やマネジメント手法に自己決定理論の観点を組み込むことが有効です。
目標設定・評価制度(MBO、OKRとの連携)
- 自律性:会社や部門の目標を一方的に課すのではなく、従業員自身が目標設定のプロセスに主体的に関わることを促します。MBOにおいては、組織目標と個人のキャリアビジョンをすり合わせ、従業員が「自分事」として納得して目標にコミットできるプロセスを徹底します。OKR(Objectives and Key Results)のように挑戦的でワクワクするような目標を、対話を通じて設定し、達成手段については本人の裁量に任せる方法は、自律性を高める上で非常に有効です。
- 有能感:評価面談では、単に結果の達成度を評価するだけでなく、目標達成のプロセスにおける努力や成長を認め、具体的なフィードバックを行います。これにより、従業員は自分の能力向上を実感できます。
キャリア開発支援(1on1ミーティング、キャリア自律の促進)
- 自律性・有能感:定期的な1on1ミーティングは、従業員が自身のキャリアについて考え、上司がそれを支援する絶好の機会です。上司はティーチングではなくコーチングの姿勢で、本人の価値観や強みを引き出し、キャリアパスの選択肢を共に考えます。これにより、従業員は「自分のキャリアを自分で決めている」という感覚(キャリア自律)を持つことができます。
- 関係性:信頼に基づいたオープンな対話は、上司と部下の良好な関係性を築く上で不可欠です。
職場環境の整備(心理的安全性、コミュニケーション活性化)
- 関係性:従業員が失敗を恐れずに意見を言えたり、素朴な疑問を口にできたりする「心理的安全性」の高い職場は、関係性の欲求を満たす基盤です。管理職は、メンバーの発言を傾聴し、異なる意見を歓迎する姿勢を示すことが重要です。
- 全般:社内SNSやフリーアドレス制などを活用し、部署を超えた偶発的なコミュニケーションを促すことも、組織内の一体感や関係性の質を高めることにつながります。
報酬制度(金銭的報酬の適切な使い方)
金銭的報酬の与え方は慎重に検討する必要があります。特に、内発的動機づけが高い業務に対して、成果と連動した報酬を不用意に導入すると、アンダーマイニング効果を引き起こし、やる気をそいでしまう可能性があるので、注意が必要です。
報酬は、従業員の貢献に対する「感謝」や「承認」のメッセージとして、あるいは能力向上を認める「情報的フィードバック」として機能するように設計することが求められます。基本給を安定させ、生活の不安を取り除くことが、従業員が安心して挑戦できる土台となります。
【事例1】旭化成の「新卒学部」(自発的な学びを促すラーニングコミュニティー)
旭化成株式会社の「新卒学部」は、「終身成長」という人材戦略のもと、「Co-Learning(一緒に学ぶ)」をコンセプトにした新入社員向けの学習コミュニティーです。
新入社員が自身の志向性に基づき所属ゼミを選択し、後には自ら学びたいゼミを企画・運営できます。「自分で決める」という自律性を尊重しています。また、活動の結果、学習時間が従来の3.5倍に増加し、「キャリア不安が有意に低い」という成果も確認されています。これにより「成長できている」という有能感を満たしています。さらに、「誰かと学ぶ」「誰かから学ぶ」というコミュニティーの設計が、同期の横のつながりを強め、学習意欲を刺激しています。「仲間とつながる」関係性の欲求を満たします。
このように、画一的な「研修」ではなく、自律的な「コミュニティー」を設計することが、従業員の内発的動機づけを引き出す鍵となっています。
【事例2】ファイザーの「ジグザグ成長キャリアパス」(すべての異動が公募により決定。従業員のキャリア自律を支援する)
従業員の「キャリア自律」を制度面から強力に後押しする事例が、ファイザー株式会社の取り組みです。同社は「従業員一人ひとりの潜在能力を解き放つこと」を人事戦略に掲げています。この施策が自己決定理論、特に「自律性」の観点から注目すべき点は、徹底した「公募制」にあります。
同社では、戦略的な配置などを除き、社長や部門長を含むすべての異動が社内公募(ジョブポスティング)によって決定されます。従業員は自らの意思で希望するポジションに応募でき、上司は部下の異動を引き止められないルールになっています。これにより、従業員が「自分自身でキャリアを選択している」という感覚(自律性)が担保されています。
公募による異動だけでなく、「セコンドメント(社内出向)」や「グロースギグ(社内副業)」といった、期間限定で他部門の業務を経験できる機会も豊富に用意されています。従業員は、リスクを取りすぎずに新たな挑戦を行い、自身の「有能感」を高められます。
これらの制度は、部下が主体となって上司に依頼する「グロースカンバセーション」(1on1)によって補完され、従業員の「挑戦」や「成長」を促す仕組みとなっています。
関連する主要な人事用語
内発的動機づけ/外発的動機づけ
- 内発的動機づけ:報酬や評価などの外部要因を受けずに、自身の内側から湧き上がる興味・関心や向上心などによって動機づけられている状態のこと。
- 外発的動機づけ:報酬、罰則、他者からの評価など、外部からもたらされる要因が原動力となる動機づけのこと。「給料のために働く」「叱られたくないからやる」など。
モチベーション
モチベーション(motivation)は日本語に訳すと「動機」で、行動するきっかけとなる理由、あるいは行動を決める直接的な原因という意味合いを持っています。ビジネスシーンにおけるモチベーションは「やる気」「意欲」といった意味に使われ、モチベーションが高い状態をやる気がある、意欲があるといいます。「自己決定理論」は、モチベーションのメカニズムを説明する理論とも言えます。
エンゲージメント
「個人と組織が一体となり、双方の成長に貢献しあう関係」のことをいいます。自己決定理論における三つの基本的心理欲求(自律性、有能感、関係性)が満たされていることは、エンゲージメントを高めるための重要な前提条件とされています。
心理的安全性
職場で誰に何を言っても、どのような指摘をしても、拒絶されることがなく、罰せられる心配もない状態のことをいいます。心理的安全性が確保された環境は、特に「関係性」の欲求を満たし、建設的な議論や新しい挑戦を促す土壌となります。
キャリア自律
企業や組織に依存するのではなく、個人が自身のキャリアについて向き合い、主体的にキャリアを開発していくこと。企業が従業員のキャリア自律を支援することは、従業員の「自律性」の欲求を満たし、変化の激しい時代に対応できる人材を育成する上で重要です。
監修者からのコメント
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